先日、とある人から頼まれて、『良寛詩集』(原田・大島両氏訳註、岩波文庫)を読むことになったのだが、とても目を引いた一首があったので、今日はそこから記事を書いてみたい。
大いなる哉解脱の服
無相福田の衣
仏仏方に正伝
祖祖親しく受持す
広きに非ず復た狭きに非ず
布に非ず也た絲に非ず
恁麼に奉行し去って
始めて衣下の児と称すべし
前掲同著、162頁
一見して、「搭袈裟の偈」を用いつつ読まれた偈だと分かるだろう。最初の二句はそのままである。そして、三・四句目は仏祖正伝の意義について示された句である。五・六句目は袈裟の大きさや素材について述べた句である。ここには、『正法眼蔵』の影響もある。
仏と人と、身量はるかにことなり、人身ははかりつべし、仏身はつひにはかるべからず。このゆえに、迦葉仏の袈裟、いま釈迦牟尼仏、著しましますに、長にあらず、ひろきにあらず。今釈迦牟尼仏の袈裟、弥勒如来、著しましますに、みぢかきにあらず、せばきにあらず。
『正法眼蔵』「袈裟功徳」巻
各々の仏陀の身の大きさは違っているのに、皆、同じように袈裟を着けていることから、袈裟もまた、大きさにはとらわれが無いという話になっている。おそらく、良寛禅師はこれか、もしくは類似した文脈を持つ文献を読んでいるはずである。ただ、『正法眼蔵』だと思われる理由は、更に存在し、それが以下の文脈との関わりである。
しるべし、糞掃をひろうなかに、絹に相似なる布あらん、布に相似なる絹あらん。土俗万差にして、造化、はかりがたし、肉眼のよくしるところにあらず。かくのごとくの物をえたらん、絹・布と論ずべからず、糞掃と称すべし。たとひ人天の、糞掃と生長せるありとも、有情ならじ、糞掃なるべし。たとひ松・菊の、糞掃と生長せるありとも、非情ならじ、糞掃なるべし。糞掃の、絹・布にあらず、金銀・珠玉にあらざる道理を信受するとき、糞掃現成するなり。絹・布の見解、いまだ脱落せざれば、糞掃也未夢見在なり。
同上
道元禅師は、「糞掃衣」とは素材にとらわれるべきでは無いという。その徹底が、以上の文章になって現れている。確かに、「糞掃」とは、とらわれ無さを実践するために用いられる製作法であるから、この文章は正論である。そして、良寛禅師はこの正論を正しく理解され、先の偈頌を詠まれた。
そこで問題は最後の七・八句目である。ただ、推論は出来る。それは、「恁麼に奉行」という時、この「恁麼」は前句を受けているだろうから、大きさや素材へのとらわれが無い「糞掃」の実践が行われるべきだという話になろう。そして、「糞掃」の実践が出来て、始めて衣を着た児孫だと称することが出来るという。そう、この存在こそが「衲僧」である。つまり、この一首は、「袈裟」の話に準えて、真に仏道を実践する存在を明らかにしたといえよう。
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無相福田の衣
仏仏方に正伝
祖祖親しく受持す
広きに非ず復た狭きに非ず
布に非ず也た絲に非ず
恁麼に奉行し去って
始めて衣下の児と称すべし
前掲同著、162頁
一見して、「搭袈裟の偈」を用いつつ読まれた偈だと分かるだろう。最初の二句はそのままである。そして、三・四句目は仏祖正伝の意義について示された句である。五・六句目は袈裟の大きさや素材について述べた句である。ここには、『正法眼蔵』の影響もある。
仏と人と、身量はるかにことなり、人身ははかりつべし、仏身はつひにはかるべからず。このゆえに、迦葉仏の袈裟、いま釈迦牟尼仏、著しましますに、長にあらず、ひろきにあらず。今釈迦牟尼仏の袈裟、弥勒如来、著しましますに、みぢかきにあらず、せばきにあらず。
『正法眼蔵』「袈裟功徳」巻
各々の仏陀の身の大きさは違っているのに、皆、同じように袈裟を着けていることから、袈裟もまた、大きさにはとらわれが無いという話になっている。おそらく、良寛禅師はこれか、もしくは類似した文脈を持つ文献を読んでいるはずである。ただ、『正法眼蔵』だと思われる理由は、更に存在し、それが以下の文脈との関わりである。
しるべし、糞掃をひろうなかに、絹に相似なる布あらん、布に相似なる絹あらん。土俗万差にして、造化、はかりがたし、肉眼のよくしるところにあらず。かくのごとくの物をえたらん、絹・布と論ずべからず、糞掃と称すべし。たとひ人天の、糞掃と生長せるありとも、有情ならじ、糞掃なるべし。たとひ松・菊の、糞掃と生長せるありとも、非情ならじ、糞掃なるべし。糞掃の、絹・布にあらず、金銀・珠玉にあらざる道理を信受するとき、糞掃現成するなり。絹・布の見解、いまだ脱落せざれば、糞掃也未夢見在なり。
同上
道元禅師は、「糞掃衣」とは素材にとらわれるべきでは無いという。その徹底が、以上の文章になって現れている。確かに、「糞掃」とは、とらわれ無さを実践するために用いられる製作法であるから、この文章は正論である。そして、良寛禅師はこの正論を正しく理解され、先の偈頌を詠まれた。
そこで問題は最後の七・八句目である。ただ、推論は出来る。それは、「恁麼に奉行」という時、この「恁麼」は前句を受けているだろうから、大きさや素材へのとらわれが無い「糞掃」の実践が行われるべきだという話になろう。そして、「糞掃」の実践が出来て、始めて衣を着た児孫だと称することが出来るという。そう、この存在こそが「衲僧」である。つまり、この一首は、「袈裟」の話に準えて、真に仏道を実践する存在を明らかにしたといえよう。
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