前回の記事で、仙台泰心院の損翁宗益禅師が、土地神への信仰を禅僧として真っ正面から表現していたことを紹介したのですが、今回は続いて、損翁禅師が「塩竃明神」へお参りした様子を紹介したいと思います。これは、仏教側から見た、神仏習合の一例として考えることが出来るでしょう。もちろん、今時の我々も参考になるのです。
お師匠さまは解夏(1704年7月15日以降)の後、塩竃明神に参詣された。伴僧は4人であったが、余もその中にいた。お師匠さまは神前に至って、『般若心経』を挙して唱えること三遍し、次に『消災呪』を挙して唱えること七遍して、自ら回向文を唱えていわれるには、「上来、般若心経・消災妙吉祥神呪を諷誦する功徳は、南無三世十方一切常住の三宝、一切の護法龍天善神菩薩摩訶薩、日本国中大小の神祇菩薩摩訶薩、奥州崇廟塩竃六社大明神等、威光を増加せる、無量の徳海に回向す。法を護し人を安んじて、諸縁吉祥ならんことを」と。
そして、帰路に或る居士の家にて休息された。薬石をいただくと、(居士は仏道に関する)開示を乞うた。
お師匠さまは、仏道は本であり、神道は末であるという道理を説き了ってから、「但し、仏知見を開豁すれば、本末を隔てることはない。『法華経』(方便品)に言う「本末究竟」とはこの意をいうのみだ」と。
説法の間、繋ぎの線香を焚くこと2本(約1時間半ほどの話)であったが、居士は大いに歓喜した。
因みに、余が質問するに「お師匠さまは、神前にて回向文を唱えられた時、三宝龍天にまで掛けられたのは、どういう理由があってのことでしょうか」と。
お師匠さまがいわれるには、「三宝に掛けず、ただ個別に現前の一神に対して『般若経』を転ずれば、功徳が究竟となることは無い。我が回向のような、円通無礙の法門こそが、能く明神の威光を増加するのである」と。
余はこれを聞くと、感幸が止むことは無かった。そしてすぐに、お師匠さまの膝下に頂礼して退いた。
面山瑞方師『見聞宝永記』、拙僧ヘタレ訳
これが、禅僧の神社お参り方法ですか。いつの間にか、柏手を基本にしたお辞儀のお参り方法に染まっていた拙僧、ここは反省しきりです。神道の作法に乗っかっていたわけですけど、それはダメですね。神仏習合で神も仏もその本質では一緒であるという話があるわけですから、その教理教学に則ったお参りをすべきでした。ということで、その方法が以上に書いてある通りです。
『般若心経』3遍に、『消災呪』7遍。そして、回向文となりますが、回向文の内容は、まず読経した功徳を、三世十方に常住している三宝に、次いで、護法神や菩薩たちに、そして日本の国に充ちる八百万の神々に、最後に今自分達がお参りしている塩竃神社の大明神に回向しています。願うところは、法を護り、人を安んじて、諸縁が幸いなることです。
帰路にて、或る居士の家に休息され、長い時間を過ごしているので、多分宿泊されたのだろうと思うのですが、この時代も普通に「薬石(夕食)」が出ていますね。そして、その折りに損翁禅師はその泊めてくれた居士に対し、説法をしています。説法の内容は、いわゆる「本地垂迹」についてだったようですが、しかし、その「本迹」「本末」について、仏知見からは、一等であるとしています。
また、先の回向文で、塩竃神社の大明神のみならず、三宝にまで回向された理由を面山師は尋ねておられますが、それについては損翁禅師、もし、三宝に回向せずに、個別に一神に対して功徳を回向したところで、それは究竟ならざる状態だとしています。ここは、先ほどの仏知見から鑑みて、本末一等だという話と重なってくるのでしょう。なお、古い清規ですと『瑩山清規』に於いて、日中諷経の回向文がやはり、三宝から日本国内の神祇にまで回向するようになっています。逆に韋駄天諷経や竈公諷経のように、一神のみに対する回向文もありますが、ここでは三宝と神祇の両方に回らせる回向文を用いたのでしょう。
拙僧も今度、天満宮をお参りするときには、この損翁禅師の方法を踏襲してみようと思います。とはいえ、いきなり神社で『般若心経』を唱えていたら、「あれ?こいつ、何勘違いしているの?」と思われておしまいでしょうが・・・
