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意外な年齢差 栄西と如浄

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どうしても、道元禅師を中心に禅宗史を見ると、この2人を見ていかざるを得ないのですが、最近、そういえば、栄西禅師の方が年上だったんだよな?とか気づいたのであります。

明庵栄西(1141〜1215)
天童如浄(1163〜1228)

ここからすると、なんと如浄禅師の方が20歳以上年下ということになります。しかし、何だって、拙僧は如浄禅師が年上というイメージがあったのか?おそらくそれは、道元禅師の文章があるかと思います。

先師は、十九歳より離郷尋師、辨道功夫すること、六十五載にいたりて、なほ不退不転なり。
    『正法眼蔵』「行持(下)」巻

ここからは、如浄禅師が65歳になっても、未だに修行を退転せずに続けている様子が伝わってきます。ここはまだ元気な感じの如浄禅師です。しかし、年老いたイメージを喚起する文脈もあります。

ある時、また上堂の次でには、常に云ク、「我レ已に老後の今は、衆を辞し、庵に住して老を扶ケて居るべけれども、衆の知識として各々の迷ヒを破り、道を助けんがために住持人たり。是レに因ツてあるイは呵嘖の言を出し、竹篦打擲等の事を行ず。是レ頗る恐レあり。然れども、仏に代ツて化儀ヲ揚グル式なり。諸兄弟、慈悲をもてこれを許し給へ。」と言へば、衆僧流涕しき。
    『正法眼蔵随聞記』巻2−5

如浄禅師が天童山にいたときでしょうけれども、上堂された際にこういわれました。65歳になった老後であっても、修行を続け、厳しい指導をしていました。本来であれば、大衆の1人であることを辞め、庵にでも住んでいるべきだが、それをせずに、しかも修行僧たちを殴り続けているので、申し訳ないことだといっているのです。しかし、仏に代わって化儀を挙げていることなので、慈悲でもってこれを許せと願っています。

如浄禅師はこの後、66歳で遷化されています。一方で、栄西禅師はまだ、道元禅師が比叡山にいた頃であろう1215年に遷化されているのですが、こちらについては、道元禅師の記録でも、かなり元気な様子が伝わってきます。よって、当然に道元禅師が2人と関わった時期は、10年近い差があって、栄西禅師の方が早いわけですけれども、それを逆に感じることが出来なくなっているというところでしょうか。

まぁ、拙僧の勘違いといえば、もちろんその通りなんですけどね。でも、何だか如浄禅師の方がお爺さんに感じるわけですよ。

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