今日は釈尊成道会になります。三仏忌については、道元禅師の時代から、熱心に修行されていますけれども、その中でも、特に成道会については、道元禅師自身が日本に将来されたということ(実際には、その前にも平安時代に他の宗派で修行された事実はあるようですが、余り熱心ではなかったそうで・・・)もあってか、現在の曹洞宗では臘八摂心から引き続いての大法要というわけです。
さて、拙ブログでは、毎年この日には記事を書いていますけれども、元々は3月15日が成道会だったようです。ところが、12月8日説が道元禅師によって輸入され、それが一般化されました。その時に採り上げているのは、道元禅師の『永平広録』に見える、成道会の上堂(臘八上堂)です。以下のような感じです。
不明 巻1-37上堂(既出)
仁治2年(1241) 巻1-88上堂(既出)
寛元3年(1245) 巻2-136上堂(既出)
寛元4年(1246) 巻3-213上堂(既出)
不明 巻3-240上堂(既出)
宝治2年(1248) 巻4-297上堂(既出)
建長元年(1249) 巻5-360上堂(2回既出)
建長2年(1250) 巻5-406上堂(既出)
建長3年(1251) 巻7-475上堂(今回)
建長4年(1252)? 巻7-506上堂
さて、今年は永平寺で建長3年(1251)に行われた巻7-475上堂を見て、参究していきたいと思います。おそらく、道元禅師にとっては、最後の成道会上堂だと思われます。一応、上では「建長4年」について指摘していますが、色々と不自然なところがあり、おそらく前に行った上堂語が、編集の関係でこの場所に混入しているのだろうと思います。
臘八の上堂。
〈世尊成道最初に説く、是夜四分、乃至一切智、師、前の如く挙し了って著語して云く〉、無量の功徳今已に現ず。ボツ跳す、手中の臘月扇。
〈往昔造作、乃至皆除滅、師、前の如く挙し了って乃ち云く〉、永平、成道の成を拝続す。修証は無きに不ず、覚道成ず。何の階級か有らん、暁天明らかなり。是の時、我等が大慈父、悦ぶべし、眉毛一茎を添う、と。
『永平広録』巻7-475上堂
この上堂は、先の巻5-360上堂を受け、更に巻5-406上堂もまた、同じ上堂を元に説かれた内容です。道元禅師は、決まった季節物の上堂になると晩年、同じ「本則」を使って、著語を変えながら説法とされる機会を多く持たれています。そして、この「本則」は、『大蔵経』だと「本縁部」に所収される『仏本行集経』というものです。ここで道元禅師が引かれているのは、同経の巻30「成無上道品第三十三」になります。文字通り、仏陀釈尊が無上道を成じた様子を描いた一品ということになります。特に引用されたのが、以下の2節です。
是の夜、四分の三、已に過ぐ。余後一分にして明、将に現ぜんとす。
衆類、行と不と、皆来動す。是の時、大聖無上尊となる。
衆苦を滅し已る、菩提を得ればなり。即ち世間一切智と名づく。
これは、12月8日、これから成道を迎えんとする仏陀が、その「夜明け」を待ちつつ、それが来たった時、「大聖無上尊」となった、その現場を、「衆苦を滅し已る」ことと「菩提を得る」ことの両重的記述によって捉えた偈頌です。なお、この両重的記述をこそ「世間一切智」といいます。なお、先に引いた上堂で、道元禅師はこの仏陀による成道を、「無量の功徳今已に現ず。ボツ跳す、手中の臘月扇」と著語されています。つまり、ここでいわれた、世尊一切智としての、衆苦消滅という功徳を、無量の衆生が受けたが、それは手の中にある臘月扇(臘月とは12月のこと。寒い12月には扇を使わないため、これは無駄な物を指す言葉)が飛び跳ねた(働いた)というのです。禅宗では、仏法を無駄な物として捉える傾向にあり、この一節もそれを表しているのです。
往昔造作の功徳の利により、心に念ずる所の事皆成し得たり。
速疾に彼の禅定の心を証し、又復涅槃の岸に到る。
所有一切の諸の怨敵、欲界自在の魔波旬、
我を悩ますこと能わず、悉く帰依す。福徳智慧の力有るを以てなり。
若し能く勇猛にして精進を作して、聖智を求むれば得ること難からず。
既に得れば即ち諸苦の辺を尽くし、一切の衆罪皆銷滅す。
さて、先の如く会得できると、この上記引用文について、道元禅師が「永平、成道の成を拝続す」としながら、「成」の意義について説き、それを「修証は無きに不ず、覚道成ず」としていることに依拠して会得しましょう。つまり、「成」の真意とは、「修証は無きにあらず」なのですが、それとして「覚道が成ずる」のであります。この覚道の時には、世尊一切智にて、あらゆる事象を照らし出しているが故に、「何の階級か有らん、暁天明らかなり」なのであります。一切の階級はあり潰れ、ただ暁天としての「慧日破諸闇」(『観音経』)なのです。つまり、これこそ、「我等が大慈父」が、「眉毛一茎を添えた」という好時節だと言えます。なお、この「眉毛」も仏法なのです。よって、道元禅師は、この両句に於いて、仏陀の成道の功徳が全世界を照らして、我々もそれを頂戴しているが、それこそが、仏陀が仏法を得られた事実なのだ、と示しているのです。
