以前、法然上人の授戒の状況を探るために読んだ『源平盛衰記』という著作があるのですが、この著作に気になる一節がありました。確認したいと思います。
世の人のことわざに、知慧第一法然坊、持律第一葉上房、支度第一春乗房、慈悲第一阿証坊といはれけり。
『源平盛衰記』
これは、法然上人の在世時に、世の人のいう諺に、4人の僧侶の名前が出ていたというのです。まず、「智恵第一」は良いですよね。浄土宗の開祖である法然上人は、非常に優れた智慧を持った人として尊崇されていました。また、三昧発得に優れ、ただの専修念仏者として生きる他に、その宗教性には凄味があります。
また、「持律第一葉上房」も、我々には馴染みのある方です。この方は、京都建仁寺開山・明庵栄西禅師のことです。栄西禅師は、天台宗で天台教学や密教を学ぶ人でありながら、更には中国に渡って臨済宗(黄竜派)の法系と比丘戒(多賀宗隼氏『栄西』吉川弘文館人物叢書、233頁参照)を将来した人であります。栄西禅師には『出家大綱』などの著作があり、『律蔵』に通じた人であったこと、或いは、その護持にも力を入れた人であることは間違い無いところです。道元禅師は、その法孫として、栄西禅師の道業を褒め讃え、また、同時に栄西禅師や、その直弟子が中心的な役職を勤めていた建仁寺では様々な法儀が緩むことがなかったとも述べています(『正法眼蔵随聞記』)。
そして、後の2人は、残念ながら拙僧も存じません。とはいえ、「慈悲第一阿証房」については、文字だけで分かります。慈悲溢れる人で、その実践も優れていたのでしょう。ところが、「支度第一春乗房」については、意味不明です。何でしょう?支度といえば、普通に考えれば「準備」とか、「段取り」のような意味です。それが巧い人・・・今ならこの人に、合コンの幹事をやらせると無敵かもしれません。
巫山戯ていると怒り出しそうな人もいるので、本題に戻りますが、ここで「支度」という意味を調べてみたいと思います。例えば、道元禅師ならば、以下のような文脈で用いています。
一日ある客僧の云ク、「近代の遁世の法、各々時料等の事、かまへて、後、わづらひなきやうに支度す。これ小事なりと云へども学道の資縁なり。かけぬれば事の違乱出来ル。今こノ御様を承り及ブに、一切その支度無く、ただ天運にまかすト。こと実ならば、後時の違乱あらん。如何。」
『随聞記』巻5-11
これですと、先に挙げた「準備」とか「段取り」の意味に近いですよね。要するに、最近(「近代」はこの意味)では、遁世するのに、その時々の収入なども或る程度、煩いがないように「支度」して、行うべきだというわけです。もし、支度することなく、ただ天運に任せて遁世しても、後に混乱を来すのはないか?と、或る客僧が聞いているわけです。まぁ、本文は引きませんが、道元禅師の解答は、最初から準備して行うべきではなく、困ったら手立てを講じろ、と述べています。やはり、「ここで遁世するのだ」という決意が大切なのでしょう。
ただ我れ能く思惟して、誠に仏道に志あらば、何なる支度方便をも案じて、母儀の安堵活命をも支度して仏道に入ラば、両方倶によき事なり。こはき敵、ふかき色、おもき宝なれども、切に思ふ心ふかかれば、必ズ方便も出来ルやうもあるべし。是レ天地善神の冥加も有ツて必ズ成るなり。
『随聞記』巻4-10
ここで、「支度方便」という言葉が出て来ました。これは何でしょう?同じ一文に、母親が安堵して生き長らえるように「支度」して、仏道に入れば・・・という文章も出て来ます。「支度方便」というのはどんな意味なのでしょうか。ここで、拙僧、辞書の記述に頼ろうと思ったんですけど、大して書いてない?
