専修念仏宗には、阿弥陀仏へのお念仏が、1回で良いのか?多く唱えなくてはならないのか?という論争があったそうです。一念義と多念義の論争ということらしいですが、拙僧のような立場からすると、何言ってんの?という話になりそうです。我々に置き換えてみると、坐禅の回数を論じるというような話になりそうです。まぁ、厳密にはちょっと違っているのを承知の上で置き換えています。その置き換えを元に考えてみると、我々の坐禅、たった1回くらいでは何にもなりません。まぁ、初心の弁道は本証の全体なので、悟りを味わうことはもちろん疑い無いことですが、我々の本質は「明かし続ける」という事であって、その意味では、坐禅を行じた数や長さを競うのでは無くて、ただ、明かし続けるだけ、なのであります。この単純な道理に、外から余計な価値基準を当て嵌めると、数を競うわけです。典型的な戯論です。
さて、最初に専修念仏宗を打ち立てた法然上人の入滅後、弟子達の間でこの一念義と多念義の争いが起き、それを憂えて、隆寛律師が『一念多念分別事』を著したのは有名な話ですが、それは、そのどちらにも偏執してはならないと説かれているのです。同じく、親鸞聖人にも、この隆寛律師の著作を受けたとされる(実際には、ただの註釈書では無くて、拡大展開している)『一念多念証文』があります。要するに、こういう話です。
・一念をひがごととおもふまじき事。
・多念をひがごととおもふまじき事。
前半と後半に分かれるこの証文ですけれども、前半は一念をひがごと(僻事)、つまり誤ったことだと考えてはならないと示され、同時に、後半では多念を僻事、つまり誤ったことだと考えてはならないと示されます。親鸞聖人の立場も、隆寛律師と同じく、両方ともに偏執してはならないということです。更にこのようにも示されます。
一念多念のあらそひをなすひとをば、異学・別解のひとと申すなり。
異学といふは、聖道・外道におもむきて、余行を修し、余仏を念ず、吉日良辰をえらび、占相祭祀をこのむものなり。これは外道なり、これらはひとへに自力をたのむものなり。
別解は、念仏をしながら他力をたのまぬなり。別といふは、ひとつなることをふたつにわかちなすことばなり。解はさとるといふ、とくといふことばなり。念仏をしながら自力にさとりなすなり。かるがゆゑに別解といふなり。
また助業をこのむもの、これすなはち自力をはげむひとなり。
自力といふは、わが身をたのみ、わがこころをたのむ、わが力をはげみ、わがさまざまの善根をたのむひとなり。
同上、段落は拙僧
親鸞聖人はこのように断言されます。そもそも、修行の内容に、こちら側の都合を当て嵌めようとする一切の営みが、まさに「自力」と呼ばれるものといえます。この場合、親鸞聖人は、争いをする人を「異学」と「別解」としています。異学というのは、聖道門(自力門)や、仏道以外の教えであるとしています。要するに、念仏以外の修行も行う人であり、占いなどをする人です。これらは、何か良い事を為そうとする人であり、それが可能だといつの間にか思っている人です。
或いは別解ということは、念仏を中心にしつつも、その念仏の本質である阿弥陀仏の本願力を頼まない人のようです。念仏と本願が分かれて(=別)いるので、別解といいます。親鸞聖人は、一念と多念との争いを繰り広げる人達に、この自力の性質を看破したようなのです。
おもふやうには申しあらはさねども、これにて、一念多念のあらそひあるまじきことは、おしはからせたまふべし。浄土真宗のならひには、念仏往生と申すなり、まつたく一念往生・多念往生と申すことなし。これにてしらせたまふべし。
同上
結局、一念で往生するか?多念で往生するか?という話が無く、ただ念仏往生だというのです。親鸞聖人に至るまでの、日本の浄土教系信仰には、多念往生があったことは否めません。例えば、以前拙ブログでは、【私的往生極楽記】という連載をしたことがあって、その中にも、若干触れてはいるのですが、念仏の数を競うかの如くの修行をした人がいます。また、道元禅師がやはり、そういうお唱え事をひたすらに繰り返す修行法を批判したことを紹介する【念仏や読経を批判したのはやはり・・・】という記事も書きましたが、これなども、その無意味さが指摘されています。
