Quantcast
Channel: つらつら日暮らし
Viewing all articles
Browse latest Browse all 15848

無住道曉『沙石集』の紹介(12p)

$
0
0
前回の【(12o)】に引き続いて、無住道曉の手になる『沙石集』の紹介をしていきます。

『沙石集』は全10巻ですが、この第10巻が、最後の巻になります。第10巻目は、様々な人達(出家・在家問わず)の「遁世」や「発心」、或いは「臨終」などが主題となっています。世俗を捨てて、仏道への出離を願った人々を描くことで、無住自身もまた、自ら遁世している自分のありさまを自己認識したのでしょう。今日は、「三 宗春房遁世の事」を見ていきます。この宗春坊というのは、慈悲深い上人として知られ、東大寺の僧でした。縁あって田畑を相続したところ、周囲にいた僧に妬まれ命を狙われたというので、自分は遁世するからと言い、その田畑の権利を手放したのです。他にも、自らの命や物に一切執着しなかった人々を紹介します。

 南都(奈良)に名僧がいた。(その名僧が)笠置の上人(解脱房貞慶)に申し上げるには、「余りの貧しさに、誰かが法要に拝請してくれないかとは思うのですが、招いてくれる人もいません。(笠置の)上人は、ご辞退なさってても諸方から招かれるのですから、何ともうらやましいものです」といった。
 (すると、笠置の上人は)「余りに辞退するから、人はかえって招きたいと思うのでしょう。あなたも辞退してみたらどうですか。そうすれば、きっと招かれるでしょう」と仰ったのだが、(その名僧は)「いや、たまにしか来ない拝請を辞退して、それでも招かれなかったらどうしたものでしょうか」といった。
 確かにその通りだと思われて、おかしかった。
    拙僧ヘタレ訳

微妙なところですね。でも、こういう事例は、今でもありますよね。何が何でも、新しい仕事となれば必ず声が掛かる人と、掛からない人。その基準も、まぁ、仕事の出来不出来という分かりやすいところだけなら話は早いのですが、意外とそうではない場合もあったりして、それが興味深いところです。

しかし、ここで貞慶がアドバイスした内容は、或る意味「プレミア感を出す」ってことですよね。これなら今でもあります。あの人は、中々受けてもらえないぞっていうプレミア感が、却って仕事を招くという話です。とはいえ、現在のような不景気ですと、虎視眈々と仕事を狙っている他の人に取って代わられるだけになるかもしれませんけどね。

で、この記事で問題にしているのは、そこです。

要するに、この名僧は、「名僧」と無住が指摘する位なので、優れた徳(何かしらの能力・業績などがあったのでしょう)があるのでしょうが、でも、金回りだけは悪かったわけです。よって、何とか布施にありつけないかな?と思っていたのでしょう。貞慶からのアドバイスは既に述べた通りですが、そのアドバイス通りに行動する踏ん切りも付かないというのは、よく分かります。

それで、この記事では更にどう行動すべきか、というところを検討したいところです。いやまぁ、何か得策があれば、拙僧も、『仕事を切らさないために』なんていう本を書いて、一発当てるところですから、そんな名案があるわけではないのですが、やっぱり「百不当の一当」ってところですかね。当たれ当たれと思って修行しつつ、でも当たらない。とはいえ当てるべく努力せざるを得なくて、一度当たったとすれば、それまでの努力の結果だ、という話です(『正法眼蔵』「説心説性」巻)。

何があっても腐らず、いざ呼ばれた時を考えて自分のスキルや知識を磨く、それ以外に無いような気がします。とはいえ、書いていて自分でも分かっています。言うは易く行うは難しだと。でも、そんな安易だったら誰も苦労しないので、やっぱり難解なくらいの話で平常ってことなのでしょうね、こういう場合には。何故ならば、自分だけでは無くて、世間の評価が無くてはならず、転じ難きは衆生(他人)の心、なのですから。

【参考資料】
・筑土鈴寛校訂『沙石集(上・下)』岩波文庫、1943年第1刷、1997年第3刷
・小島孝之訳注『沙石集』新編日本古典文学全集、小学館・2001年

これまでの連載は【ブログ内リンク】からどうぞ。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 15848

Latest Images

Trending Articles