道元禅師が、実質的に最初の『正法眼蔵』として書いたのが、「摩訶般若波羅蜜」巻であり、「天福元年(1233)夏安居日」という奥書が見える。まだ34歳の時であった。これは、般若=如来の智慧をどのようにして讃えるべきかを示した著作である。その上で、『般若心経』本文に『大般若経』から引いた文章でもって、その内容を補完する如く書かれている。
道元禅師初期の著作とはいえ、色々と学びを進めることが出来る文脈を保持しているのだが、今日はその一節を見ていこう。
而今の一苾蒭の竊作念は、諸法を敬礼するところに、雖無生滅の般若、これ敬礼なり。この正当敬礼時、ちなみに施設可得の般若現成せり、いはゆる戒・定・慧、乃至度有情類等なり。これを無という。無の施設、かくのごとく可得なり。これ甚深微妙難測の般若波羅蜜なり。
「摩訶般若波羅蜜」巻
ここで、道元禅師は幾つかの「独自の経験」を記述していることが分かる。それは、一比丘が今、密かに念を成したことによって、「諸法を敬礼する」ということが、「生滅すること無き般若」として、「敬礼」だというのである。いわば、諸法への敬礼が、同時に、生滅することなき般若として敬礼しているという。ここに、1つの礼拝が、同時に2つのことをしてしまっている二重作動となっている。
そして、まさにその敬礼の時、建てられることが可能な般若が現成しており、この、「施設」というのは、仏道修行に必要な道具立てを可能とすることである。それが、「戒定慧」もしくは、有情などを度することであるという。有情類を度しているのに、「無」なのだ。有情類を度しているのに、何故「無」なのか?或いは「無の施設」が、何故「可得」に至るのか?道元禅師は、「甚深微妙難測の般若波羅蜜」と、その「智慧の素晴らしさ」を讃歎するに至っているが、内容として語られていることは、二重作動である。つまり、現実の礼拝が、同時に智慧の働きであり、智慧の働きは無であるのに、具体相として三学に至る「施設」だというのだ。
この、智慧と具体相との「往還」、正しく「道環」は、道元禅師の修証観の関捩である。よって、弟子達の註釈は以下の通りである。
雖無諸法生滅而有戒定慧と云は、是修証はなきにあらず染汚することゑじと云義にあたるべし。
生滅とこそ云わねども、戒ぞ、定ぞ、慧ぞと云へば、是こそ生滅の法と聞ゆれどもしかにはあらず。一戒光明金剛宝戒と云程にこそ、戒をも心得れ、只戒と云へば、制止と許心得、断悪修善とのみは不可心得。
又、戒はふね・いかだ也と云時は、生滅法に似たれども、雖無生滅の道理は今の般若と談ずる所、戒定慧等なり。敬礼これなり。
『正法眼蔵抄』「摩訶般若波羅蜜」篇
「修証は無きに有らず、ただ染汚すること得じ」ではあるが、道元禅師は『正法眼蔵』「大悟」巻などで、「かるやいなや」といっている。これは、修証自体の有限性と、その有限性が同時に無限性を具えることをいう。ここでも、戒定慧などといえば、具体相としての生滅法だと思いがちだが、註釈者は「一戒光明金剛宝戒」などといい、戒も、「護持」の仕方が問われている。具体的な戒ではなく、理念的な戒のあり方を問われているので、護持するか否かが問題なのではない。常に、護持の仕方が問われている。
護持の仕方とは、その普遍的・理念的な戒を、まさに「承当」するべきなのであり、「別解脱戒」のようにいわれているのではない。戒の護持とは、般若の護持である。そして、その具体的な修行法は、「敬礼」として行われる。実は、同じく礼拝が、仏道に通じていく文脈は、『正法眼蔵』「陀羅尼」巻に見ることが出来る。よって、この辺は、道元禅師の宗乗に通底していたと見て良い。拙僧は以前、実世界の論文でも「陀羅尼」巻に見える「二重作動」をそれとして取り出したことがあったが、「摩訶般若波羅蜜」巻にも同じ記述が見えるということは、道元禅師御自身、礼拝という身体の作動に於いて、その礼拝している事実以上の何かが「感じ取られていた」ことを示す。例えば、余りに有名な「礼拝偈」も、この「事実以上の感じ取り」に通じていく。
その「事実以上」であり、また、礼拝していることそのものの直接的因果ではない以上、積極的な記述も出来ないため、ここには容易に言葉が届かない。されど、その言葉の届かなさが、転じて悟りを記述する適語として用いられたのである。それは、ただの記述的言語というわけではなく、まさに身業説法として、「道得」とはいうのである。
