今日は拙僧の本師が遷化してちょうど九年目、十回忌となります。早いものです。道元禅師750回大遠忌翌年に遷化して、あっという間にこれだけの年月が経ってしまいました。ただ法嗣としては、大寂定中にある先師をお慕い申し上げるのみでございます。そのような今日は、師を思う気持ちを、かつての禅僧がどう表現していたかを見て行くことで、それに重ねて拙僧もまた先師を追慕してみたいと思います。
曾て師老に随い三年を歴るも、道を学せず、また、禅を会せず。
唯だ蒲団一枚の古くなることを得るのみ、甘を解して冬暖夏涼に眠る。
面山瑞方禅師「本師損翁和尚忌」、『面山広録』巻七
これは、江戸時代の学僧である面山瑞方禅師が本師・損翁宗益禅師の忌日に詠まれた偈頌です。解釈としては、まず面山師が自ら、損翁禅師に随ったのは三年であったと語るところから始まっています。これは、師弟が出会ったのが元禄16年(1703)の面山師21才の時で、損翁禅師遷化が2年後の宝永2年であったことを指しています。
しかし、そこで室中の様々な奥義まで授けられたにも関わらず、面山師は謙って、「道を学せず、また、禅を会せず」としています。ただ、これは文字通り採る方法もある一方で、最早得るべき道も禅も無いほどに、それらと一体であるという自負にも取れます。そう採れば、蒲団(=坐蒲のこと)がただ古くなるのみであったということも、坐禅三昧に徹し、無所得無所悟の真実義に生きた自分を指すと解釈できます。
そこで、「甘=満足すること」を解会して、冬は暖かく、夏は涼しく、世の一切に煩わされることなく安らかだと述べているのです。自らがそこまでの禅境を得ていることを述べることで、師の徳の素晴らしさを論じた内容だと言えましょう。
師の讃え方は千差万別です。単純に師は素晴らしいという方法もあれば、自分との関わりの中で論じる方法もあります。面山師が先の偈頌で採ったのは、自らとの関わりの中で讃えたということになると思いますが、拙僧もまた、今後とも精進を続けていくことを先師の真前にお誓い申し上げ、更にそれを実践することで、師の徳を讃えたく存じます。
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曾て師老に随い三年を歴るも、道を学せず、また、禅を会せず。
唯だ蒲団一枚の古くなることを得るのみ、甘を解して冬暖夏涼に眠る。
面山瑞方禅師「本師損翁和尚忌」、『面山広録』巻七
これは、江戸時代の学僧である面山瑞方禅師が本師・損翁宗益禅師の忌日に詠まれた偈頌です。解釈としては、まず面山師が自ら、損翁禅師に随ったのは三年であったと語るところから始まっています。これは、師弟が出会ったのが元禄16年(1703)の面山師21才の時で、損翁禅師遷化が2年後の宝永2年であったことを指しています。
しかし、そこで室中の様々な奥義まで授けられたにも関わらず、面山師は謙って、「道を学せず、また、禅を会せず」としています。ただ、これは文字通り採る方法もある一方で、最早得るべき道も禅も無いほどに、それらと一体であるという自負にも取れます。そう採れば、蒲団(=坐蒲のこと)がただ古くなるのみであったということも、坐禅三昧に徹し、無所得無所悟の真実義に生きた自分を指すと解釈できます。
そこで、「甘=満足すること」を解会して、冬は暖かく、夏は涼しく、世の一切に煩わされることなく安らかだと述べているのです。自らがそこまでの禅境を得ていることを述べることで、師の徳の素晴らしさを論じた内容だと言えましょう。
師の讃え方は千差万別です。単純に師は素晴らしいという方法もあれば、自分との関わりの中で論じる方法もあります。面山師が先の偈頌で採ったのは、自らとの関わりの中で讃えたということになると思いますが、拙僧もまた、今後とも精進を続けていくことを先師の真前にお誓い申し上げ、更にそれを実践することで、師の徳を讃えたく存じます。
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