今日から立秋だそうです。いよいよ秋になるということですが、実際には、それがギャグであるかのように暑いですね。
涼風方に度って秋の響きを覚る、天気爽清にして結菓新なり、
結菓新にして香満界なり、廻避無き処得聞親しし。
『永平広録』巻10-偈頌70
流石に、今日の状況ですと、まだまだ「涼風」という程、涼しい風を感じることは出来ませんが、ただこれは、迷悟を超えた仏祖の風という解釈もするようです。その解釈ですと、確かに「秋の響き」を覚ることは出来そうです。この「秋の響き」とは、「脱落」という事であります。秋風が吹くということは、広葉樹の葉が落ちて、その幹の姿を現す「体露金風」ということであります。
そして、その季節とは同時に、「実りの秋」でもあります。よって、天気がさわやかで、「菓」を結ぶのであります。この「菓」を結べば、その香りがこの世界に満ちるわけであります。この「菓」とは、まさに涅槃ということであります。この世界が全て涅槃となったわけですから、廻避することも無く、ただ親しくその功徳を味わうのであります。
いきなり立秋でそこまで行くことはないわけですが、しかし、秋というのは、そういう風に仏法を味わう季節でもあると理解せられなくてはなりません。その前提となるのは、「葉が落ちる」という脱落経験であり、「実を結ぶ」という修因感果であります。ただ、そう考えてみると、「脱落」の方は、この季節に限らないわけです。春には花が咲き終わって落ちますし、冬にも雪が屋根から落ちるわけで、如何にそれらとともに、我々自身がこの強力すぎる吾我を脱することが出来るか、ということです。
また、こういう時代ですと、「実を結ぶ」方も、秋に限りません。とはいえ、やはりそれはこの時期です。実際にはまだ「暑い」という実感しか持てないこの立秋ではありますが、我々にしてみれば自然の風景から仏祖の教えを学ぶことが出来る好時節でもあります。大切に日々是れを好日として過ごしたいものでございます。
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涼風方に度って秋の響きを覚る、天気爽清にして結菓新なり、
結菓新にして香満界なり、廻避無き処得聞親しし。
『永平広録』巻10-偈頌70
流石に、今日の状況ですと、まだまだ「涼風」という程、涼しい風を感じることは出来ませんが、ただこれは、迷悟を超えた仏祖の風という解釈もするようです。その解釈ですと、確かに「秋の響き」を覚ることは出来そうです。この「秋の響き」とは、「脱落」という事であります。秋風が吹くということは、広葉樹の葉が落ちて、その幹の姿を現す「体露金風」ということであります。
そして、その季節とは同時に、「実りの秋」でもあります。よって、天気がさわやかで、「菓」を結ぶのであります。この「菓」を結べば、その香りがこの世界に満ちるわけであります。この「菓」とは、まさに涅槃ということであります。この世界が全て涅槃となったわけですから、廻避することも無く、ただ親しくその功徳を味わうのであります。
いきなり立秋でそこまで行くことはないわけですが、しかし、秋というのは、そういう風に仏法を味わう季節でもあると理解せられなくてはなりません。その前提となるのは、「葉が落ちる」という脱落経験であり、「実を結ぶ」という修因感果であります。ただ、そう考えてみると、「脱落」の方は、この季節に限らないわけです。春には花が咲き終わって落ちますし、冬にも雪が屋根から落ちるわけで、如何にそれらとともに、我々自身がこの強力すぎる吾我を脱することが出来るか、ということです。
また、こういう時代ですと、「実を結ぶ」方も、秋に限りません。とはいえ、やはりそれはこの時期です。実際にはまだ「暑い」という実感しか持てないこの立秋ではありますが、我々にしてみれば自然の風景から仏祖の教えを学ぶことが出来る好時節でもあります。大切に日々是れを好日として過ごしたいものでございます。
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