そろそろ月遅れの地蔵盆(地蔵祭)の時期が近付いてきました。この祭は特に、地蔵菩薩が若い僧の姿で現れるという通念をもって、子供の守護神という側面が強まったため、旧暦7月24日(現在なら8月24日)に、子供たちが地蔵を祀る風習が、特に西日本で盛んになりました。
やはり、京都で盛んだったようで、京都の場合には、洛外に六体の地蔵を祀り、それを市中の子供たちがお祭りするというものです。なお、江戸時代の鈴木正三(1579〜1655)が晩年になって書いたと思われる、或る反故(手紙)には、この地蔵盆のことが書いてあります。
京中、辻々の地蔵祭、去年七月より童部共、見事に致し候。此五月にも盆を待兼候て、辻々にて祭を見事に致し候。
鈴木正三『反故集』「或る士に与う」
現在でも、京都の場合には、各地域でお地蔵さんをお守りしている家があって、各地域で僧侶を呼び、供養して貰うという流れになっているようです。拙僧も、それに参加させていただきました。京都ですと、むしろ我々曹洞宗が手薄で、他の真言宗・浄土真宗・・臨済宗・日蓮宗辺りが多いように思われ、そういう宗派ですと、地蔵菩薩をお祀りするのに適した読誦経典などもお持ちなのかもしれませんが・・・拙僧、今回、ちょっと困りました。
「唱える経典が無い(汗)」
昔、【何故、阿弥陀仏は勝って地蔵菩薩は敗れたのか?】なんていう記事を書いたことがありましたが、その時に「地蔵経典」として挙げたのは、以下のものでした。
・『大乗大集地蔵十輪経』
・『地蔵菩薩本願経』
・『占察善悪業報経』
これは、それぞれ中国では既にその存在が確認される経典になりますけれども、これは、現在の我々の読誦経典として一般的ではありません。一般的ではないとはいえ、唱えないわけではありません。それは、『曹洞宗宗制』に於ける、経典の規定には、いわゆる有名な、般若系・法華系・華厳系・涅槃系に合わせて、諸大乗経典を数えているためです。この地蔵系経典も、そこに入れてしまって良いといえます。
また、江戸時代には、『占察経』を使った占いを行った例もあるようで(損翁宗益・面山瑞方『見聞宝永記』)、その意味ではその時代までは行法として残っていたのでしょうし、現在でも行っている寺院はあるとは思いますが、拙僧は知りません。よって、非常に困ったのであります。『大悲心陀羅尼』とか『甘露門』とか、そういう話もあったのですが、これらは全て「観音菩薩」関係の経典です。
そして、手元にある経本をひっくり返していたら、昔もらった大本山總持寺『日課経典』の中に、『仏説延命地蔵菩薩経』があったので、これを唱えようと思ったのであります。同経は、日本成立ともいわれており、内容も、『観音経』のパクリとおぼしきものから、本覚思想的なものから、日本の諸神祇に関わるものまで豊富に入っていて、これを1回唱えれば十分だろうとも思われたのであります。しかも、都合の良いことに、大体「地蔵盆」にてお祀りされる地蔵菩薩は、延命地蔵である場合も多いようですので、これを用いたのであります。いやはや助かりました。
さておき、拙僧がお参りした地蔵菩薩は、どこも僧形の、いわゆるお地蔵さんでございました。このお地蔵さんが、或る時は子供を守り、或る時は地域を守ってくださるわけです。正当が8月24日ですが、だいたいはその直前の土日にやるようで、お盆休みも最後に来て、地域のイベントを行えるというメリットもあるようです。何とも京都らしい、風情のあるお祀りです。拙僧的には更に、どこか遠い存在だと思っていた鈴木正三に近づけたような気がして、それもまた嬉しいことでございました。
この記事を評価して下さった方は、
にほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。
これまでの読み切りモノ〈仏教10〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。
やはり、京都で盛んだったようで、京都の場合には、洛外に六体の地蔵を祀り、それを市中の子供たちがお祭りするというものです。なお、江戸時代の鈴木正三(1579〜1655)が晩年になって書いたと思われる、或る反故(手紙)には、この地蔵盆のことが書いてあります。
京中、辻々の地蔵祭、去年七月より童部共、見事に致し候。此五月にも盆を待兼候て、辻々にて祭を見事に致し候。
鈴木正三『反故集』「或る士に与う」
現在でも、京都の場合には、各地域でお地蔵さんをお守りしている家があって、各地域で僧侶を呼び、供養して貰うという流れになっているようです。拙僧も、それに参加させていただきました。京都ですと、むしろ我々曹洞宗が手薄で、他の真言宗・浄土真宗・・臨済宗・日蓮宗辺りが多いように思われ、そういう宗派ですと、地蔵菩薩をお祀りするのに適した読誦経典などもお持ちなのかもしれませんが・・・拙僧、今回、ちょっと困りました。
「唱える経典が無い(汗)」
昔、【何故、阿弥陀仏は勝って地蔵菩薩は敗れたのか?】なんていう記事を書いたことがありましたが、その時に「地蔵経典」として挙げたのは、以下のものでした。
・『大乗大集地蔵十輪経』
・『地蔵菩薩本願経』
・『占察善悪業報経』
これは、それぞれ中国では既にその存在が確認される経典になりますけれども、これは、現在の我々の読誦経典として一般的ではありません。一般的ではないとはいえ、唱えないわけではありません。それは、『曹洞宗宗制』に於ける、経典の規定には、いわゆる有名な、般若系・法華系・華厳系・涅槃系に合わせて、諸大乗経典を数えているためです。この地蔵系経典も、そこに入れてしまって良いといえます。
また、江戸時代には、『占察経』を使った占いを行った例もあるようで(損翁宗益・面山瑞方『見聞宝永記』)、その意味ではその時代までは行法として残っていたのでしょうし、現在でも行っている寺院はあるとは思いますが、拙僧は知りません。よって、非常に困ったのであります。『大悲心陀羅尼』とか『甘露門』とか、そういう話もあったのですが、これらは全て「観音菩薩」関係の経典です。
そして、手元にある経本をひっくり返していたら、昔もらった大本山總持寺『日課経典』の中に、『仏説延命地蔵菩薩経』があったので、これを唱えようと思ったのであります。同経は、日本成立ともいわれており、内容も、『観音経』のパクリとおぼしきものから、本覚思想的なものから、日本の諸神祇に関わるものまで豊富に入っていて、これを1回唱えれば十分だろうとも思われたのであります。しかも、都合の良いことに、大体「地蔵盆」にてお祀りされる地蔵菩薩は、延命地蔵である場合も多いようですので、これを用いたのであります。いやはや助かりました。
さておき、拙僧がお参りした地蔵菩薩は、どこも僧形の、いわゆるお地蔵さんでございました。このお地蔵さんが、或る時は子供を守り、或る時は地域を守ってくださるわけです。正当が8月24日ですが、だいたいはその直前の土日にやるようで、お盆休みも最後に来て、地域のイベントを行えるというメリットもあるようです。何とも京都らしい、風情のあるお祀りです。拙僧的には更に、どこか遠い存在だと思っていた鈴木正三に近づけたような気がして、それもまた嬉しいことでございました。
この記事を評価して下さった方は、

これまでの読み切りモノ〈仏教10〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。