なお、親鸞聖人と道元禅師とは、その思想的類同性を指摘する先行研究について、枚挙に暇がない程ですが、拙僧は余り評価していません。多分、たまたま残された文献が豊富であり、その「似ている部分を比較したら似ていた」という状況だろうと思っています。実際、もし、道元禅師が浄土門の人に影響を受けたとしても、それは親鸞聖人では無い別の念仏者、しかも、法然上人の直弟子であっただろうと思っています。よって、似ていて当たり前なのです。例えば、先に引いた、「一念往生でも、多念往生でも無くて、念仏往生だよ」という文脈について、道元禅師も似たようなことを仰っています。
聖教のなかに、在家成仏の説あれど、正伝にあらず、女身成仏の説あれど、またこれ正伝にあらず、仏祖正伝するは、出家成仏なり。
『正法眼蔵』「出家功徳」巻
これまでの仏教書の中には、在家成仏や女身成仏の説があったけど、それらは正伝では無くて、出家成仏だけが正しいのです、という文脈です。良く似ています。でも、これは偶然だと思いますね。単純化すれば「AでもBでも無くて、Cですよ」という話ですからね。探せば、もっと多くの事例が見つかることでしょう。状況からすれば、一種の「脱構築」です。
話を元に戻しますが、人はどうしても、修行法について、何らかの基準を打ち出そうとします。そして、その基準に合わないことを異端・異義だと退けようとします。ところが、これらは全て無意味です。そもそも争う必要は無いのです。何故ならば、その何が自らにとっての灯明となり、杖となり、大乗となるかは、あくまでもその人の環境に依っているからです。環境の中で最大限の努力をすること、それ以外に救いの途はないといえましょう。よって、何でも良いのです。ただ、この場で申し上げれば、多くの場合、拙僧のそれとは違うだろうということです。浄土真宗なら、信心と念仏の関係で、色々と議論があるのでしょうが、曹洞宗の場合は、坐禅と悟りの関係で、色々と議論があります。でも、何だって良いと思いますけどね。悟りを開く人は開くでしょう。或いは、坐禅に没頭する人もいるでしょう。どっちが良いかなんて、誰にも分かりません。その本人の自己満足以上でも以下でも無いのです。そんな下らない価値付けに加わるくらいなら、拙僧は拙僧の道を進みます、時間の無駄ですから。多分、親鸞聖人も、そういう心持ちだったのでは無いかと思いますけどね、どうでしょうか。
この記事を評価して下さった方は、
にほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。
これまでの読み切りモノ〈仏教10〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。
さて、最初に専修念仏宗を打ち立てた法然上人の入滅後、弟子達の間でこの一念義と多念義の争いが起き、それを憂えて、隆寛律師が『一念多念分別事』を著したのは有名な話ですが、それは、そのどちらにも偏執してはならないと説かれているのです。同じく、親鸞聖人にも、この隆寛律師の著作を受けたとされる(実際には、ただの註釈書では無くて、拡大展開している)『一念多念証文』があります。要するに、こういう話です。
・一念をひがごととおもふまじき事。
・多念をひがごととおもふまじき事。
前半と後半に分かれるこの証文ですけれども、前半は一念をひがごと(僻事)、つまり誤ったことだと考えてはならないと示され、同時に、後半では多念を僻事、つまり誤ったことだと考えてはならないと示されます。親鸞聖人の立場も、隆寛律師と同じく、両方ともに偏執してはならないということです。更にこのようにも示されます。
一念多念のあらそひをなすひとをば、異学・別解のひとと申すなり。
異学といふは、聖道・外道におもむきて、余行を修し、余仏を念ず、吉日良辰をえらび、占相祭祀をこのむものなり。これは外道なり、これらはひとへに自力をたのむものなり。
別解は、念仏をしながら他力をたのまぬなり。別といふは、ひとつなることをふたつにわかちなすことばなり。解はさとるといふ、とくといふことばなり。念仏をしながら自力にさとりなすなり。かるがゆゑに別解といふなり。
また助業をこのむもの、これすなはち自力をはげむひとなり。
自力といふは、わが身をたのみ、わがこころをたのむ、わが力をはげみ、わがさまざまの善根をたのむひとなり。
同上、段落は拙僧
