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仏教に於ける地震の扱い―1月17日阪神・淡路大震災の日に因んで

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今日1月17日といえば、忘れもしない1995年早朝、兵庫県南部を襲った阪神・淡路大震災が起きた日である。改めて6,000人を超える犠牲者の方々に哀悼の意を表したい。更に、昨年は3月11日に東日本大震災が発生し、広範なる地域で大きな被害を出した。同じくして発生した、福島県第一原発の放射能汚染の問題は、未だに大きな社会問題として残り続けている。一東北人として、一刻も早い解決を願う。

さて、この日本は地震大国である。いや、もちろん、一部の地域を除いて、世界のどこでも地震は起きているのだが、それを思う時、既にその誕生から2500年に及ばんとする仏教に於いて地震について何も言っていないはずが無いと思うのである。そこで、インドでの状況は中村元先生訳『ブッダ最後の旅』(岩波文庫)でもご覧いただくとして、ここで日本での状況を見ていきたい。

その被害に対する記述が多く知られているのが、平安時代末期の京都を襲った大地震を記録したものである。今年はNHK大河ドラマで『平清盛』が放映されているが、その平氏の盛衰を描いた『平家物語』巻十二に次のようにあります(類似した記述は、鴨長明『方丈記』[1212年成立、今年でちょうど800年]にも見える)。

 同じ年(1185年)の七月九日、正午頃、大地が立て続けに動き、それがしばらく続いた。赤県(都)の内、白河のほとりにあった六つの勅願寺は、皆壊れて崩れてしまった。(法勝寺の)九重の塔も、上六重までが震えて落ちてしまった。得長寿院も、三十三間の御堂が、十七間まで震え倒れてしまった。皇居を始めとして、人々の家々、各地にある神社・仏閣などまですっかり破れて崩れてしまった。
 崩れる音は、雷の如くであり、巻き上がった塵は煙のようであった。天は暗くなり、日の光は見えなくなった。老人も若者も、皆魂消てしまい、全ての人々は心労を重ねた。また、(都以外の)遠近の諸国も同様の状況であった。
 大地が裂けて水が湧き出て、(山上にある)盤石も割れて谷に落ちた。山が崩れて河を埋め、海も漂い浜を浸した。なぎさを往く船は波に揺られ、陸を往く馬は足場を定めることも出来なかった。洪水が来たが、丘に登ってもどうすることもできない。猛火が燃え来たら、河を隔てていても避けることは出来ない。
全くどうしようもないのが大地振(大地震に同じ)である。鳥ではないから空に逃げるわけにもいかず、竜ではないから雲に上るわけにもいかない。白河・六波羅・京中では建物の下敷きになって死んだ者が、どれほどの数か知られない。
「四大(=仏教で説く元素・地水火風)では、水・火・風は常に害をなすが、大地においては異変は起きないはずなのに、これはどうしたことか?」といって、身分の上下に関わらず、(身を守るために)引き戸や襖を立てて、天が鳴り、余震が来る度に、「今にも死んでしまう」といいながら、声を振るって念仏を申していた。
    岩波文庫本『平家物語(四)』290頁、管理人拙訳

このように、『平家物語』では、1185年(元暦2)7月9日に、京都近郊を襲った大地震を描いている。当時の都の中心を占め、民衆に良く知られた大型建築が崩れ、山河大地の様子も一変したこと、そして多くの死者が出たことが分かる。そして、当時は徐々に法然上人(1133〜1212)の専修念仏が流行しだした頃であったが、その教えなどに従って念仏する人も多く見られたということになるのだろう。

まさに末法そのものである。

『平家物語』は流石に、「説話」だけあって、この辺の描写が極めて優れている。簡潔な文章であるが、却って我々に訴えるものがある。それは、情景が一変する様子に合わせ、人々の心の有り様が示されていることである。しかも、ただ混乱したというような言い方では無い。その人の行動でもって、混乱振りを示すやり方である。この時、我々の心のあり方が一番分かるのである。天が鳴り、余震が来る度に自らの死を恐怖して、念仏を唱えるという辺りに、当時の人々の様子を知るべきである。何も頼るモノが無く、生への希望も失せて、それならば、せめて死んだ時に極楽に転生しようという思いで念仏に至るのである。

なお、これと同じ地震について重複する内容だが、鴨長明『方丈記』には、こんな記述もある。

この地震が起きてすぐは、人は皆、世の儚い様子を述べて、多少なりとも、心の濁り(執着心)も薄らぐ様子であったが、月日が経って、年が経た後は、言葉に出して言うような人もいなくなった。
    管理人拙訳

これこそが凡夫である。その時だけ盛り上がり、結果的に「喉元過ぎれば熱さ忘れ」てしまうのである。阪神・淡路大震災の時に、自分の御身内を亡くされた方も少なくないと思うが、そういう方は、生涯、この地震を忘れることは無いだろう。しかし、そうでは無い方々は、何かの拍子にしか思い出さないかも知れない。だからこそ、こういう震災発生当日などは、改めて哀悼の意を捧げる日として、我々は思い起こしていくべきである。

また、鴨長明が指摘していることは、更に深みがある。我々は震災発生当日、或いはその被害状況を聞いたその日には、哀れにも想い、この世の無常を感じることだろう。ところが、それは日常の中にかき消され、いずれ忘れてしまう。ここからは、どれほどに激甚なる災害の状況に置かれても、「観無常」が難しいということだ。しかし、それでも観無常は菩提への第一歩である。発心となる。よって、あらゆる機会を見付けて、観無常していきたいところだ。そして、観無常したら、それを永く心に留めるべきなのだ。生死事大・無常迅速という世の実相に催され、我々の学道は増進する。

学道の増進とは、ただ自らの修行の完成を願うことのみでは無い。自未得度先度他という言葉にある通り、或いは最近では同悲同苦などともいわれるが、世の苦しみに寄り添い、自分よりも先に他の生きとし生けるものの宗教的完成を願う心持ちである。自利利他円融である。そのような人を、1人でも作っていくこと、一気にマスを狙うのでは無い。まさに眼前の1人を、いや自分自身を救うことから始めるのが仏道の歩みである。

今日のような日には、2ヶ月後に来る東日本大震災の一周忌を想い、そのような「同志」を増やし、邂逅出来る機会をただありがたく想い、待つのである。待つだけではなく、しかし、積極的で無くても良い、ちょっとだけ、周囲の人にも、震災のことと、菩薩の生き方について話す機会が増えることを願うのである。少なくとも、残った者にとっての責務であろう。

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