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今日から秋の彼岸会です(平成24年度版)

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今日から秋の彼岸会です。

日本に於ける彼岸会は、『日本後記』巻13の「大同元年(806)3月辛巳の条」に、「諸国の国分寺の僧をして春秋二仲月別七日に、『金剛般若経』を読ましむ」とあるのが初出とされています。この由来は、中国で偽経の『提謂経』『浄土三昧経』に於いて、立春・春分・立夏・夏至・立秋・秋分・立冬・冬至の「八王日」に読経持斎すれば、寿命が増長するとされていることに基づき、この中の春分・秋分の二会を彼岸として法会を行ったと考えられています。

また、日本では中世以降、『彼岸功徳成就経』『速出生死到彼岸経』『彼岸斎法成道経』などが偽作(なお、日蓮聖人に仮託される『彼岸抄』にも、『彼岸功徳成就経』の引用例がある。江戸時代初期の仏教辞書『寂照堂谷響集』では、これら偽作経典を否定)されており、彼岸時の読経持斎の功徳が強調されました。ですので、改めて曹洞宗に関係する「清規」を見ていましたが、めぼしい物が無く、ようやく最近の『行持軌範』に、「彼岸会法要」(年分行持として、3月18日[春分の日を中心に一週間]、及び9月18日[秋分の日を中心に一週間]に立項)という項目を見付けましたが、内容は「彼岸会の間、開山、世代、檀信徒の精霊供養の法要を営み、かつ毎日、説教法話を行う」とあるのみなのです。

ところで、鎌倉の臨済宗浄智寺を開いた仏源禅師・大休正念(1215〜1290、1269年来日)は、寿福寺に住していた際に日本国の彼岸会について言及しています。

彼岸上堂。日本国の風俗、春二月・秋八月の彼岸修崇の辰有り。教中に道わく、譬えば舡師(註:船頭の意)の如し、此岸に著かず、彼岸に著かず、中流を往かず。唯、此岸の衆生を度して彼岸に至らんと欲するのみ。然りと雖も、古帆、岸に至るも即ち問わず。洗脚して上舡するの一句、作麼生か道わん。良久して曰く、手を撒して家に到るも人識らず、更に一物として尊堂に献げる無し。
    『大休和尚住寿福禅寺語録』

非常に貴重な彼岸上堂です。大休正念は、後にも一度、この文脈を用いた上堂を行っており(彼岸上堂とは謳っていない)、その意味で大休正念の時代には、鎌倉の禅宗寺院でもよく彼岸会について見ることが出来たと理解すべきでしょう。なお、大休の解釈は面白い内容ですね。彼は、彼岸会に於ける修行というのは船頭のようなものだと述べています。つまり、船頭というのは、自ら自身岸には降りずに次のお客が来れば船を操り、川のどこにも留まらずにひたすら移動し続けます。そのことを大休が彼岸会で述べたということは、つまり、禅僧にとっての「彼岸」というのは、「無住」を意味しているということになります。無住こそが「彼岸」なのです。我々は「彼岸が悟り」で「此岸が迷い」、等と聞いてしまうと、此岸を離れ、彼岸という目的地に到るのが良いのだ、と安易に考えて、その「場所」を探してしまいますが、結局、彼岸に至らしめるのを最大に拒否しているのは、その「彼岸」と「此岸」とを分けてしまう分別的思考だと気付かないのです。

よって、そのような分別的思考を抛却して生きるとなると、外的な目的地を無くし、今ここに修行している事実を究尽することこそ、彼岸だと気付くわけです。この彼岸というのは、此岸・彼岸という分別的思考を行わなかったことが、同時に悟りそのものであることを回光返照して自道取される「彼岸」であり、或る意味、修行している事実に「彼岸到」を見出した道元禅師の発想(『正法眼蔵』「仏教」巻)と同じなのです。

現在、日本の習俗として行われる彼岸会は、春には作物の無事成長を祈り、秋には作物の実りを神に感謝する祭祀的側面が強く、そのカギとなるのが「ぼた餅」と「おはぎ」になります。春の「牡丹」と、秋の「萩」という花に準えて、呼び方が代わるものの同じ物です。米や小豆をふんだんに使って作りますが、これこそ神へのお供え物なのです。合わせて、先祖供養も大切です。どうぞ寺参り、墓参りを忘れずに。一週間ある彼岸会、色々な行持が複合的に行われていますけれども、肝心なのは、それを自分で実際に行うということです。そして、可能な範囲で行っていただければと存じます。

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