ネット上で検索を掛けてみると、「禅語」または「道元禅師の言葉」という風に出てくる。後者はちょっとありえないように思うのだが、それでもそういう風にいわれている。いわゆる、俗にいえば、という話なのだろうが・・・ところで、分からないのがこの「梅は寒苦を経て清香を発す」の出典である。この言葉、青山俊董老師の文章にも引用されているようだが、青山老師は古来より人々が愛してきた言葉として紹介されている。
そこで、漢文に戻すと「梅経寒苦発清香」になるが、この典拠が分からない。『禅林句集』(岩波文庫)を始め、類似した禅語関係の文献を見てみたが、出て来ないようで、いよいよ先に見た如くネットに頼ったが、典拠についてはなしのつぶてだったのである。
さて、そこでどうしようか?である。
しかも、良く分からないのが、これが道元禅師に仮託されることである。確かに、道元禅師は「梅華」の言葉を愛した。それは、本師である天童如浄禅師が「雪裏の梅華」という語を愛したことを受けたようで、『正法眼蔵』にも「梅華」一巻を書かれていることからも分かる。
また、「寒苦」という言葉に注目してみても、以下のようにある。
このゆえに、寒苦をおづることなかれ、寒苦、いまだ人をやぶらず、寒苦、いまだ道をやぶらず。
『正法眼蔵』「行持(下)」巻
これは、震旦初祖・達磨大師について論じた箇所に見える言葉であり、達磨大師のような求道心が無くてはならぬと説明するのに、この「寒苦」を用いている。勿論、弟子の二祖慧可大師が、達磨大師に始めて参じる時に、一晩雪の中で立っていたという話にも掛けてあると思うのだが、こういう所からも、梅を悟りと見立てて、寒苦であってもそれを耐えて修行すれば、必ず結果が出るのだ、という意味の言葉、出てきそうな気がする。
だが、見当たらないのである。いや、拙僧の調べ方が悪いとは思うし、こういう記事を書けば、すぐに「出典は●●ですよ」と教えてくださる親切な方もおられるかもしれない。実は、それを期待していたりする。
ただ、一方で別の考え方もある。それは、この語はやっぱり「仮託」だったのだ、ということである。
道元禅師には、本人の言葉として確定できなくても、いつの間にか本人が大事に使ったことになっている用語がある。例えば、「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる」はどうだろうか?ただ、これはまだ御自身が語ったようなので(『正法眼蔵随聞記』巻6)良いが、実際には中国の潙山霊祐禅師の言葉である。或いは、「杓底の一残水、流れを汲む千億人」はどうだろうか?これなどは、実際には大本山永平寺第73世・熊澤泰禅禅師が詠まれた漢詩の一句である。しかし、道元禅師の意を良く汲むものとして、ややもすると、御自身の言葉であると喧伝されていたりする。
今回のもそういう可能性は否定できない。だが、拙僧の調べ方が悪い可能性も勿論否定できない。
よって、とりあえず、「良く分かりませんでした」っていう記事だけ書いて、後は読者諸賢の御指摘を仰ぎたいところである。合掌
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さて、そこでどうしようか?である。
しかも、良く分からないのが、これが道元禅師に仮託されることである。確かに、道元禅師は「梅華」の言葉を愛した。それは、本師である天童如浄禅師が「雪裏の梅華」という語を愛したことを受けたようで、『正法眼蔵』にも「梅華」一巻を書かれていることからも分かる。
また、「寒苦」という言葉に注目してみても、以下のようにある。
このゆえに、寒苦をおづることなかれ、寒苦、いまだ人をやぶらず、寒苦、いまだ道をやぶらず。
『正法眼蔵』「行持(下)」巻
これは、震旦初祖・達磨大師について論じた箇所に見える言葉であり、達磨大師のような求道心が無くてはならぬと説明するのに、この「寒苦」を用いている。勿論、弟子の二祖慧可大師が、達磨大師に始めて参じる時に、一晩雪の中で立っていたという話にも掛けてあると思うのだが、こういう所からも、梅を悟りと見立てて、寒苦であってもそれを耐えて修行すれば、必ず結果が出るのだ、という意味の言葉、出てきそうな気がする。
だが、見当たらないのである。いや、拙僧の調べ方が悪いとは思うし、こういう記事を書けば、すぐに「出典は●●ですよ」と教えてくださる親切な方もおられるかもしれない。実は、それを期待していたりする。
ただ、一方で別の考え方もある。それは、この語はやっぱり「仮託」だったのだ、ということである。
道元禅師には、本人の言葉として確定できなくても、いつの間にか本人が大事に使ったことになっている用語がある。例えば、「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる」はどうだろうか?ただ、これはまだ御自身が語ったようなので(『正法眼蔵随聞記』巻6)良いが、実際には中国の潙山霊祐禅師の言葉である。或いは、「杓底の一残水、流れを汲む千億人」はどうだろうか?これなどは、実際には大本山永平寺第73世・熊澤泰禅禅師が詠まれた漢詩の一句である。しかし、道元禅師の意を良く汲むものとして、ややもすると、御自身の言葉であると喧伝されていたりする。
今回のもそういう可能性は否定できない。だが、拙僧の調べ方が悪い可能性も勿論否定できない。
よって、とりあえず、「良く分かりませんでした」っていう記事だけ書いて、後は読者諸賢の御指摘を仰ぎたいところである。合掌
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