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お師匠さまは解夏(1704年7月15日以降)の後、塩竃明神に参詣された。伴僧は4人であったが、余もその中にいた。お師匠さまは神前に至って、『般若心経』を挙して唱えること三遍し、次に『消災呪』を挙して唱えること七遍して、自ら回向文を唱えていわれるには、「上来、般若心経・消災妙吉祥神呪を諷誦する功徳は、南無三世十方一切常住の三宝、一切の護法龍天善神菩薩摩訶薩、日本国中大小の神祇菩薩摩訶薩、奥州崇廟塩竃六社大明神等、威光を増加せる、無量の徳海に回向す。法を護し人を安んじて、諸縁吉祥ならんことを」と。
そして、帰路に或る居士の家にて休息された。薬石をいただくと、(居士は仏道に関する)開示を乞うた。
お師匠さまは、仏道は本であり、神道は末であるという道理を説き了ってから、「但し、仏知見を開豁すれば、本末を隔てることはない。『法華経』(方便品)に言う「本末究竟」とはこの意をいうのみだ」と。
説法の間、繋ぎの線香を焚くこと2本(約1時間半ほどの話)であったが、居士は大いに歓喜した。
因みに、余が質問するに「お師匠さまは、神前にて回向文を唱えられた時、三宝龍天にまで掛けられたのは、どういう理由があってのことでしょうか」と。
お師匠さまがいわれるには、「三宝に掛けず、ただ個別に現前の一神に対して『般若経』を転ずれば、功徳が究竟となることは無い。我が回向のような、円通無礙の法門こそが、能く明神の威光を増加するのである」と。
余はこれを聞くと、感幸が止むことは無かった。そしてすぐに、お師匠さまの膝下に頂礼して退いた。
面山瑞方師『見聞宝永記』、拙僧ヘタレ訳
これが、禅僧の神社お参り方法ですか。いつの間にか、柏手を基本にしたお辞儀のお参り方法に染まっていた拙僧、ここは反省しきりです。神道の作法に乗っかっていたわけですけど、それはダメですね。神仏習合で神も仏もその本質では一緒であるという話があるわけですから、その教理教学に則ったお参りをすべきでした。ということで、その方法が以上に書いてある通りです。
『般若心経』3遍に、『消災呪』7遍。そして、回向文となりますが、回向文の内容は、まず読経した功徳を、三世十方に常住している三宝に、次いで、護法神や菩薩たちに、そして日本の国に充ちる八百万の神々に、最後に今自分達がお参りしている塩竃神社の大明神に回向しています。願うところは、法を護り、人を安んじて、諸縁が幸いなることです。
帰路にて、或る居士の家に休息され、長い時間を過ごしているので、多分宿泊されたのだろうと思うのですが、この時代も普通に「薬石(夕食)」が出ていますね。そして、その折りに損翁禅師はその泊めてくれた居士に対し、説法をしています。説法の内容は、いわゆる「本地垂迹」についてだったようですが、しかし、その「本迹」「本末」について、仏知見からは、一等であるとしています。
また、先の回向文で、塩竃神社の大明神のみならず、三宝にまで回向された理由を面山師は尋ねておられますが、それについては損翁禅師、もし、三宝に回向せずに、個別に一神に対して功徳を回向したところで、それは究竟ならざる状態だとしています。ここは、先ほどの仏知見から鑑みて、本末一等だという話と重なってくるのでしょう。なお、古い清規ですと『瑩山清規』に於いて、日中諷経の回向文がやはり、三宝から日本国内の神祇にまで回向するようになっています。逆に韋駄天諷経や竈公諷経のように、一神のみに対する回向文もありますが、ここでは三宝と神祇の両方に回らせる回向文を用いたのでしょう。
拙僧も今度、天満宮をお参りするときには、この損翁禅師の方法を踏襲してみようと思います。とはいえ、いきなり神社で『般若心経』を唱えていたら、「あれ?こいつ、何勘違いしているの?」と思われておしまいでしょうが・・・
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