とりあえず、以下の一文をご覧いただきたい。
そのかみ、みだりに嗣書を請する、参学の倉卒なり、無道心のいたりなり、無稽古のはなはだしきなり、無遠慮なりといふべし、道機ならずといふべし、疏学のいたりなり。貪名愛利によりて、仏祖の堂奥を、おかさんとす。あはれむべし、仏祖の語句をしらざることを。稽古はこれ自証と会せず、万代を渉猟するは自悟ときかず、学せざるによりて、かくのごとく不是あり、かくのごとくの自錯あり。かくのごとくなるによりて、宗杲禅師の門下に、一箇半箇の真巴鼻あらず、おほくこれ仮底なり。仏法を会せず、仏法を不会せざるは、かくのごとくなり。而今の雲水、かならず審細の参学すべし、疏慢なることなかれ。
『正法眼蔵』「自証三昧」巻、下線は拙僧
これは、道元禅師が、中国臨済宗の大慧宗杲禅師を批判して示された一文である。実際の伝記上、この事実があるかどうかは、議論の余地があるのだが、道元禅師は大慧禅師が、自ら参じた師に対し、いたずらに印可証明や、その証明書(嗣書)を求めたといって、以上のように批判しているのである。確かにそれは、現代であっても批判されるべき事柄である。師が権威主義的に弟子に嗣法しないのは問題であるが、弟子の側から求めるのは尚更に問題である。いわば、「自分は悟ったので認めてください」とか、「私を仏祖として認めてください」と言っているようなモノだからである。まさに、恥知らずである・・・道元禅師は、御自身が身心脱落されたときであっても、「暫時の技量」であるとし、乱りに認めないように如浄禅師に願ったほどであった。それくらいの謙虚さが必要である。
何故ならば、本当に大悟し、仏祖となっているのなら、焦らずとも必ず正師から印可証明され、『嗣書』が伝授されるからだ。いや、本来であれば、学人を正しく導いてくれるような「善知識」を得て、「正師」として仰いで、初めて正しき修行も大悟も印可証明もあると会するべきである。だからこそ、道元禅師は『学道用心集』にて、正師を得なくては、まだ学ばない方が良いと述懐し、同じく『正法眼蔵』「嗣書」巻にて、「この仏道、かならず嗣法するとき、さだめて嗣書あり。もし嗣法なきは、天然外道なり」ともされる。やはり、正しく修行され、仏祖の大道を歩んでいれば、喩え遅々とした歩みであっても、必ずその道中に、嗣法は現成する。
さて、今回この一節を参照したのは、この話をするためではなくて、特に下線部を参照したいためである。よくよく読んでいただきたいが、この一節は不思議である。文字通り読むと、ただの矛盾した文章にしか見えない。何故ならば、「仏法を会せず」というのは、大慧宗杲及びその門下が、「仏法を会得していない」と理解出来る。ところが、後者の「仏法を不会せざる」は、「仏法を会得していないわけではない」となってしまう。よって、こちらを見る限り、大慧一派を評価しているようにも採れてしまう。
ところが、それが大きな間違いである。
道元禅師の「不会」というのは、「会得していない」というわけではなくて、「会得するものがない」の意味である。今更に会得出来ないほどに、仏法と一体であることが「不会」というのである。よって、ここでは、「会得していないわけではない」の意味ではなくて、「会得するものがない状態に到っていない」の意味である。つまりは、単純に「会得していない」と批判しただけではなくて、強めて更に仏法の未参学なる様子をも批判したといえる。
よって、批判の意図と射程とを正しく理解したとき、上記引用文の末尾に見える「而今の雲水、かならず審細の参学すべし、疏慢なることなかれ」という一節は、後代の学人にとって、修行の緩くすべからざる様子を知らしめられることとなる。「審細」という言葉は、詳らかに、細やかに、ということである。微細なことであっても、それを必ず仏意・祖訓に開いて、自らの参学の指針とすべきことをいう。我々はただ漫然と坐するのではない。文字通り、細やかに仏意・祖訓に触れるために坐するのである。そのことを忘れて、漫然と坐するときには、「坐臥」に関わる事になるのであり、それを脱落すべしと説いた『正法眼蔵』「坐禅儀」巻の真意には触れることが出来ず終いであろう。当然に、「正伝の仏法」を見ることも無い。それは、禅宗ではあるかもしれないが、仏道ではない。
