「法問始め」というのは、毎年正月五日から行われる行持で、叢林に於いて1年間の一番初めの問答を行うことをいいます。問答というのは、一人一人の僧侶の力量を試し、指導する好機であったのです。
法問資始○五日は、古来より洞下に法問はじめあり。三日まで修正ゆえに、浴日を休息し、五日は、達祖忌日、また五参上堂の首めなれば、今日法問始む。上堂あれば、法問略す。上堂なきは、晩間小参、或いは法問なり。
面山瑞方師『洞上僧堂清規行法鈔』巻三・年分行法
損翁禅師の法嗣である面山和尚も、以上のように述べています。面山和尚は古来より、曹洞宗にて法問始めを行っていると指摘していますが、宗門にて年中行事を最初に定めた瑩山紹瑾禅師『瑩山清規』には、このことは見えません。三日修正があることを思うと、その後、中世に出来たのかとも思いますが、貴重な中世(15世紀)の清規である長野県大安寺『回向并行法』(尾崎正善先生の翻刻を参照)には、「○五日行事の儀規。〈中略〉次に参始め在り」とあるので、この「参始め」が「法問始め」に相当するのでしょう。
よって、その伝統に従って、仙台泰心院でも、損翁禅師が「法問始め」を行っていたものと思われます。今日は、その様子を見ていきたいと思います。
毎歳正月五日、お師匠さまは法問始めとして、必ず「達磨弁得宝珠」の話を採り上げて、永平祖師の頌を用いたり、或いは自ら用意した頌を用いた。自ら用意した頌を用いるときには、侍者に古詩を著けさせた。誰の詩ということを選ぶことは無く、自ら指揮したことも無かった。
或る時、侍者が「行き尽くす江南数十程……」の四句(梵?禅師の「世尊定法不定法」話への頌)を著けた。
お師匠さまは、「好し好し」と仰った。
また、(問答に対する)説話を聞いて、不審を述べるときには、一々その頌を採り上げて本則に合わせ、二つ重ねに畳み、そして肝心なところを叩くという様子であり、これを外す者は無い有り様であった。まさに、妙弁というべきである。
乙酉(宝永2年・1705)の正月には、愚中和尚が説話して「弁得とは何であろうか、潙山か牛か」といった。
お師匠さまは「どうして、宝珠を言い添えないのか」といった。
愚中は「それがしの罪過です」と反省した。
お師匠さまは「それこそ、好き、行き尽くした人だ」といった。
間芝西堂が説話して「車は横に押すことは出来ず、理は曲げて断ずることは出来ず、これこそ宝珠の光明である」と。
お師匠さまは「それは、何とも窮屈ではないか。西風かとすれば雨声、雨声かとすれば西風、縦にもまた押すし、横にもまた押す。真っ直ぐにも断じ、曲げてもまた断ず。これが宝珠の苑転無礙なる様子だぞ」と。
西堂がいうには「車は正道を行き、理は正直に断ず。今日のことを、僅かも動じないところが宝珠の光明である」と。
お師匠さまは「車の正道を守り、理の正直を守る者は、未だ弁道する以前の、江南の道に見える風光だ。弁得の正当については、看てみよ。行き尽くして華清に入る。朝元閣上に吹いては西風、長楊宮の中に入ったら雨声、七縦八横、青黄赤白、物物の色に応じて、少しも跡を留めないのが、宝珠を握った様子である」と。
西堂がいうには「そう握るのであれば、非道無理を免れることはありません」。
お師匠さまが仰るには「万福であれ」。
お師匠さまが自ら著語して、「弁道とは何であろうか。鼻は臍に対し、耳は肩に対している」というと、座を下りられた。
面山瑞方師『見聞宝永記』、拙僧ヘタレ訳
さて、問答を行うといっても、何も無いところからいきなり組み立てるのでは無くて、「本則」を定め、更に、それに対する「頌」を著けて、その基本線を元に行われるのが本来の方法です。現在の曹洞宗では、首座法座(法戦式)でも、晋山開堂(上堂)でも、適当に思い付いたような内容を問答していますけど、本来は本則と頌に従って言葉を紡ぐべきなのです。基本線があるからこそ、境涯を問うことも出来るわけで、問者にも答者にも、一定の力量が課されるわけです。
さて、損翁禅師は法問始めでは必ず「達磨弁得宝珠」の話を用いていたようです。これは、面山和尚が『僧堂清規』で指摘するように、「五日」が達磨大師の月忌に当たるからなのでしょうし、損翁禅師自身が達磨大師の教えを仏祖の伝統を学ぶ際の基準の一にしているためです。その話は以下の通りです。
般若多羅尊者、無価の宝珠を以て三王子に問うて曰く、「此の珠円明なり。能く此に及ぶ有りや、否や」。
菩提多羅曰く、「此れは是、世宝、未だ上と為すに足らず。諸宝の中に於いては、法宝を上と為す。此れは是、世光、未だ上と為すに足らず。諸光の中に於いて智光を上と為す。此れは是、世明、未だ上と為すに足らず。諸明の中に於いて心明を上と為す。此れは珠、光明、自ら照らすこと能わず、要ず智光を仮りて、光、此れを弁ず。既に此れを弁じ已って、即ち知る是、珠と。既に是、珠なりと知りて、即ち其の宝を明らむ。若し其の宝を明らむれば、宝、自ら宝ならず。