親鸞聖人はこのように断言されます。そもそも、修行の内容に、こちら側の都合を当て嵌めようとする一切の営みが、まさに「自力」と呼ばれるものといえます。この場合、親鸞聖人は、争いをする人を「異学」と「別解」としています。異学というのは、聖道門(自力門)や、仏道以外の教えであるとしています。要するに、念仏以外の修行も行う人であり、占いなどをする人です。これらは、何か良い事を為そうとする人であり、それが可能だといつの間にか思っている人です。
或いは別解ということは、念仏を中心にしつつも、その念仏の本質である阿弥陀仏の本願力を頼まない人のようです。念仏と本願が分かれて(=別)いるので、別解といいます。親鸞聖人は、一念と多念との争いを繰り広げる人達に、この自力の性質を看破したようなのです。
おもふやうには申しあらはさねども、これにて、一念多念のあらそひあるまじきことは、おしはからせたまふべし。浄土真宗のならひには、念仏往生と申すなり、まつたく一念往生・多念往生と申すことなし。これにてしらせたまふべし。
同上
結局、一念で往生するか?多念で往生するか?という話が無く、ただ念仏往生だというのです。親鸞聖人に至るまでの、日本の浄土教系信仰には、多念往生があったことは否めません。例えば、以前拙ブログでは、【私的往生極楽記】という連載をしたことがあって、その中にも、若干触れてはいるのですが、念仏の数を競うかの如くの修行をした人がいます。また、道元禅師がやはり、そういうお唱え事をひたすらに繰り返す修行法を批判したことを紹介する【念仏や読経を批判したのはやはり・・・】という記事も書きましたが、これなども、その無意味さが指摘されています。
なお、親鸞聖人と道元禅師とは、その思想的類同性を指摘する先行研究について、枚挙に暇がない程ですが、拙僧は余り評価していません。多分、たまたま残された文献が豊富であり、その「似ている部分を比較したら似ていた」という状況だろうと思っています。実際、もし、道元禅師が浄土門の人に影響を受けたとしても、それは親鸞聖人では無い別の念仏者、しかも、法然上人の直弟子であっただろうと思っています。よって、似ていて当たり前なのです。例えば、先に引いた、「一念往生でも、多念往生でも無くて、念仏往生だよ」という文脈について、道元禅師も似たようなことを仰っています。
聖教のなかに、在家成仏の説あれど、正伝にあらず、女身成仏の説あれど、またこれ正伝にあらず、仏祖正伝するは、出家成仏なり。
『正法眼蔵』「出家功徳」巻
これまでの仏教書の中には、在家成仏や女身成仏の説があったけど、それらは正伝では無くて、出家成仏だけが正しいのです、という文脈です。良く似ています。でも、これは偶然だと思いますね。単純化すれば「AでもBでも無くて、Cですよ」という話ですからね。探せば、もっと多くの事例が見つかることでしょう。状況からすれば、一種の「脱構築」です。
話を元に戻しますが、人はどうしても、修行法について、何らかの基準を打ち出そうとします。そして、その基準に合わないことを異端・異義だと退けようとします。ところが、これらは全て無意味です。そもそも争う必要は無いのです。何故ならば、その何が自らにとっての灯明となり、杖となり、大乗となるかは、あくまでもその人の環境に依っているからです。環境の中で最大限の努力をすること、それ以外に救いの途はないといえましょう。よって、何でも良いのです。ただ、この場で申し上げれば、多くの場合、拙僧のそれとは違うだろうということです。浄土真宗なら、信心と念仏の関係で、色々と議論があるのでしょうが、曹洞宗の場合は、坐禅と悟りの関係で、色々と議論があります。でも、何だって良いと思いますけどね。悟りを開く人は開くでしょう。或いは、坐禅に没頭する人もいるでしょう。どっちが良いかなんて、誰にも分かりません。その本人の自己満足以上でも以下でも無いのです。そんな下らない価値付けに加わるくらいなら、拙僧は拙僧の道を進みます、時間の無駄ですから。多分、親鸞聖人も、そういう心持ちだったのでは無いかと思いますけどね、どうでしょうか。
この記事を評価して下さった方は、

これまでの読み切りモノ〈仏教10〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。