今日6月9日は「ロックの日」らしい。もちろん日本だけでしょうな・・・だが、禅宗には、全員がロックな坊主だという話があるくらいなので、採り上げる気にならない。だが、「ロック」を「巌(いわ)」と解釈すれば、あの禅僧がいるではないか。
ということで、この一則である。
鄂州巌頭清厳大師〈徳山に嗣ぐ、諱は全奯〉因みに僧問う、「三界の競い起こる時、如何」。
師曰く、「坐却せよ」。
僧云く、「未審し、師意、如何」。
師曰、「廬山を移取し来れ、即ち汝に向かいて道ん」。
『真字正法眼蔵』上75則
あぁ、いきなり無茶振りしてんなぁ、という感じ。要するに徳山宣鑑の弟子である巌頭全奯(828〜887)に、或る僧が聞いたというわけである。何を聞いたかといえば、「三界」というのは、この我々の世界を含めた全宇宙くらいの意味で考えて貰えば良いと思うが(厳密にいえば違うけど)、それが「競い起こる」としている。昔、これを或る先生に聞いたら、向こうから盛んにドンドンくるようなイメージらしい。
よって、巌頭は「坐ってろ」といったのである。取り合う必要も無いということであろう。だが、僧は「良く分かりません。師の意図は何ですか?」とか聞いたわけである。すると、巌頭は「廬山を移動させてこい。そしたら、お前に教えてやる」と答えたわけである。
アハハ(笑)無理無理。
とやってしまうと、これではただの「無理会話」になってしまうので、ちゃんと把握するようにしたいものだが、実はこの後半部分のみ、道元禅師が頌古を付けている。それを見ていきたいが、頌は2首あるので、特に2首目のみ掲載したい。なお、『真字』だと、「未審し、師意、如何」だが、『広録』だと、「如何なるか是、祖師意」になっている。「師意」が「祖師意」になっているわけだ。前者であれば、巌頭の話だが、後者になると達磨大師になってしまう。あるいは、「師意」でも達磨を指す場合があるようだが、ここは違うだろう。だが、道元禅師は「祖師意」で採られた。どうしようか?とも思ったが、まぁ、内容的にはこの頌で良いだろう。
廬山移取して廬山に来る、向道誰か知らん半口開けたり、
未審し巌頭、還た坐却すや、三界に同ぜず競って崔嵬たり。
『永平広録』巻9-頌古30則
要するに、去来皆廬山ってことは、廬山のみで尽十方界って事だね。いや、三界って事だね。よって、誰かに向かって道理を説こうにも、半口開けただけで全開である。よって、そんな尽界皆廬山、とどのつまり真実人体だっていうのに、不思議なことだ巌頭よ、坐ってしまったのか?それは、三界に一如せず、ただ石ころ多い山の表面の如く、心穏やかならざる様子を示したに過ぎないのだ。
ここから考えれば、廬山を移動させてこい、そうしたらお前にいってやる、というのは、既に廬山=仏経の事実である以上、とっくに説かれ終わってしまったのだ。よって、聞くこともない。仏法でお腹いっぱい。お腹いっぱいならもう入らない。でも、入れようとすることを、「画餅は飢えを充たさず」とはいわれ、分かり易くいえば「不染汚の修証」である。
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ということで、この一則である。
鄂州巌頭清厳大師〈徳山に嗣ぐ、諱は全奯〉因みに僧問う、「三界の競い起こる時、如何」。
師曰く、「坐却せよ」。
僧云く、「未審し、師意、如何」。
師曰、「廬山を移取し来れ、即ち汝に向かいて道ん」。
『真字正法眼蔵』上75則
あぁ、いきなり無茶振りしてんなぁ、という感じ。要するに徳山宣鑑の弟子である巌頭全奯(828〜887)に、或る僧が聞いたというわけである。何を聞いたかといえば、「三界」というのは、この我々の世界を含めた全宇宙くらいの意味で考えて貰えば良いと思うが(厳密にいえば違うけど)、それが「競い起こる」としている。昔、これを或る先生に聞いたら、向こうから盛んにドンドンくるようなイメージらしい。
よって、巌頭は「坐ってろ」といったのである。取り合う必要も無いということであろう。だが、僧は「良く分かりません。師の意図は何ですか?」とか聞いたわけである。すると、巌頭は「廬山を移動させてこい。そしたら、お前に教えてやる」と答えたわけである。
アハハ(笑)無理無理。
とやってしまうと、これではただの「無理会話」になってしまうので、ちゃんと把握するようにしたいものだが、実はこの後半部分のみ、道元禅師が頌古を付けている。それを見ていきたいが、頌は2首あるので、特に2首目のみ掲載したい。なお、『真字』だと、「未審し、師意、如何」だが、『広録』だと、「如何なるか是、祖師意」になっている。「師意」が「祖師意」になっているわけだ。前者であれば、巌頭の話だが、後者になると達磨大師になってしまう。あるいは、「師意」でも達磨を指す場合があるようだが、ここは違うだろう。だが、道元禅師は「祖師意」で採られた。どうしようか?とも思ったが、まぁ、内容的にはこの頌で良いだろう。
廬山移取して廬山に来る、向道誰か知らん半口開けたり、
未審し巌頭、還た坐却すや、三界に同ぜず競って崔嵬たり。
『永平広録』巻9-頌古30則
要するに、去来皆廬山ってことは、廬山のみで尽十方界って事だね。いや、三界って事だね。よって、誰かに向かって道理を説こうにも、半口開けただけで全開である。よって、そんな尽界皆廬山、とどのつまり真実人体だっていうのに、不思議なことだ巌頭よ、坐ってしまったのか?それは、三界に一如せず、ただ石ころ多い山の表面の如く、心穏やかならざる様子を示したに過ぎないのだ。
ここから考えれば、廬山を移動させてこい、そうしたらお前にいってやる、というのは、既に廬山=仏経の事実である以上、とっくに説かれ終わってしまったのだ。よって、聞くこともない。仏法でお腹いっぱい。お腹いっぱいならもう入らない。でも、入れようとすることを、「画餅は飢えを充たさず」とはいわれ、分かり易くいえば「不染汚の修証」である。
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