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定坐僧の坐睡を慰む

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曹洞宗の大本山總持寺には、かつて「五院」と呼ばれる塔頭寺院が存在し、その中の1つである「伝法庵」を開いたのが、大徹宗令禅師であります。更に、その大徹禅師の法嗣の1人に竺山得仙禅師(1344〜1413)という方がおられます。その方には語録が残っておりまして、その中に1つ興味深い偈頌がありましたので、紹介してみます。

  定坐僧徒に示す
 一七日中堂裏に坐し、上間睡り下間も眠る。
 箇中些子人の会する無し、花綻びて劫壺空処の春。
    『続曹洞宗全書』「語録一」

ここでいう「定坐」というのは、いわゆる「十二頭陀行」に数えられるように、僧侶たる者、基本的には坐っていなくてはならない(坐禅をしている、という意味には限定されない)というわけですが、この場合には、偈頌の本文中に「一七日中」という語句が見える通り、「七日の間中」ということでしょう。要するにこれは「臘八摂心」を指していると思います。よって、この時代から、「定坐」と称して、一週間の「摂心」を行っていたことが分かります。実際に曹洞宗では、瑩山紹瑾禅師瑩山清規』に、12月7・9日の深夜に一晩坐る坐禅が見えますが、その後、一週間に拡大されたのでしょう。なお、1400年代には成立していたと考えられる長野県大安寺所蔵『回向并式法』でも、やはり「臘八の定坐」を説きますが、竺山禅師の語録に見える「定坐」は、それよりも早い段階で成立していたことが確認できる資料だと思います。

ところで、この偈頌は、どうやらこれは定坐をしながら眠る「坐睡」も示しています。一週間は、本当に僧堂(と東司)のみで過ごしていたのでしょう。寝るにしても坐禅しながらです。そして、持く山禅師は、「この処を正しく理解する者はない」とします。それは、今この坐睡も含めた定坐こそが、「悟りの華が綻び、無自性空なる悟りが開化するのだ」ということです。まさに、成道された仏陀の坐禅そのものです。

と、これは、真面目に受け取った場合で、実際には、「全員眠っているから、これが悟りの坐禅とは思うまい」という遊びが入っている可能性があります。それは、次の偈頌で更に明らかになります。

  定坐の僧の坐睡を慰む
 堂中に長坐せる僧数箇、破蒲団上に一心の空。
 歌舞せる新鉄鋸三台の曲、唱い拍せるは何れの人か又た調べ同じ。

同じ竺山禅師の偈頌ですが、この偈頌の次に同じ題名の偈頌が収録され、そちらには「臘八」と出ていますので、この「定坐」も、多分に先と同じように臘八摂心に当たるものと思います。さて、この時、僧堂内には長い時間坐っていた僧侶が何人かいたようですが、各々自分の破れ坐蒲の上に、ただ空ぜられた一心を現じているとしています。まさに、空そのものの仏心です。ところが、この坐睡を含めた定坐が、「歌舞せる新鉄鋸三台の曲」を生み出すのです。これは新しいノコギリが、「三台の曲」を奏でているということです。そして、唱い手拍子するのは誰か?全員の調べが同じであるとしています。

この「ノコギリ」が「三台の曲」を奏でることについて、これは、元々宏智正覚禅師の語録に出て来る問答を参照していると思われ、たかがノコギリが、三台という唐の時代に流行した曲を奏でるはずがないのに、奏でていると聞いているので、これは、我々の思慮分別・常識を絶したところを聞いているわけです。それに対して、宏智禅師は「坐底の坐を受用す」と答えています。いわば、坐禅に於ける自由闊達なる境涯をもって、このような優れた神通が現ずることを説いているのです。

しかし、先ほどと同じように、ここは「坐睡」です。だとすると、このノコギリは「歯ぎしり」や「いびき」を指している可能性もあります。要するに坐睡する僧侶が五月蠅いが、それもまた悟りの境涯そのものだ、とでもしているのです。これによって、「慰む」ことを実現しているように思います。

こういう指導者に率いられると、真面目くさって禅機も無いような人に比べて遥かに楽しそうです。とはいえ、ギッチリ坐禅はさせていただけそうですが。

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