道元禅師が最初に書いた著作は嘉禄本『普勧坐禅儀』とか、『弁道話』とか言われるが、実は、中国にいた時に、周囲にいた道俗と、漢詩を交わしていて、なるほど体系的な著作とはいい難いかもしれないが、立派にその教えを知ることが出来る資料である。今日はその1つを見ていこう。
妙溥が韻を和す
元来の心地本より安寧なり、法として咨参すべき無し而も自霊なり、
体究して名を亡ず凡と聖と、何ぞ労わしく黄面明星を見ん。
『永平広録』巻10-偈頌23
妙溥については、良く分かっていないらしい。江戸時代の宗乗家・面山瑞方禅師はこの者を比丘尼だとしているのだが、その根拠も不明である。なお、「韻を和す」とあるので、元々の詩は分からないが、その原意などもかなり受けていることが考えられる。そうすると、道元禅師の偈頌から見えてくるのは、この中国宋代の禅風を色濃く受けているはずの妙溥の見解が、かなり本来成仏論的内容だったのではないかと思われてくる。
なお、道元禅師の偈頌も、実際にはそういう内容だ。
大概は、こういう内容なのだが、我々の心地とは、元来本から安寧だというのである。いわば、何も変えずとも我々の心は仏法に通じているということになる。だからこそ、法として学ぶ(=咨参)するものも無いし、それは自らに霊明に具わっているというのである。そして、その様子が究められれば、凡とか聖とかいった分別的事象の一切が名を失う。ところが、本からその境地なのだから、釈迦牟尼仏(=黄面)はどうして煩わしく明星を見て悟る必要があろうか、という話になるのである。
そうなると、やはりこれは本来成仏論に伴う一種の修行無用論に近いということになる。本来成仏論を用いれば、安易に修行を証悟に近付けることは出来る。だが、それは諸刃の剣である。しかし、おそらく道元禅師に偈を呈した者は、そういう考え方だったのだろう。ところで、ここで本来成仏論は、意外な場所に残る。それが『普勧坐禅儀』である。
原れば夫、
道本円通す、争んぞ修証を仮らん。
宗乗自在なり、何ぞ功夫を費やさん。
況んや、
全体迥かに、塵埃を出たり、孰か払拭の手段を信べん。
大都、当処を離れず、豈、修行の脚頭を用いん者や。
流布本『普勧坐禅儀』
この箇所は、「道本円通」や「宗乗自在」、これらがある以上、修行などは不要である。そして、そうだと書いているといえる。だが、もちろん、日本に帰ってきてからの著作である同著がこれをこのままにしておくはずがないので、一応、現在まで続く曹洞宗の宗旨になったといえる。まぁ、とりあえず、中国時代の道元禅師の偈頌は、結構興味深い内容である。
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妙溥が韻を和す
元来の心地本より安寧なり、法として咨参すべき無し而も自霊なり、
体究して名を亡ず凡と聖と、何ぞ労わしく黄面明星を見ん。
『永平広録』巻10-偈頌23
妙溥については、良く分かっていないらしい。江戸時代の宗乗家・面山瑞方禅師はこの者を比丘尼だとしているのだが、その根拠も不明である。なお、「韻を和す」とあるので、元々の詩は分からないが、その原意などもかなり受けていることが考えられる。そうすると、道元禅師の偈頌から見えてくるのは、この中国宋代の禅風を色濃く受けているはずの妙溥の見解が、かなり本来成仏論的内容だったのではないかと思われてくる。
なお、道元禅師の偈頌も、実際にはそういう内容だ。
大概は、こういう内容なのだが、我々の心地とは、元来本から安寧だというのである。いわば、何も変えずとも我々の心は仏法に通じているということになる。だからこそ、法として学ぶ(=咨参)するものも無いし、それは自らに霊明に具わっているというのである。そして、その様子が究められれば、凡とか聖とかいった分別的事象の一切が名を失う。ところが、本からその境地なのだから、釈迦牟尼仏(=黄面)はどうして煩わしく明星を見て悟る必要があろうか、という話になるのである。
そうなると、やはりこれは本来成仏論に伴う一種の修行無用論に近いということになる。本来成仏論を用いれば、安易に修行を証悟に近付けることは出来る。だが、それは諸刃の剣である。しかし、おそらく道元禅師に偈を呈した者は、そういう考え方だったのだろう。ところで、ここで本来成仏論は、意外な場所に残る。それが『普勧坐禅儀』である。
原れば夫、
道本円通す、争んぞ修証を仮らん。
宗乗自在なり、何ぞ功夫を費やさん。
況んや、
全体迥かに、塵埃を出たり、孰か払拭の手段を信べん。
大都、当処を離れず、豈、修行の脚頭を用いん者や。
流布本『普勧坐禅儀』
この箇所は、「道本円通」や「宗乗自在」、これらがある以上、修行などは不要である。そして、そうだと書いているといえる。だが、もちろん、日本に帰ってきてからの著作である同著がこれをこのままにしておくはずがないので、一応、現在まで続く曹洞宗の宗旨になったといえる。まぁ、とりあえず、中国時代の道元禅師の偈頌は、結構興味深い内容である。
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