昨日から、研究所の調査の関係で静岡県袋井市の可睡斎専門僧堂に来ています。同寺の開山は、大本山總持寺二世・峨山韶碩禅師の法嗣である太源宗真禅師の法系で、孫弟子の如仲(或いは恕仲)天?禅師(1365〜1437)になります。如仲禅師は梅山聞本禅師の法嗣であり、主に遠江(現在の静岡県西部)などで活動しています。その中に、この可睡斎もあるわけです。
さて、可睡斎には如仲禅師の語録が伝わっています。それは、実質的には法語集であり、しかも如仲禅師が引導を渡した際の引導法語集であります。今日は、その一節から、仏道を学びたいと思います。
聞声悟道、是れ何人ぞ。物物現成して所所に真たり。
此を以て深心に塵刹を奉る。根源直截、疎親を絶す。
これは、女性の在家信者向けに詠まれた法語ですけれども、その全てでは無くて、冒頭にある四句偈のみ採り上げています。ここが非常に重要であります。それは、まさに今、幽明境を超えて、涅槃に旅立とうとしている信女に対し、その悟道のもっとも肝心なところを採り上げているためであります。まず、「聞声悟道」でありますが、有名な故事としては中国潙仰宗の香厳智閑禅師の「香厳撃竹」があります。これは、聡明であったが故に文字に把われていた香厳禅師が、師の潙山霊祐禅師の妙手によって、持っていた経論を「画にかけるもちひは、うえをふさぐにたらず」(『正法眼蔵』「渓声山色」巻)と言って捨てて、その後は、武当山に入り庵を建てて過ごしたのであります。
その中、或る時道路を掃除していたところ、箒に弾かれた石が竹に当たった音を聞いて、仏道を悟ったのであります。
さて、問題はこの竹の音が鳴った時、悟った人とは一体何者なのか?ということです。道元禅師は、「仏の印証をうるとき、無師独悟するなり、無自独悟するなり」(「嗣書」巻)と仰っていますが、独悟の現場では、無自であり無師なのであります。いわば、「何人ぞ」は、「何人ぞ?」では無く、「何という人」なのであります。この「何」については、以下の教えが参考になるでしょう。
四祖いはく是何姓は、何は是なり、是を何しきたれり、これ姓なり。何ならしむるは是のゆえなり、是ならしむるは何の能なり。姓は是也何也なり。
『正法眼蔵』「仏性」巻
ここでいう「何」とは、端的に無分別ということであります。更にいえば、「是」とされているので、この無分別の境界は、自己との距離が無いわけです。無分別とは、分別が及ばない境界であって、これを姓としているのが、五祖弘忍禅師だということになります。その無分別である境界に於ける世界とは、物物が現成していて、その所所で真だとされています。無分別であるから、真なのであります。道元禅師はこの世界を「不思量にして現じ、不回互にして成ず」(「坐禅箴」)とされます。
そして、このような十方即仏世界に於いて、塵刹を奉るのであります。塵刹とは、この世界ということです。この世界が起きるのが、深心であります。この深心とは、これもまた、我々の分別意識の及ばない心ということです。そして、この深心に於いてある塵刹世界とは、まさに、我々の世界の根源であり、直截であるため、無分別であり疎いか親しいかという距離の一切を絶しているのであります。距離を絶するということは、一切処一切時が仏法そのものであるという普遍に直結した独立存在である「仏法の我」ということであり、これが「何人」であります。
つまり、如仲禅師はその信女について、何人である事実を直指したのであります。よって、仏法そのものである信女に、秉炬し、引導法語を唱えたといえます。江戸時代の学僧・損翁宗益禅師は、葬儀の本質について、その仏法なる存在を讃歎するための儀式であり、凡夫を強引に成仏させるのでは無いとしました。そこにも繋がってくるといえましょう。ということで、今日も一日、その如仲禅師の道場で調査に励みたいと思います。
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さて、可睡斎には如仲禅師の語録が伝わっています。それは、実質的には法語集であり、しかも如仲禅師が引導を渡した際の引導法語集であります。今日は、その一節から、仏道を学びたいと思います。
聞声悟道、是れ何人ぞ。物物現成して所所に真たり。
此を以て深心に塵刹を奉る。根源直截、疎親を絶す。
これは、女性の在家信者向けに詠まれた法語ですけれども、その全てでは無くて、冒頭にある四句偈のみ採り上げています。ここが非常に重要であります。それは、まさに今、幽明境を超えて、涅槃に旅立とうとしている信女に対し、その悟道のもっとも肝心なところを採り上げているためであります。まず、「聞声悟道」でありますが、有名な故事としては中国潙仰宗の香厳智閑禅師の「香厳撃竹」があります。これは、聡明であったが故に文字に把われていた香厳禅師が、師の潙山霊祐禅師の妙手によって、持っていた経論を「画にかけるもちひは、うえをふさぐにたらず」(『正法眼蔵』「渓声山色」巻)と言って捨てて、その後は、武当山に入り庵を建てて過ごしたのであります。
その中、或る時道路を掃除していたところ、箒に弾かれた石が竹に当たった音を聞いて、仏道を悟ったのであります。
さて、問題はこの竹の音が鳴った時、悟った人とは一体何者なのか?ということです。道元禅師は、「仏の印証をうるとき、無師独悟するなり、無自独悟するなり」(「嗣書」巻)と仰っていますが、独悟の現場では、無自であり無師なのであります。いわば、「何人ぞ」は、「何人ぞ?」では無く、「何という人」なのであります。この「何」については、以下の教えが参考になるでしょう。
四祖いはく是何姓は、何は是なり、是を何しきたれり、これ姓なり。何ならしむるは是のゆえなり、是ならしむるは何の能なり。姓は是也何也なり。
『正法眼蔵』「仏性」巻
ここでいう「何」とは、端的に無分別ということであります。更にいえば、「是」とされているので、この無分別の境界は、自己との距離が無いわけです。無分別とは、分別が及ばない境界であって、これを姓としているのが、五祖弘忍禅師だということになります。その無分別である境界に於ける世界とは、物物が現成していて、その所所で真だとされています。無分別であるから、真なのであります。道元禅師はこの世界を「不思量にして現じ、不回互にして成ず」(「坐禅箴」)とされます。
そして、このような十方即仏世界に於いて、塵刹を奉るのであります。塵刹とは、この世界ということです。この世界が起きるのが、深心であります。この深心とは、これもまた、我々の分別意識の及ばない心ということです。そして、この深心に於いてある塵刹世界とは、まさに、我々の世界の根源であり、直截であるため、無分別であり疎いか親しいかという距離の一切を絶しているのであります。距離を絶するということは、一切処一切時が仏法そのものであるという普遍に直結した独立存在である「仏法の我」ということであり、これが「何人」であります。
つまり、如仲禅師はその信女について、何人である事実を直指したのであります。よって、仏法そのものである信女に、秉炬し、引導法語を唱えたといえます。江戸時代の学僧・損翁宗益禅師は、葬儀の本質について、その仏法なる存在を讃歎するための儀式であり、凡夫を強引に成仏させるのでは無いとしました。そこにも繋がってくるといえましょう。ということで、今日も一日、その如仲禅師の道場で調査に励みたいと思います。
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