よって、我々は今日の成道会を通して、仏陀成道の勝れた功徳を戴きたいものです。まさに、夜明け来たれりであります。
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さて、拙ブログでは、毎年この日には記事を書いていますけれども、元々は3月15日が成道会だったようです。ところが、12月8日説が道元禅師によって輸入され、それが一般化されました。その時に採り上げているのは、道元禅師の『永平広録』に見える、成道会の上堂(臘八上堂)です。以下のような感じです。
不明 巻1-37上堂(既出)
仁治2年(1241) 巻1-88上堂(既出)
寛元3年(1245) 巻2-136上堂(既出)
寛元4年(1246) 巻3-213上堂(既出)
不明 巻3-240上堂(既出)
宝治2年(1248) 巻4-297上堂(既出)
建長元年(1249) 巻5-360上堂(2回既出)
建長2年(1250) 巻5-406上堂(既出)
建長3年(1251) 巻7-475上堂(今回)
建長4年(1252)? 巻7-506上堂
さて、今年は永平寺で建長3年(1251)に行われた巻7-475上堂を見て、参究していきたいと思います。おそらく、道元禅師にとっては、最後の成道会上堂だと思われます。一応、上では「建長4年」について指摘していますが、色々と不自然なところがあり、おそらく前に行った上堂語が、編集の関係でこの場所に混入しているのだろうと思います。
臘八の上堂。
〈世尊成道最初に説く、是夜四分、乃至一切智、師、前の如く挙し了って著語して云く〉、無量の功徳今已に現ず。ボツ跳す、手中の臘月扇。
〈往昔造作、乃至皆除滅、師、前の如く挙し了って乃ち云く〉、永平、成道の成を拝続す。修証は無きに不ず、覚道成ず。何の階級か有らん、暁天明らかなり。是の時、我等が大慈父、悦ぶべし、眉毛一茎を添う、と。
『永平広録』巻7-475上堂
この上堂は、先の巻5-360上堂を受け、更に巻5-406上堂もまた、同じ上堂を元に説かれた内容です。道元禅師は、決まった季節物の上堂になると晩年、同じ「本則」を使って、著語を変えながら説法とされる機会を多く持たれています。そして、この「本則」は、『大蔵経』だと「本縁部」に所収される『仏本行集経』というものです。ここで道元禅師が引かれているのは、同経の巻30「成無上道品第三十三」になります。文字通り、仏陀釈尊が無上道を成じた様子を描いた一品ということになります。特に引用されたのが、以下の2節です。
是の夜、四分の三、已に過ぐ。余後一分にして明、将に現ぜんとす。
衆類、行と不と、皆来動す。是の時、大聖無上尊となる。
衆苦を滅し已る、菩提を得ればなり。即ち世間一切智と名づく。
これは、12月8日、これから成道を迎えんとする仏陀が、その「夜明け」を待ちつつ、それが来たった時、「大聖無上尊」となった、その現場を、「衆苦を滅し已る」ことと「菩提を得る」ことの両重的記述によって捉えた偈頌です。なお、この両重的記述をこそ「世間一切智」といいます。なお、先に引いた上堂で、道元禅師はこの仏陀による成道を、「無量の功徳今已に現ず。ボツ跳す、手中の臘月扇」と著語されています。つまり、ここでいわれた、世尊一切智としての、衆苦消滅という功徳を、無量の衆生が受けたが、それは手の中にある臘月扇(臘月とは12月のこと。寒い12月には扇を使わないため、これは無駄な物を指す言葉)が飛び跳ねた(働いた)というのです。禅宗では、仏法を無駄な物として捉える傾向にあり、この一節もそれを表しているのです。
往昔造作の功徳の利により、心に念ずる所の事皆成し得たり。
速疾に彼の禅定の心を証し、又復涅槃の岸に到る。
所有一切の諸の怨敵、欲界自在の魔波旬、
我を悩ますこと能わず、悉く帰依す。福徳智慧の力有るを以てなり。
若し能く勇猛にして精進を作して、聖智を求むれば得ること難からず。
既に得れば即ち諸苦の辺を尽くし、一切の衆罪皆銷滅す。
さて、先の如く会得できると、この上記引用文について、道元禅師が「永平、成道の成を拝続す」としながら、「成」の意義について説き、それを「修証は無きに不ず、覚道成ず」としていることに依拠して会得しましょう。つまり、「成」の真意とは、「修証は無きにあらず」なのですが、それとして「覚道が成ずる」のであります。この覚道の時には、世尊一切智にて、あらゆる事象を照らし出しているが故に、「何の階級か有らん、暁天明らかなり」なのであります。一切の階級はあり潰れ、ただ暁天としての「慧日破諸闇」(『観音経』)なのです。つまり、これこそ、「我等が大慈父」が、「眉毛一茎を添えた」という好時節だと言えます。なお、この「眉毛」も仏法なのです。よって、道元禅師は、この両句に於いて、仏陀の成道の功徳が全世界を照らして、我々もそれを頂戴しているが、それこそが、仏陀が仏法を得られた事実なのだ、と示しているのです。
よって、我々は今日の成道会を通して、仏陀成道の勝れた功徳を戴きたいものです。まさに、夜明け来たれりであります。
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