京都にある「宇治」という地名は難しい。京都府内を流れる宇治川周辺を指すとはいうのだが、宇治川の流れに随って、しばしばその範囲を変えたこともあるし、名称的にもよく分からないところがある。そして、現在京都府には「宇治市」があるが、なるほど、ここは「宇治」ではあるが、現在の京都市伏見区周辺の「宇治」を想起することが出来ないでいる。なお、道元禅師の初住地・観音導利興聖宝林寺は、現在伏見区の「宇治」にあった。江戸時代に現在地である宇治市内に再建されたので、「宇治の興聖寺」とはいわれるが、当初の場所と違うので、拙僧などは敢えて当初の方を「深草の興聖寺」などと呼称している。だが、これは道元禅師が用いた名称では無いので、一長一短である。地名も含んだ場合の名称だが、道元禅師は『正法眼蔵』各巻の奥書でこのように用いられる(なお、寺名には若干の相違がある)。
●雍州宇治郡観音導利興聖宝林寺(即心是仏、心不可得、夢中説夢、阿羅漢、葛藤、栢樹子)
●雍州宇治県観音導利興聖宝林寺(一顆明珠、看経、諸悪莫作、仏祖、洗浄)
この通りである。面白いのは、同じ人が書いたにも関わらず、「宇治郡」「宇治県」と、両方の名称が用いられていることである。これは、どういうことなのだろうか?後述する。それから、道元禅師は「興聖寺」の名称に、「観音導利興聖宝林寺」「興聖寺」「興聖護国寺」など様々に用いられるが、「雍州宇治郡(県)」を用いる場合には、略さない名称で統一されているのが興味深い。何かしらの意図があったものと思われる。
また、「語録」では、以下のようになっている。
●開闢本京宇治郡興聖禅寺語録(祖山本『永平広録』)
●開闢初住本京宇治県興聖寺語録(卍山本『永平広録』)
●元禅師初住本京宇治県興聖禅寺語録(『永平略録』)
・・・何で全部違うんだ?(笑)しかも、ここも「郡」と「県」とが混在している。それで、仕方ないので、当時の名称について調べてみた。まぁ、宇治固有の事情については詳しくは分からないのだが、とりあえず以下の認識は合っているらしい。
国>郡>県
道元禅師は中国風に、京周辺を「雍州」などと書いているが、それは「国」に相当する。そして、「宇治郡」「宇治県」がともに用いられていることについては、以下の推測が可能である。
?当時は宇治郡と宇治県が併用されていた
?興聖寺は「宇治郡宇治県」にあった
道元禅師の記述からは、この推測の内、どちらが妥当か結論は出ない。ところで、瑩山禅師の場合はこうなっている。
南閻浮提大日本国能州賀島郡酒井保洞谷山永光寺
流布本『瑩山清規』
よって、以下のように理解出来る。
国>州>郡>保
とはいえ、「州」については「国」とほぼ同意である。よって、こちらには何の疑問も無いが、やっぱり分からないのが、道元禅師の「郡」と「県」である。これについては、ちょっとした調査で分かることでは無いので、もし御存知の方がおられればその方の情報を手がかりに再度記事を書きたいと思うので、お持ちの方はお寄せいただければ幸いである。
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●雍州宇治郡観音導利興聖宝林寺(即心是仏、心不可得、夢中説夢、阿羅漢、葛藤、栢樹子)
●雍州宇治県観音導利興聖宝林寺(一顆明珠、看経、諸悪莫作、仏祖、洗浄)
この通りである。面白いのは、同じ人が書いたにも関わらず、「宇治郡」「宇治県」と、両方の名称が用いられていることである。これは、どういうことなのだろうか?後述する。それから、道元禅師は「興聖寺」の名称に、「観音導利興聖宝林寺」「興聖寺」「興聖護国寺」など様々に用いられるが、「雍州宇治郡(県)」を用いる場合には、略さない名称で統一されているのが興味深い。何かしらの意図があったものと思われる。
また、「語録」では、以下のようになっている。
●開闢本京宇治郡興聖禅寺語録(祖山本『永平広録』)
●開闢初住本京宇治県興聖寺語録(卍山本『永平広録』)
●元禅師初住本京宇治県興聖禅寺語録(『永平略録』)
・・・何で全部違うんだ?(笑)しかも、ここも「郡」と「県」とが混在している。それで、仕方ないので、当時の名称について調べてみた。まぁ、宇治固有の事情については詳しくは分からないのだが、とりあえず以下の認識は合っているらしい。
国>郡>県
道元禅師は中国風に、京周辺を「雍州」などと書いているが、それは「国」に相当する。そして、「宇治郡」「宇治県」がともに用いられていることについては、以下の推測が可能である。
?当時は宇治郡と宇治県が併用されていた
?興聖寺は「宇治郡宇治県」にあった
道元禅師の記述からは、この推測の内、どちらが妥当か結論は出ない。ところで、瑩山禅師の場合はこうなっている。
南閻浮提大日本国能州賀島郡酒井保洞谷山永光寺
流布本『瑩山清規』
よって、以下のように理解出来る。
国>州>郡>保
とはいえ、「州」については「国」とほぼ同意である。よって、こちらには何の疑問も無いが、やっぱり分からないのが、道元禅師の「郡」と「県」である。これについては、ちょっとした調査で分かることでは無いので、もし御存知の方がおられればその方の情報を手がかりに再度記事を書きたいと思うので、お持ちの方はお寄せいただければ幸いである。
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