若し其の珠を弁ずれば、珠、自ら珠ならず。珠、自ら珠ならざれば、要ず智珠を仮りて、世珠を弁ず。宝、自ら宝ならざれば、要ず智宝を仮りて以て法宝を明らむ。然らば則ち、師、其の道に有って其の宝、即ち現ず、衆生、道有れば、心宝も亦、然り」。
『玄和尚頌古』第3則
道元禅師の『永平広録』に収録される一則から見てみましたが、西天第二十七祖である般若多羅尊者が、世間的な価値が付かないほどに貴重な「宝珠」よりも優れた価値があるかどうかと聞いているのです。それに対し、まだ王子の立場にあった菩提多羅(達磨大師の俗名)は、その「無価の宝珠」は所詮「世宝」であって、「法宝」には契わないとし、その内容を以上のように示したのであります。損翁禅師はこの一則を本則とし、次のような道元禅師の頌古を用いています。、
眼睛突出して重ねて相見す、彩光を撼動して弄戯して逢う、
点瞎廻頭能く九曲、団脚を教て霊蹤有らしむること莫れ。
同上
また、古人が詠んだ詩を用いることもあったと伝えています。一例では、「行き尽くす江南数十程……」の四句であったようですが、これは楚石梵?(1296〜1370)禅師(臨済宗大慧派)による「世尊定法不定法」話への頌です。何故、この詩を選んだのかは分かりませんが、何かの理由があったのでしょう。
このように、何であったとしても偈頌を用意し、それを題材に問答をすることで、ただしく宗旨を伝えるようにしていたのです。繰り返しになりますが、今の我々は、何も課題を出さずに、とりあえず聞きたいことを聞くという感じになっています。しかし、それでは、法要としてその場では成り立つように見えても、学びには繋がらないものです。よって、「本則」を立てる以上は、それに因んだ問答をすべきなのです。そして、その一則を正しく「公案」として学ぶべきなのです。公案参究というと、曹洞宗では否定されているとばかり考えている人もいるかもしれませんが、それは半分当たりで半分外れです。当たりの部分は、坐禅中の公案参究は否定されていますし、それを胸の中に入れて、「待悟」するような学び方も許されません。しかし、公案を学ばなくて良いわけでは無いのです。『正法眼蔵』『永平広録』などは、まさにそのためのテキストだといえましょう。
よって、是か非かでは無くて、その用い方が問われていると考えるべきなのです。
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法問資始○五日は、古来より洞下に法問はじめあり。三日まで修正ゆえに、浴日を休息し、五日は、達祖忌日、また五参上堂の首めなれば、今日法問始む。上堂あれば、法問略す。上堂なきは、晩間小参、或いは法問なり。
面山瑞方師『洞上僧堂清規行法鈔』巻三・年分行法
損翁禅師の法嗣である面山和尚も、以上のように述べています。面山和尚は古来より、曹洞宗にて法問始めを行っていると指摘していますが、宗門にて年中行事を最初に定めた瑩山紹瑾禅師『瑩山清規』には、このことは見えません。三日修正があることを思うと、その後、中世に出来たのかとも思いますが、貴重な中世(15世紀)の清規である長野県大安寺『回向并行法』(尾崎正善先生の翻刻を参照)には、「○五日行事の儀規。〈中略〉次に参始め在り」とあるので、この「参始め」が「法問始め」に相当するのでしょう。
よって、その伝統に従って、仙台泰心院でも、損翁禅師が「法問始め」を行っていたものと思われます。今日は、その様子を見ていきたいと思います。
毎歳正月五日、お師匠さまは法問始めとして、必ず「達磨弁得宝珠」の話を採り上げて、永平祖師の頌を用いたり、或いは自ら用意した頌を用いた。自ら用意した頌を用いるときには、侍者に古詩を著けさせた。誰の詩ということを選ぶことは無く、自ら指揮したことも無かった。
或る時、侍者が「行き尽くす江南数十程……」の四句(梵?禅師の「世尊定法不定法」話への頌)を著けた。
お師匠さまは、「好し好し」と仰った。
また、(問答に対する)説話を聞いて、不審を述べるときには、一々その頌を採り上げて本則に合わせ、二つ重ねに畳み、そして肝心なところを叩くという様子であり、これを外す者は無い有り様であった。まさに、妙弁というべきである。
乙酉(宝永2年・1705)の正月には、愚中和尚が説話して「弁得とは何であろうか、潙山か牛か」といった。
お師匠さまは「どうして、宝珠を言い添えないのか」といった。
愚中は「それがしの罪過です」と反省した。
お師匠さまは「それこそ、好き、行き尽くした人だ」といった。
間芝西堂が説話して「車は横に押すことは出来ず、理は曲げて断ずることは出来ず、これこそ宝珠の光明である」と。
