5月13日発行ということで、出たばっかりではあるが、実際の店頭には先週から確認出来ていた洋泉社MOOK『入門 日本の仏教』(以下、『入門』と略記)について、ご意見を申し上げたい。
最近、様々な出版社がこういう日本仏教入門書的なムックや、雑誌特集を組んだりしていて、それはそれでとても良い話だとは思う。ただ、往々にして内容が杜撰であり、間違いをそのままにしているような場合も少なくない。こういう間違いは、その宗派の教学研究所にでも尋ねれば、一回で済む話だと思うのだが、多分、製作サイドの費用を極力削るため、そういう確認をしていないのだろう。
そのために、結局はこういうムックなどは、あてには出来ないという印象ばかりがつきまとう。先ほどの費用の問題は拙僧の邪推に過ぎないが、もし事実であったとしても、正直に費用のことも話して、協力を仰ぐべきであろう。時と場合によって、協力者に名前を入れておけば問題も起きないと思うし、それで校正費用を取る宗派なんてあるのだろうか?拙僧などは、こういう雑誌やムックで、誤った情報が世に広まる方が、余程問題だと思っている。
それで、この『入門』だが、内容的にはほぼ満足できる内容である。まぁ、途中に自称・宗教学者の島田裕巳氏が出て、ワケの分からない「スピリチュアル・ブッディズム(笑)」とか主張しているのはご愛敬だとしても、途中で日本独自の発展を見せた現状の日本仏教を、「仏陀の方便」を用いて肯定しようとする(48頁)のは、意欲作だとして良い。
その上で、敢えて苦言を呈するが、苦言は後に回そう。我らが曹洞宗の高祖・道元禅師に関する記述についてだが、基本、今回のムックは最澄・空海・法然・親鸞辺りが中心であり、一応「日本仏教十三派」に関する解説もあるが、「禅宗」として一括りにされて、栄西禅師と道元禅師のと関わりを論じる中で、見えるばかりといえる。しかし、この構図は良い。以前、拙ブログでも【今日は栄西禅師忌です(平成23年度版)】という記事を書いて、道元禅師が栄西禅師に対する強い敬愛の念を抱いていたことを示したが、『入門』でもそれを示している。
どちらも禅宗でありながら、臨済宗は壁を背にして坐禅を組むのに対し、曹洞宗では壁に向かって坐禅を組み、双方のカラーの違いがそんなところに表れていて興味深い。
俗世間に背を向けるように終生、坐禅と全九五巻におよぶ『正法眼蔵』の執筆に取り組んだ道元であったが、栄西については深い尊敬の念を弟子達に語っていたと伝えられている。
『入門』81頁
この最後のところをご覧頂きたい。このように、道元禅師が栄西禅師に対して尊敬の念を抱いていたことの言及、これはとても良い。まぁ、一部概論書でも触れる場合があるが、やはり『正法眼蔵随聞記』『永平広録』辺りを見ておかないと書けない部分である。今回の文章を書いた担当者が、それらを学んでいたことを期待したい。だが、手放しでは喜べない。特に問題なのは坐禅の姿勢についてである。
この文章を読んでいると、どうも、2つ目の段落のところをいいたくて、「坐禅の向きの違い」を出したようにすら思える。それは、文章を書いていると、どうしてもこういう小細工をしてしまいたくなるのは分かるが、実際のところ、道元禅師本人を意味していないのだから、駄文である。1つ目の段落の内容だが、臨済は壁を向かず、曹洞では壁を向くという方法、本当の意味で確立したのは、いつ頃といえるだろうか?14世紀に中国から来日した臨済宗の明極楚俊の公案参究を前提にした安坐法などは、かなりそれを想起させるが、しかし、実際のところ江戸時代の白隠慧鶴辺りが今の坐禅の原型を作ったのだろう。同じ江戸時代の盤珪永琢や無著道忠は壁を向く坐禅を推奨しているように思われるためだ(一部は【坐禅とは面壁すべきか?せざるべきか?(1)】参照)。
なお、曹洞宗だが大本山永平寺にて適用されたと思われる『弁道法』の記録によれば、坐禅時常に面壁をしていることになっているが、その対象は「大衆」と呼ばれる一般の修行僧で、住職(堂頭)や、首座と呼ばれる指導的立場にある僧は、面壁をしていなかった。
黄昏の坐禅、昏鐘を聞いて袈裟を搭け、雲堂に入り被位に就いて坐禅す。住持人は、椅子に就いて聖僧に向かって坐禅し、首座は牀縁に向かって坐禅し、大衆は面壁して坐禅す。
『弁道法』
このように、住持は「聖僧に向かって」坐禅しており、首座は「牀縁に向かって」坐禅しているから、先に述べたように、この2人は壁を向いていない。しかし、「大衆は面壁して」坐禅するのだから、これが壁向きである。そうなると、道元禅師が世俗の動向を気にせず、ひたすらに『正法眼蔵』ばかりを書いていたことを想起させるため、「俗世間に背を向けるように終生」とあり、それが「壁を向く曹洞宗の坐禅」と結び付けたかったのは一目瞭然だが、その道元禅師自身、『正法眼蔵』ばかり書いていたのでは無い。特に永平寺(大仏寺)に入られてからは、「五参上堂」を行って弟子達を導いていたのであり、しかも坐禅も基本は壁を向いてはいなかった。
よって、先ほどの文章は、臆測と推論と、文章作成者の自己満足でしか無い駄文であるといえる。まぁ、このような評価を下すしか無いのが非常に残念なのだが、もの凄い「上から目線」であることを自覚して申し上げれば、「もっと勉強しろ」というしかない。