・・・あ、「支度方便」って、道元禅師とか日蓮聖人が使っているから、てっきり漢訳仏典にある言葉かと思っていたら、無いんですね。だとすると、支度と方便はやっぱり別か?日蓮聖人は、まだ生死の夢の中に生きる衆生に対し、『法華経』への目覚めを促すような、様々な大乗仏典があるとして、その仏典のことを「支度方便の権教」(取意)と呼んでいます。そうなると、仏道への道を歩むことを助けるような手段のことを、「支度方便」といっている気がしてきます。これなら、先の道元禅師の用法にも繋がってきます。
要するに、「春乗房」とは、仏道に人を歩ませるのが巧みな人であったということになるのでしょう。「合コンの幹事」ではなく、むしろ、「同行二人」の方であったか。
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世の人のことわざに、知慧第一法然坊、持律第一葉上房、支度第一春乗房、慈悲第一阿証坊といはれけり。
『源平盛衰記』
これは、法然上人の在世時に、世の人のいう諺に、4人の僧侶の名前が出ていたというのです。まず、「智恵第一」は良いですよね。浄土宗の開祖である法然上人は、非常に優れた智慧を持った人として尊崇されていました。また、三昧発得に優れ、ただの専修念仏者として生きる他に、その宗教性には凄味があります。
また、「持律第一葉上房」も、我々には馴染みのある方です。この方は、京都建仁寺開山・明庵栄西禅師のことです。栄西禅師は、天台宗で天台教学や密教を学ぶ人でありながら、更には中国に渡って臨済宗(黄竜派)の法系と比丘戒(多賀宗隼氏『栄西』吉川弘文館人物叢書、233頁参照)を将来した人であります。栄西禅師には『出家大綱』などの著作があり、『律蔵』に通じた人であったこと、或いは、その護持にも力を入れた人であることは間違い無いところです。道元禅師は、その法孫として、栄西禅師の道業を褒め讃え、また、同時に栄西禅師や、その直弟子が中心的な役職を勤めていた建仁寺では様々な法儀が緩むことがなかったとも述べています(『正法眼蔵随聞記』)。
そして、後の2人は、残念ながら拙僧も存じません。とはいえ、「慈悲第一阿証房」については、文字だけで分かります。慈悲溢れる人で、その実践も優れていたのでしょう。ところが、「支度第一春乗房」については、意味不明です。何でしょう?支度といえば、普通に考えれば「準備」とか、「段取り」のような意味です。それが巧い人・・・今ならこの人に、合コンの幹事をやらせると無敵かもしれません。
巫山戯ていると怒り出しそうな人もいるので、本題に戻りますが、ここで「支度」という意味を調べてみたいと思います。例えば、道元禅師ならば、以下のような文脈で用いています。
一日ある客僧の云ク、「近代の遁世の法、各々時料等の事、かまへて、後、わづらひなきやうに支度す。これ小事なりと云へども学道の資縁なり。かけぬれば事の違乱出来ル。今こノ御様を承り及ブに、一切その支度無く、ただ天運にまかすト。こと実ならば、後時の違乱あらん。如何。」
『随聞記』巻5-11
これですと、先に挙げた「準備」とか「段取り」の意味に近いですよね。要するに、最近(「近代」はこの意味)では、遁世するのに、その時々の収入なども或る程度、煩いがないように「支度」して、行うべきだというわけです。もし、支度することなく、ただ天運に任せて遁世しても、後に混乱を来すのはないか?と、或る客僧が聞いているわけです。まぁ、本文は引きませんが、道元禅師の解答は、最初から準備して行うべきではなく、困ったら手立てを講じろ、と述べています。やはり、「ここで遁世するのだ」という決意が大切なのでしょう。
ただ我れ能く思惟して、誠に仏道に志あらば、何なる支度方便をも案じて、母儀の安堵活命をも支度して仏道に入ラば、両方倶によき事なり。こはき敵、ふかき色、おもき宝なれども、切に思ふ心ふかかれば、必ズ方便も出来ルやうもあるべし。是レ天地善神の冥加も有ツて必ズ成るなり。
『随聞記』巻4-10
ここで、「支度方便」という言葉が出て来ました。これは何でしょう?同じ一文に、母親が安堵して生き長らえるように「支度」して、仏道に入れば・・・という文章も出て来ます。「支度方便」というのはどんな意味なのでしょうか。ここで、拙僧、辞書の記述に頼ろうと思ったんですけど、大して書いてない?
・・・あ、「支度方便」って、道元禅師とか日蓮聖人が使っているから、てっきり漢訳仏典にある言葉かと思っていたら、無いんですね。だとすると、支度と方便はやっぱり別か?日蓮聖人は、まだ生死の夢の中に生きる衆生に対し、『法華経』への目覚めを促すような、様々な大乗仏典があるとして、その仏典のことを「支度方便の権教」(取意)と呼んでいます。そうなると、仏道への道を歩むことを助けるような手段のことを、「支度方便」といっている気がしてきます。これなら、先の道元禅師の用法にも繋がってきます。
要するに、「春乗房」とは、仏道に人を歩ませるのが巧みな人であったということになるのでしょう。「合コンの幹事」ではなく、むしろ、「同行二人」の方であったか。
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