お師匠さまは「それは、何とも窮屈ではないか。西風かとすれば雨声、雨声かとすれば西風、縦にもまた押すし、横にもまた押す。真っ直ぐにも断じ、曲げてもまた断ず。これが宝珠の苑転無礙なる様子だぞ」と。
西堂がいうには「車は正道を行き、理は正直に断ず。今日のことを、僅かも動じないところが宝珠の光明である」と。
お師匠さまは「車の正道を守り、理の正直を守る者は、未だ弁道する以前の、江南の道に見える風光だ。弁得の正当については、看てみよ。行き尽くして華清に入る。朝元閣上に吹いては西風、長楊宮の中に入ったら雨声、七縦八横、青黄赤白、物物の色に応じて、少しも跡を留めないのが、宝珠を握った様子である」と。
西堂がいうには「そう握るのであれば、非道無理を免れることはありません」。
お師匠さまが仰るには「万福であれ」。
お師匠さまが自ら著語して、「弁道とは何であろうか。鼻は臍に対し、耳は肩に対している」というと、座を下りられた。
面山瑞方師『見聞宝永記』、拙僧ヘタレ訳
さて、問答を行うといっても、何も無いところからいきなり組み立てるのでは無くて、「本則」を定め、更に、それに対する「頌」を著けて、その基本線を元に行われるのが本来の方法です。現在の曹洞宗では、首座法座(法戦式)でも、晋山開堂(上堂)でも、適当に思い付いたような内容を問答していますけど、本来は本則と頌に従って言葉を紡ぐべきなのです。基本線があるからこそ、境涯を問うことも出来るわけで、問者にも答者にも、一定の力量が課されるわけです。
さて、損翁禅師は法問始めでは必ず「達磨弁得宝珠」の話を用いていたようです。これは、面山和尚が『僧堂清規』で指摘するように、「五日」が達磨大師の月忌に当たるからなのでしょうし、損翁禅師自身が達磨大師の教えを仏祖の伝統を学ぶ際の基準の一にしているためです。その話は以下の通りです。
般若多羅尊者、無価の宝珠を以て三王子に問うて曰く、「此の珠円明なり。能く此に及ぶ有りや、否や」。
菩提多羅曰く、「此れは是、世宝、未だ上と為すに足らず。諸宝の中に於いては、法宝を上と為す。此れは是、世光、未だ上と為すに足らず。諸光の中に於いて智光を上と為す。此れは是、世明、未だ上と為すに足らず。諸明の中に於いて心明を上と為す。此れは珠、光明、自ら照らすこと能わず、要ず智光を仮りて、光、此れを弁ず。既に此れを弁じ已って、即ち知る是、珠と。既に是、珠なりと知りて、即ち其の宝を明らむ。若し其の宝を明らむれば、宝、自ら宝ならず。
若し其の珠を弁ずれば、珠、自ら珠ならず。珠、自ら珠ならざれば、要ず智珠を仮りて、世珠を弁ず。宝、自ら宝ならざれば、要ず智宝を仮りて以て法宝を明らむ。然らば則ち、師、其の道に有って其の宝、即ち現ず、衆生、道有れば、心宝も亦、然り」。
『玄和尚頌古』第3則
道元禅師の『永平広録』に収録される一則から見てみましたが、西天第二十七祖である般若多羅尊者が、世間的な価値が付かないほどに貴重な「宝珠」よりも優れた価値があるかどうかと聞いているのです。それに対し、まだ王子の立場にあった菩提多羅(達磨大師の俗名)は、その「無価の宝珠」は所詮「世宝」であって、「法宝」には契わないとし、その内容を以上のように示したのであります。損翁禅師はこの一則を本則とし、次のような道元禅師の頌古を用いています。、
眼睛突出して重ねて相見す、彩光を撼動して弄戯して逢う、
点瞎廻頭能く九曲、団脚を教て霊蹤有らしむること莫れ。
同上
また、古人が詠んだ詩を用いることもあったと伝えています。一例では、「行き尽くす江南数十程……」の四句であったようですが、これは楚石梵?(1296〜1370)禅師(臨済宗大慧派)による「世尊定法不定法」話への頌です。何故、この詩を選んだのかは分かりませんが、何かの理由があったのでしょう。
このように、何であったとしても偈頌を用意し、それを題材に問答をすることで、ただしく宗旨を伝えるようにしていたのです。繰り返しになりますが、今の我々は、何も課題を出さずに、とりあえず聞きたいことを聞くという感じになっています。しかし、それでは、法要としてその場では成り立つように見えても、学びには繋がらないものです。よって、「本則」を立てる以上は、それに因んだ問答をすべきなのです。そして、その一則を正しく「公案」として学ぶべきなのです。公案参究というと、曹洞宗では否定されているとばかり考えている人もいるかもしれませんが、それは半分当たりで半分外れです。当たりの部分は、坐禅中の公案参究は否定されていますし、それを胸の中に入れて、「待悟」するような学び方も許されません。しかし、公案を学ばなくて良いわけでは無いのです。『正法眼蔵』『永平広録』などは、まさにそのためのテキストだといえましょう。
よって、是か非かでは無くて、その用い方が問われていると考えるべきなのです。
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