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Channel: つらつら日暮らし
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霧の中の明恵上人

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霧の中の僧侶というと、道元禅師が示された以下の一節が思い出されるところです。

古人云ク、「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる。」ト。
    『正法眼蔵随聞記』巻5-3

これは良く、「道元禅師の教え」という風に紹介されている場合がありますが、実際には「古人云く」とあるように、引用形式にて示されたものであり、典拠は中国禅宗の潙山霊祐禅師による『潙山警策』になります。これでは、霧の中を歩いているときには、本人が気付かずもいつの間にか濡れているように、優れた指導者の側にいれば、それだけで弟子の側も成長するという話でした。今日見ていく話は、それとはちょっと違いますが、「霧」のお話しです。

  高尾の住房にいるときに、夜も更けて月が傾いてきた頃、
  雨が降る空に雲があるのを見ると、霧が立って草庵の内に満ちてきた。
  そこに並んでいた人々が霧に纏われて、絹を着たかと見える有り様が面白くて・・・
 さよふけて風すさまじき山寺に ころも重ぬる秋の霧かな
    「明恵上人歌集」歌の因縁は拙僧ヘタレ訳

こちらは、先ほどのような仏法に因んだ話ではなくて、朝晩寒くなる高尾山の高山寺にいた明恵上人が、その寺の建物の中に霧が入ってきた際に見えた、非常に面白い様子を歌にしたものです。イメージ的には、山の周囲を霧が薄く覆っている感じだと思っていただければ良いのではないでしょうか?そのように僧侶を霧が覆っている様子を明恵上人は、まるで全員が絹の衣を着ているようだというのです。

絹の衣といえば、いわゆる天女ですよ、天女。天女の羽衣を描いた絵でも、何だか天女の周囲にフワフワ浮いている感じがするわけですが、それと同じような感じが僧侶たちに見えたわけです。ただ、非常に残念なのは、ここでそのような「羽衣」に覆われているのが、天女のような美しい女性ではなくて、無骨で必死に禅定修行をする僧侶たちだったというところでしょうか。いや、もちろん、そういう人達こそが好きだというような人がいるかもしれませんが、実際には絵にならなそうです。

まぁでも、とりあえずこういう風景に、一定の面白みや、美を感じてしまう明恵上人、今ならアーティストになっておられたかもしれませんね。実際に、明恵上人は、講式を多く整備されたともされており、その意味では、既にプロデューサーや、演出家としての才能には不足していなかったと思うのですが、その後その美を後代に伝えるための才能というのも、発揮することを期待したいものです。

それから、色々な解説を読むと、明恵上人というのは、そんなに和歌が上手くなかったようで・・・上手くないというのは、拙いというよりも、技巧に走らなかったという意味のようです。つまり、奇を衒わずに、その時の思いなどをそのまま和歌にしたらしく、読むときには掛詞などを最低限考慮しておけば良いということのようです。そういえば、道元禅師も歌を詠むときに余計な技巧に走ることを批判したわけですが、仏教者たるもの、虚飾に溺れる必要は無いようです。

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