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道元禅師の「随身のススメ」

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最近でこそ、ずいぶんとその実施は数を減らしたと聞きますが、しかし、曹洞宗には師に随順して、その生き方そのものを真似る(学ぶ)ことで仏道修行を進める「随身」という学び方がありました。無論、それは歴史的には禅宗での修行に多く見えることでした。

 爾の時に釈迦牟尼仏、霊鷲山に在す。因に薬王菩薩、大衆に告げて言く、若し法師に親近せば、即ち菩薩道を得ん。是の師に随順して学せば、恒沙仏に見ゆることを得ん。

 いはゆる親近法師といふは、二祖の八載事師のごとし。しかうしてのち、全臂得髄なり。南嶽の十五年の辨道のごとし。師の髄をうるを、親近といふ。菩薩道といふは、吾亦如是、汝亦如是なり。如許多の蔓枝行李を即得するなり。即得は、古来より現ぜるを引得するにあらず、未生を発得するにあらず、現在の漫漫を策把するにあらず、親近得を脱落するを、即得といふ。このゆえに、一切の得は即得なり。
 随順是師学は、猶是侍者の古蹤なり、参究すべし。この正当恁麼行李時、すなはち得見の承当あり。そのところ、見恒沙仏なり。恒沙仏は、頭頭活鱍鱍聻なり。あながちに見恒沙仏をわしり、へつらふことなかれ。まづすべからく随師学をはげむべし、随師学得仏見なり。
    『正法眼蔵』「見仏」巻

冒頭に引かれた一文は『妙法蓮華経』「法師品」になります。その中で、薬王菩薩が大衆に対して、法師に近付けば菩薩道を得て、その師に随順して学べば、数多くの諸仏に見えることが出来るとしているのです。この主題は巻は「見仏」です。我々は見仏というと、対象として「仏」「仏陀」「仏像」が見えることをそれだと考えてしまいがちですが、道元禅師は別のように解釈されます。つまり、対象として見る、視覚的情報として限定されることではなくて、もっと触覚的かつ基底的に進退に於いて感じられることであるといえます。

さて、その一文を受けて提唱された道元禅師は、法師に親近することとは、中国禅宗二祖の慧可大師が達磨大師に8年お仕えした事実であるとし、そして「全臂得髄」と示されています。この語は、非常に難しいものです。少なくとも、道元禅師以外でこの語を使った人が見えません。よって、法孫たちの註釈に期待したいところなのですが・・・直弟子達が記した『正法眼蔵御抄』には特に無し。後は江戸時代に註釈されたものの中に次のような記述がありました。

・全臂得髄とは断臂して法の全臂を得、皮肉を得られた。
    斧山玄鈯『正法眼蔵聞解』「見仏」巻
・全臂とは断臂の瘢痕とするなく、不壊全身なることをの玉ふなり。
    天桂伝尊『正法眼蔵弁註』「見仏」篇

だいたい似たようなことをいっているような気がするのですが、要するに【雪の夕べに臂を断ち〜♪】という記事で明らかにしたように、二祖慧可による断臂というのは、ただ仏道への志を達磨大師に示すという精神主義的な発想に留まらず、一つの「捨身」として法に親しいということなのです。法に親しいが故に、法の全臂を得ることもあり、不壊全身であることも得るわけです。この時の「全」とは、道元禅師が多用される「仏法の全道」などに見る「全」と同義であり、並ぶ物無き、絶対普遍への直観によって記述される一切の事象に付される定冠詞といえます。

また、南岳懐譲は六祖慧能に15年仕えて修行されています。このようにして、師の「髄」を得ることを、親近というのです。ただ、自分で修行するから良いとか、経典で学べば良いといったようなレベルの低い話ではなく、直接師に見えて、その膝下にあって法を「体得」するということが大事、だからこそ「髄」を得るのです。

得られた髄というのは、まさに菩薩道を明らかにすることですが、菩薩というのは、どの菩薩であっても、法に親しく、慈悲に溢れ、退転することなく活動するわけですけれども、そのような共通点を「吾亦如是、汝亦如是」とはいいます。ここには、自他一等の利行を進める菩薩のあり方も示されていると見て良いのです。そして、多くの様々な修行を「即得」します。

道元禅師にとって、この一文の関捩子は「即得」です。先に名前を出した『御抄』でも慎重に指摘されていますけれども、我々は「即得(即ち得る)」という言葉を見ると、持っていなかった物を新たに得るように思ってしまうわけですが、道元禅師の提唱も、弟子達の註釈も、それは間違っていると指摘します。そもそも、我々が得るのは、仏道そのものであり、それは絶対普遍の道理でありますから、何時かどこかで得るといった相対的発想の一切を否定しなくてはなりません。よって、親近得を脱落することこそが、それはつまり師への随順の徹底こそが、即得となるのです。得るというのは、何かを得るのではなくて、ただの「行」なのです。

そして、随順是師学についての提唱は、侍者の古蹤であると参究すべきだとされます。しかし、いわゆるただの侍者というだけではなくて、侍者としての随順が、そのまま得髄の行でなくてはならないのです。よって、まさにそのような時には、「得見の承当」があるとされるのです。随順が得髄であり、そのような見解を肯うことが出来るのです。見解の肯いは、まさにそれこそ「見仏」だといえます。この時の見仏とは、ただちにガンジス河の砂の数ほどの無数の仏(=諸仏)を見ます。普通の人は、諸仏を見ようと、観仏三昧をしたり、探し回って世界中をウロウロするのかもしれませんが、道元禅師はそれらを、「あながちに見恒沙仏をわしり、へつらふことなかれ」と批判し、それよりも、随師学に励み、随師学得仏見を目指すべきだとされるのです。

我々は、このような教えを得てからも更に、「師への参学の結果、いつしか見仏ができるのだ」と考えてしまいます。そうではありません。師への参学が、直ちに見仏なのです。見諸仏なのです。だいたいが、見諸仏するのに、諸仏はそれぞれに永遠普遍絶対の存在であるとすれば、諸仏を見る者は諸仏そのものです。よって、諸仏が諸仏を見るわけで、我々の身心も、師への随順という行に於いて、諸仏たり得るわけです。ここには、凡夫―諸仏といった相対的分別的発想は微塵もありません。ただ、諸仏が諸仏を見るというとき、それを「唯仏与仏」とはいうのです。随身とは、唯仏与仏の行なのです。

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