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これまでの読み切りモノ〈曹洞宗7〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。
最近、様々な出版社がこういう日本仏教入門書的なムックや、雑誌特集を組んだりしていて、それはそれでとても良い話だとは思う。ただ、往々にして内容が杜撰であり、間違いをそのままにしているような場合も少なくない。こういう間違いは、その宗派の教学研究所にでも尋ねれば、一回で済む話だと思うのだが、多分、製作サイドの費用を極力削るため、そういう確認をしていないのだろう。
そのために、結局はこういうムックなどは、あてには出来ないという印象ばかりがつきまとう。先ほどの費用の問題は拙僧の邪推に過ぎないが、もし事実であったとしても、正直に費用のことも話して、協力を仰ぐべきであろう。時と場合によって、協力者に名前を入れておけば問題も起きないと思うし、それで校正費用を取る宗派なんてあるのだろうか?拙僧などは、こういう雑誌やムックで、誤った情報が世に広まる方が、余程問題だと思っている。
それで、この『入門』だが、内容的にはほぼ満足できる内容である。まぁ、途中に自称・宗教学者の島田裕巳氏が出て、ワケの分からない「スピリチュアル・ブッディズム(笑)」とか主張しているのはご愛敬だとしても、途中で日本独自の発展を見せた現状の日本仏教を、「仏陀の方便」を用いて肯定しようとする(48頁)のは、意欲作だとして良い。
その上で、敢えて苦言を呈するが、苦言は後に回そう。我らが曹洞宗の高祖・道元禅師に関する記述についてだが、基本、今回のムックは最澄・空海・法然・親鸞辺りが中心であり、一応「日本仏教十三派」に関する解説もあるが、「禅宗」として一括りにされて、栄西禅師と道元禅師のと関わりを論じる中で、見えるばかりといえる。しかし、この構図は良い。以前、拙ブログでも【今日は栄西禅師忌です(平成23年度版)】という記事を書いて、道元禅師が栄西禅師に対する強い敬愛の念を抱いていたことを示したが、『入門』でもそれを示している。
どちらも禅宗でありながら、臨済宗は壁を背にして坐禅を組むのに対し、曹洞宗では壁に向かって坐禅を組み、双方のカラーの違いがそんなところに表れていて興味深い。
俗世間に背を向けるように終生、坐禅と全九五巻におよぶ『正法眼蔵』の執筆に取り組んだ道元であったが、栄西については深い尊敬の念を弟子達に語っていたと伝えられている。
『入門』81頁
この最後のところをご覧頂きたい。このように、道元禅師が栄西禅師に対して尊敬の念を抱いていたことの言及、これはとても良い。まぁ、一部概論書でも触れる場合があるが、やはり『正法眼蔵随聞記』『永平広録』辺りを見ておかないと書けない部分である。今回の文章を書いた担当者が、それらを学んでいたことを期待したい。だが、手放しでは喜べない。特に問題なのは坐禅の姿勢についてである。
この文章を読んでいると、どうも、2つ目の段落のところをいいたくて、「坐禅の向きの違い」を出したようにすら思える。それは、文章を書いていると、どうしてもこういう小細工をしてしまいたくなるのは分かるが、実際のところ、道元禅師本人を意味していないのだから、駄文である。1つ目の段落の内容だが、臨済は壁を向かず、曹洞では壁を向くという方法、本当の意味で確立したのは、いつ頃といえるだろうか?14世紀に中国から来日した臨済宗の明極楚俊の公案参究を前提にした安坐法などは、かなりそれを想起させるが、しかし、実際のところ江戸時代の白隠慧鶴辺りが今の坐禅の原型を作ったのだろう。同じ江戸時代の盤珪永琢や無著道忠は壁を向く坐禅を推奨しているように思われるためだ(一部は【坐禅とは面壁すべきか?せざるべきか?(1)】参照)。
なお、曹洞宗だが大本山永平寺にて適用されたと思われる『弁道法』の記録によれば、坐禅時常に面壁をしていることになっているが、その対象は「大衆」と呼ばれる一般の修行僧で、住職(堂頭)や、首座と呼ばれる指導的立場にある僧は、面壁をしていなかった。
黄昏の坐禅、昏鐘を聞いて袈裟を搭け、雲堂に入り被位に就いて坐禅す。住持人は、椅子に就いて聖僧に向かって坐禅し、首座は牀縁に向かって坐禅し、大衆は面壁して坐禅す。
『弁道法』
このように、住持は「聖僧に向かって」坐禅しており、首座は「牀縁に向かって」坐禅しているから、先に述べたように、この2人は壁を向いていない。しかし、「大衆は面壁して」坐禅するのだから、これが壁向きである。そうなると、道元禅師が世俗の動向を気にせず、ひたすらに『正法眼蔵』ばかりを書いていたことを想起させるため、「俗世間に背を向けるように終生」とあり、それが「壁を向く曹洞宗の坐禅」と結び付けたかったのは一目瞭然だが、その道元禅師自身、『正法眼蔵』ばかり書いていたのでは無い。特に永平寺(大仏寺)に入られてからは、「五参上堂」を行って弟子達を導いていたのであり、しかも坐禅も基本は壁を向いてはいなかった。
よって、先ほどの文章は、臆測と推論と、文章作成者の自己満足でしか無い駄文であるといえる。まぁ、このような評価を下すしか無いのが非常に残念なのだが、もの凄い「上から目線」であることを自覚して申し上げれば、「もっと勉強しろ」というしかない。
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