「眼蔵家」という言葉があります。良い意味と悪い意味とあるのですが、良い意味ですと、曹洞宗の宗典でも最高の価値を持つ『正法眼蔵』を良く参究されている専門家、ということになります。悪い意味ですと、本来、曹洞宗は坐禅功夫を修行の中心にすべきなのに、それを行わずに文字として『正法眼蔵』ばかり学んでいる者、ということになります。
さて、今日、その言葉を見ていきたい永久岳水先生については、研究者にはよく知られた先生であろうと思います。近代以降、『正法眼蔵』について、そのテキストの整備に努め、いわゆる「書誌学」を基準にした『正法眼蔵』研究を確立された先生です。その永久先生が、『正法眼蔵』を書誌学から見た時の入門書として『正法眼蔵物語』(昭和仏教全書)という著作をまとめておられるのですが、永久先生の思いを見ることが出来る一文がありました。
正法眼蔵の研究に着手しましてから、もはや五十年の星霜が過ぎ去り、まさに喜寿(註・77歳)を迎えようとしております。正法眼蔵の著述の歴史、編集の歴史、伝播の歴史、研究の歴史を解明し、新しい歴史眼をもって諸種の正法眼蔵を比較研究し、完全な正法眼蔵、正しい正法眼蔵、道元禅師に喜ばれる正法眼蔵、定本正法眼蔵を作成し編集して、この世に生まれた記念として残したいというのが私の一生の念願であります。正法眼蔵物語に続いて、正法眼蔵入門、定本正法眼蔵を撰述したいと朝夕努力精進しております。道元禅師のお導きと宗門諸大徳、正法眼蔵参究者の愛護を心から冀(こいねが)うものであります。
永久先生前掲同著、6〜7頁
今後機会があれば、拙ブログで連載にしようと思っている「『正法眼蔵』の学び方」という記事では、道元禅師の直弟子である永興詮慧禅師、経豪禅師、そして永平寺五世・義雲禅師から、江戸時代の宗乗家、明治時代の研究者など、様々な時代の『正法眼蔵』参究者の想いを汲み取って、その方々がどのような学びをされたかを見ていきたいと思っています。ただ、今の段階で、その予習した状況を考えてみますと、だいたいほぼ全ての参究者が、数年レベルではなくて、数十年レベルの参究を重ねてきていることが分かります。そして、永久先生もその1人であることが分かります。永久先生は或る時、『正法眼蔵』の提唱を聞きに行ったことがありました。当然に、自分で用意した講本を持っていったわけですが、その時に提唱してくださる講師先生のいう本文と、自分の見ている講本との本文とが明らかに違うと気付いたそうです。
そして、その後、『正法眼蔵』にも、伝写の状況で様々な本があることが分かり、内容にも相違があると気付いたそうです。現在では、「書誌学」として、我々研究者が当たり前のように参照する本文の同異は、この永久先生の調査などが元になって、詳しく知ることが出来るようになったのです。実際のところ、江戸時代にもこの本文の同異に関して指摘した先駆者がいたのですが、前提となる本文資料が限定的だったことと、それを主題に研究していたわけではないことなどから、部分的に留まったのです。
しかし、永久先生はそのテキストの同異に気付き、結果的にそれを専門的に追究することで、先の一文に見えるような「著述の歴史」「編集の歴史」「伝播の歴史」などを調べられ、「完全な正法眼蔵」をまとめたいと願ったのであります。ただ、実際のところ「完全な正法眼蔵」というのは、出来るのかどうか誰にも分からないといえるかと存じます。そもそも、どのテキストが『正法眼蔵』として認められるべきかは、未だに議論が残る分野であり、よほど確定的な成果を得させてくれる考古学資料の発見でもない限り、中途半端に留まるからです。そして、道元禅師が書かれた『正法眼蔵』の全てが、道元禅師の手元で完成させてくれたのなら、話は早いのですが、実際のところは、そんなに容易ではなく、一度書かれた本文を推敲して、その上で御自身、または懐弉禅師を中心とする弟子が清書して後世に伝えられた可能性があるのです。
道元禅師直筆の『正法眼蔵』は、驚くほど現存しておらず、「嗣書」「諸法実相」「祖師西来意」「行持(下)」巻辺りが残るばかりですが、特に「行持」巻をご覧いただくと、直筆原稿に多くの修正が入っています。また「嗣書」巻にも、草案本(下書き)と修訂本とが残っていて、細かな表現に同異が見えます。よって、多くの時間を費やして修正を繰り返していたのが『正法眼蔵』ということになるかもしれず、更にそれを清書された懐弉禅師は本当に大変だっただろうと推測出来るのです。なお、ここまで時代が下った現代で、「定本」としての『正法眼蔵』を作る労苦は、懐弉禅師の時代に比べ、決して楽なことではないでしょうし、おそらくは徹底して研究しても、究極に定まることはないとまでいえましょう。
しかし、だからこそ永久先生の誓願を語り継ぎ、後の者達が同じ志を持ってこの作業に従事する必要があるともいえるのです。直筆原稿が極端に少ないものの、膨大な文献が残された『正法眼蔵』ならではの仕事でもあり、他宗派には類をみないものです。或る意味、我々曹洞宗学研究者のアイデンティティーに関わるといえましょう。そして、実は『伝光録』も同じ状況であると知ることが出来るのです。仕事はまだまだ残されています。
この記事を評価して下さった方は、
にほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。
これまでの読み切りモノ〈曹洞宗5〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。
さて、今日、その言葉を見ていきたい永久岳水先生については、研究者にはよく知られた先生であろうと思います。近代以降、『正法眼蔵』について、そのテキストの整備に努め、いわゆる「書誌学」を基準にした『正法眼蔵』研究を確立された先生です。その永久先生が、『正法眼蔵』を書誌学から見た時の入門書として『正法眼蔵物語』(昭和仏教全書)という著作をまとめておられるのですが、永久先生の思いを見ることが出来る一文がありました。
正法眼蔵の研究に着手しましてから、もはや五十年の星霜が過ぎ去り、まさに喜寿(註・77歳)を迎えようとしております。正法眼蔵の著述の歴史、編集の歴史、伝播の歴史、研究の歴史を解明し、新しい歴史眼をもって諸種の正法眼蔵を比較研究し、完全な正法眼蔵、正しい正法眼蔵、道元禅師に喜ばれる正法眼蔵、定本正法眼蔵を作成し編集して、この世に生まれた記念として残したいというのが私の一生の念願であります。正法眼蔵物語に続いて、正法眼蔵入門、定本正法眼蔵を撰述したいと朝夕努力精進しております。道元禅師のお導きと宗門諸大徳、正法眼蔵参究者の愛護を心から冀(こいねが)うものであります。
永久先生前掲同著、6〜7頁
今後機会があれば、拙ブログで連載にしようと思っている「『正法眼蔵』の学び方」という記事では、道元禅師の直弟子である永興詮慧禅師、経豪禅師、そして永平寺五世・義雲禅師から、江戸時代の宗乗家、明治時代の研究者など、様々な時代の『正法眼蔵』参究者の想いを汲み取って、その方々がどのような学びをされたかを見ていきたいと思っています。ただ、今の段階で、その予習した状況を考えてみますと、だいたいほぼ全ての参究者が、数年レベルではなくて、数十年レベルの参究を重ねてきていることが分かります。そして、永久先生もその1人であることが分かります。永久先生は或る時、『正法眼蔵』の提唱を聞きに行ったことがありました。当然に、自分で用意した講本を持っていったわけですが、その時に提唱してくださる講師先生のいう本文と、自分の見ている講本との本文とが明らかに違うと気付いたそうです。
そして、その後、『正法眼蔵』にも、伝写の状況で様々な本があることが分かり、内容にも相違があると気付いたそうです。現在では、「書誌学」として、我々研究者が当たり前のように参照する本文の同異は、この永久先生の調査などが元になって、詳しく知ることが出来るようになったのです。実際のところ、江戸時代にもこの本文の同異に関して指摘した先駆者がいたのですが、前提となる本文資料が限定的だったことと、それを主題に研究していたわけではないことなどから、部分的に留まったのです。
しかし、永久先生はそのテキストの同異に気付き、結果的にそれを専門的に追究することで、先の一文に見えるような「著述の歴史」「編集の歴史」「伝播の歴史」などを調べられ、「完全な正法眼蔵」をまとめたいと願ったのであります。ただ、実際のところ「完全な正法眼蔵」というのは、出来るのかどうか誰にも分からないといえるかと存じます。そもそも、どのテキストが『正法眼蔵』として認められるべきかは、未だに議論が残る分野であり、よほど確定的な成果を得させてくれる考古学資料の発見でもない限り、中途半端に留まるからです。そして、道元禅師が書かれた『正法眼蔵』の全てが、道元禅師の手元で完成させてくれたのなら、話は早いのですが、実際のところは、そんなに容易ではなく、一度書かれた本文を推敲して、その上で御自身、または懐弉禅師を中心とする弟子が清書して後世に伝えられた可能性があるのです。
道元禅師直筆の『正法眼蔵』は、驚くほど現存しておらず、「嗣書」「諸法実相」「祖師西来意」「行持(下)」巻辺りが残るばかりですが、特に「行持」巻をご覧いただくと、直筆原稿に多くの修正が入っています。また「嗣書」巻にも、草案本(下書き)と修訂本とが残っていて、細かな表現に同異が見えます。よって、多くの時間を費やして修正を繰り返していたのが『正法眼蔵』ということになるかもしれず、更にそれを清書された懐弉禅師は本当に大変だっただろうと推測出来るのです。なお、ここまで時代が下った現代で、「定本」としての『正法眼蔵』を作る労苦は、懐弉禅師の時代に比べ、決して楽なことではないでしょうし、おそらくは徹底して研究しても、究極に定まることはないとまでいえましょう。
しかし、だからこそ永久先生の誓願を語り継ぎ、後の者達が同じ志を持ってこの作業に従事する必要があるともいえるのです。直筆原稿が極端に少ないものの、膨大な文献が残された『正法眼蔵』ならではの仕事でもあり、他宗派には類をみないものです。或る意味、我々曹洞宗学研究者のアイデンティティーに関わるといえましょう。そして、実は『伝光録』も同じ状況であると知ることが出来るのです。仕事はまだまだ残されています。
この記事を評価して下さった方は、

これまでの読み切りモノ〈曹洞宗5〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。