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5月1日メーデーと作務

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まぁ、毎年似たような記事を書いているのですが、今年も懲りずに書いておきたいと思います。今日5月1日はメーデーです。メーデーと言えば、労働者が統一して権利要求と国際連帯の活動を行う日とされていて、各地でデモが行われたりしますね。最近、柄谷行人氏『政治と思想 1960-2011』 (平凡社ライブラリー、2012年)などを読みながら、拙僧自身もデモに対する認識を改めつつありますけれども、これこそが民主主義なのですな。

さておきまして、今日はそんなわけで、「労働」について考えたいところですが、我々禅宗には「作務」という仕事がありますけれども、当然世俗一般に於ける「労働」とは趣が随分と違っています。元々「作務」というのは、畑仕事を意味する言葉でしたが、それが後に拡大されて、叢林内で行う、いわゆるの坐禅や諷経といったような公務以外の全般を指すようになりました。「一日不作、一日不食」などはまさに、作務の精神を表現しきった言葉として理解されるべきでありましょう。

そこで、今日は或る道元禅師の故事から、作務の精神について学んでおきたいと思います。

 また嘉定十六年癸未五月の中、慶元の舶裏に在り。倭使頭と説話する次で、一老僧あり来る。年六十許歳。一直に便ち舶裏に到って、和客に問うて倭椹を討ね買う。
 山僧(道元禅師のこと、自称)、他を請して茶を喫せしむ。他の所在を問えば、便ちこれ阿育王山の典座なり。
 他云く、「吾れは是れ西蜀の人なり。郷を離れること四十年を得たり。今年、是れ六十一歳。向来ほぼ諸方の叢林を経たり。先年、権孤雲裏に住す。育王に討ね得て掛搭し、胡乱に過ぐ。然るに去年解夏了に本寺の典座に充てらる。明日五日にして、一供渾て好喫する無し。麺汁を做らんと要するに、未だ椹の在るあらず。よって特特として来るは、椹を討ね買うて十方の雲衲に供養せんとす」と。
 山僧、他に問う、「幾時か彼を離る」。
 座云く、「斎了」。
 山僧云く、「育王這裏を去ること多少の路かある」。
 座云く、「三十四五里」。
 山僧云く、「幾時か寺裏に廻り去るや」。
 座云く、「如今椹を買い了らば便ち行かん」。
 山僧云く、「今日期せずして相い会し、かつ舶裏に在って説話す。豈に好結縁に非ざらんや。道元、典座禅師を供養せん」。
 座云く、「不可なり。明日の供養、吾れ若し管せずんば便ち不是にして了らん」。
 山僧云く、「寺裏、何ぞ同事の者の斎粥を理会するなからんや。典座一位不在なりとも什麼の欠闕かあらん」。
 座云く、「吾れ老年にして此の職を掌る。乃ち耄及の弁道なり。何を以てか他に譲るべけんや。また、来る時、未だ一夜宿の暇を請わず」。
 山僧、また典座に問う、「座、尊年、何ぞ坐禅弁道し、古人の話頭を看せずして、煩わしく典座に充たって只管に作務す。甚の好事かある」。
 座、大笑して云く、「外国の好人、未だ弁道を了得せず、未だ文字を知得せざることあり」。
 山僧、他の恁地の話を聞き、忽然として発慚驚心して、便ち他に問う、「如何にあらんか是れ文字、如何にあらんか是れ弁道」。
 座云く、「若し問処を蹉過せざれば豈に其の人に非ざらんや」。
 山僧、当時不会。
 座云く、「若し未だ了得せずんば、他時後日、育王山に到れ。一番、文字の道理を商量し去ること在らん」と。
    道元禅師『典座教訓

これは、道元禅師が中国に留学して、結構早い時期に行われた問答です。1223年2月に日本を旅だった道元禅師一行は、4月に明州慶元府に入っています。そして、すぐに地元の諸山を回っているのですが、これはそれから1ヶ月経たないくらいの出来事になります。道元禅師は日本から乗ってきた船の中にいたようなのですが、5月4日船の団長と話をしていると、60歳ほどの老僧がやってきて、「倭椹(桑の実)」を求めたそうです。

そこで、この様子を見ていた道元禅師はこの老僧を茶に誘い、話をしたところ、自分の身の上話をしたようなのです。それは、出身が西蜀で、郷里を離れて40年ほどであるということ、そして、諸方の叢林を歴たが、今は阿育王山に掛搭しており、昨年の解夏罷に典座に充てられ、明日(5月5日、端午の節句)に合わせて修行僧達を供養しようと思い、「椹」を探しに来たということでした。

阿育王山は、慶元府の港から、34〜35里、現在の距離でいうと20キロ程度ですので、実は徒歩でも4〜5時間程度で来られてしまうのです。この典座和尚は、斎了、つまりは昼食後に寺を出て来たとありますので、この時間、恐らくは夕方にさしかかった頃だったことでしょう。

道元禅師は船上であったのも何かの縁であるとして、典座和尚を供養しようとしましたが、典座和尚は固辞します。その理由は、以下の通りです。

?明日の供養の食事を用意するのに、自分が監督しなくてはならないから。
?この船で供養を受ければ、一泊しなくてはならないが、宿泊の許可を得ていなかったから。

大まかにいえばこういうことです。そして、道元禅師はそれぞれ、?については、「他にも同じ仕事をする人がいるでしょうから、典座和尚一人欠けても問題無いでしょう」と語り、?についてはそこまでして典座の仕事に気合いを入れている様子を訝しんだのか「そのお歳であるにも関わらず、坐禅したり公案を解いたりしないで、典座のような作務をして、何か好いことはあるのですか?」と聞いています。勿論、両方とも問題がある発言であることは分かります。ただ、我々はだから道元禅師も未熟だったのだ、と優越感に浸るようなことはあってはなりません。我々は敢えて、自らの恥を晒してまでこのような教えを書き残された道元禅師の御慈慮を有り難く拝受すべきなのです。

この両者の問題とはそれぞれ、?については、自分の都合や勝手で、頂戴しているお役の仕事を止めてしまって良いと思っているところに問題があります。?については、修行の内容に、外から勝手に優劣を付けているところに問題があります。よって、両者共々、後の我々にとっても、こういう発想に陥らないように気を付けるべき事柄として注目されるわけですね。結果的に道元禅師は、この後、「如何にあらんか是れ文字、如何にあらんか是れ弁道」の真実義をこの典座和尚に教授され、自ら会得するところもあって、「山僧、聊か文字を知り弁道を了ずるは、乃ち彼の典座の大恩なり」とされるわけです。

現在も、曹洞宗寺院で年齢や立場を問わずに熱心に作務が修行されるのは、こういう教えが、皮膚レベルで共有されているためです。だからこそ、大寺院の住職さんが、時間を作ってほうきを握る様子が見られるといえましょう。もちろん、若い人は当たり前のように作務に勤しみます。こうなってくると、作務を必死になって修行するというよりも、もう日常に食事をしたり、洗面・歯磨きをするのと同じように、「日分行持」として行われているといえます。そして、だからこそ修行ともなるわけです。一見すると、他の人のために食事を作ったり、境内の掃除をするのは労働に見えますが、そうではないのです。これが修行です。

そして、作務は「普請」であるともいいます。檀信徒の方々も菩提寺に参拝されたときには、「寺が勝手に掃除してる」とか、「年会費払ってんだから綺麗にしとけ」などと思わずに、一緒にほうきを採って、自分から進んで掃除に参加いただければなお、良いと思います。それでこそ始めて、「みんなのお寺」になるんだと思いますよ。

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