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道元禅師初期の著作とはいえ、色々と学びを進めることが出来る文脈を保持しているのだが、今日はその一節を見ていこう。
而今の一苾蒭の竊作念は、諸法を敬礼するところに、雖無生滅の般若、これ敬礼なり。この正当敬礼時、ちなみに施設可得の般若現成せり、いはゆる戒・定・慧、乃至度有情類等なり。これを無という。無の施設、かくのごとく可得なり。これ甚深微妙難測の般若波羅蜜なり。
「摩訶般若波羅蜜」巻
ここで、道元禅師は幾つかの「独自の経験」を記述していることが分かる。それは、一比丘が今、密かに念を成したことによって、「諸法を敬礼する」ということが、「生滅すること無き般若」として、「敬礼」だというのである。いわば、諸法への敬礼が、同時に、生滅することなき般若として敬礼しているという。ここに、1つの礼拝が、同時に2つのことをしてしまっている二重作動となっている。
そして、まさにその敬礼の時、建てられることが可能な般若が現成しており、この、「施設」というのは、仏道修行に必要な道具立てを可能とすることである。それが、「戒定慧」もしくは、有情などを度することであるという。有情類を度しているのに、「無」なのだ。有情類を度しているのに、何故「無」なのか?或いは「無の施設」が、何故「可得」に至るのか?道元禅師は、「甚深微妙難測の般若波羅蜜」と、その「智慧の素晴らしさ」を讃歎するに至っているが、内容として語られていることは、二重作動である。つまり、現実の礼拝が、同時に智慧の働きであり、智慧の働きは無であるのに、具体相として三学に至る「施設」だというのだ。
この、智慧と具体相との「往還」、正しく「道環」は、道元禅師の修証観の関捩である。よって、弟子達の註釈は以下の通りである。
雖無諸法生滅而有戒定慧と云は、是修証はなきにあらず染汚することゑじと云義にあたるべし。
生滅とこそ云わねども、戒ぞ、定ぞ、慧ぞと云へば、是こそ生滅の法と聞ゆれどもしかにはあらず。一戒光明金剛宝戒と云程にこそ、戒をも心得れ、只戒と云へば、制止と許心得、断悪修善とのみは不可心得。
又、戒はふね・いかだ也と云時は、生滅法に似たれども、雖無生滅の道理は今の般若と談ずる所、戒定慧等なり。敬礼これなり。
『正法眼蔵抄』「摩訶般若波羅蜜」篇
「修証は無きに有らず、ただ染汚すること得じ」ではあるが、道元禅師は『正法眼蔵』「大悟」巻などで、「かるやいなや」といっている。これは、修証自体の有限性と、その有限性が同時に無限性を具えることをいう。ここでも、戒定慧などといえば、具体相としての生滅法だと思いがちだが、註釈者は「一戒光明金剛宝戒」などといい、戒も、「護持」の仕方が問われている。具体的な戒ではなく、理念的な戒のあり方を問われているので、護持するか否かが問題なのではない。常に、護持の仕方が問われている。
護持の仕方とは、その普遍的・理念的な戒を、まさに「承当」するべきなのであり、「別解脱戒」のようにいわれているのではない。戒の護持とは、般若の護持である。そして、その具体的な修行法は、「敬礼」として行われる。実は、同じく礼拝が、仏道に通じていく文脈は、『正法眼蔵』「陀羅尼」巻に見ることが出来る。よって、この辺は、道元禅師の宗乗に通底していたと見て良い。拙僧は以前、実世界の論文でも「陀羅尼」巻に見える「二重作動」をそれとして取り出したことがあったが、「摩訶般若波羅蜜」巻にも同じ記述が見えるということは、道元禅師御自身、礼拝という身体の作動に於いて、その礼拝している事実以上の何かが「感じ取られていた」ことを示す。例えば、余りに有名な「礼拝偈」も、この「事実以上の感じ取り」に通じていく。
その「事実以上」であり、また、礼拝していることそのものの直接的因果ではない以上、積極的な記述も出来ないため、ここには容易に言葉が届かない。されど、その言葉の届かなさが、転じて悟りを記述する適語として用いられたのである。それは、ただの記述的言語というわけではなく、まさに身業説法として、「道得」とはいうのである。
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