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そのかみ、みだりに嗣書を請する、参学の倉卒なり、無道心のいたりなり、無稽古のはなはだしきなり、無遠慮なりといふべし、道機ならずといふべし、疏学のいたりなり。貪名愛利によりて、仏祖の堂奥を、おかさんとす。あはれむべし、仏祖の語句をしらざることを。稽古はこれ自証と会せず、万代を渉猟するは自悟ときかず、学せざるによりて、かくのごとく不是あり、かくのごとくの自錯あり。かくのごとくなるによりて、宗杲禅師の門下に、一箇半箇の真巴鼻あらず、おほくこれ仮底なり。仏法を会せず、仏法を不会せざるは、かくのごとくなり。而今の雲水、かならず審細の参学すべし、疏慢なることなかれ。
『正法眼蔵』「自証三昧」巻、下線は拙僧
これは、道元禅師が、中国臨済宗の大慧宗杲禅師を批判して示された一文である。実際の伝記上、この事実があるかどうかは、議論の余地があるのだが、道元禅師は大慧禅師が、自ら参じた師に対し、いたずらに印可証明や、その証明書(嗣書)を求めたといって、以上のように批判しているのである。確かにそれは、現代であっても批判されるべき事柄である。師が権威主義的に弟子に嗣法しないのは問題であるが、弟子の側から求めるのは尚更に問題である。いわば、「自分は悟ったので認めてください」とか、「私を仏祖として認めてください」と言っているようなモノだからである。まさに、恥知らずである・・・道元禅師は、御自身が身心脱落されたときであっても、「暫時の技量」であるとし、乱りに認めないように如浄禅師に願ったほどであった。それくらいの謙虚さが必要である。
何故ならば、本当に大悟し、仏祖となっているのなら、焦らずとも必ず正師から印可証明され、『嗣書』が伝授されるからだ。いや、本来であれば、学人を正しく導いてくれるような「善知識」を得て、「正師」として仰いで、初めて正しき修行も大悟も印可証明もあると会するべきである。だからこそ、道元禅師は『学道用心集』にて、正師を得なくては、まだ学ばない方が良いと述懐し、同じく『正法眼蔵』「嗣書」巻にて、「この仏道、かならず嗣法するとき、さだめて嗣書あり。もし嗣法なきは、天然外道なり」ともされる。やはり、正しく修行され、仏祖の大道を歩んでいれば、喩え遅々とした歩みであっても、必ずその道中に、嗣法は現成する。
さて、今回この一節を参照したのは、この話をするためではなくて、特に下線部を参照したいためである。よくよく読んでいただきたいが、この一節は不思議である。文字通り読むと、ただの矛盾した文章にしか見えない。何故ならば、「仏法を会せず」というのは、大慧宗杲及びその門下が、「仏法を会得していない」と理解出来る。ところが、後者の「仏法を不会せざる」は、「仏法を会得していないわけではない」となってしまう。よって、こちらを見る限り、大慧一派を評価しているようにも採れてしまう。
ところが、それが大きな間違いである。
道元禅師の「不会」というのは、「会得していない」というわけではなくて、「会得するものがない」の意味である。今更に会得出来ないほどに、仏法と一体であることが「不会」というのである。よって、ここでは、「会得していないわけではない」の意味ではなくて、「会得するものがない状態に到っていない」の意味である。つまりは、単純に「会得していない」と批判しただけではなくて、強めて更に仏法の未参学なる様子をも批判したといえる。
よって、批判の意図と射程とを正しく理解したとき、上記引用文の末尾に見える「而今の雲水、かならず審細の参学すべし、疏慢なることなかれ」という一節は、後代の学人にとって、修行の緩くすべからざる様子を知らしめられることとなる。「審細」という言葉は、詳らかに、細やかに、ということである。微細なことであっても、それを必ず仏意・祖訓に開いて、自らの参学の指針とすべきことをいう。我々はただ漫然と坐するのではない。文字通り、細やかに仏意・祖訓に触れるために坐するのである。そのことを忘れて、漫然と坐するときには、「坐臥」に関わる事になるのであり、それを脱落すべしと説いた『正法眼蔵』「坐禅儀」巻の真意には触れることが出来ず終いであろう。当然に、「正伝の仏法」を見ることも無い。それは、禅宗ではあるかもしれないが、仏道ではない。
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