現在は臘八摂心中です。拙ブログでは毎年、摂心に因んで、坐禅に関する記事を短期連載で載せるように心掛けております。今年は、僧堂の坐禅法の基本である道元禅師撰『弁道法』を参究していこうと思っております。
帰堂の威儀は出堂の法に準ず。
被位に帰り来らば、被を将ちて体を蓋ふて如法に坐禅せよ。或は被を蓋はざるも人の意に在り。此の時、未だ袈裟を搭けず。
若し直裰を換えるには、被位を離るること莫かれ、位に在りて換えよ。
先づ日裏の者を将ちて先づ身上に蓋ひ、潜かに打眠直裰の両帯を解き、肩袖を脱ぎて、背後と膝辺とに落とす。譬えば蒲団を遶らすが如し。次に日裏の者の両帯を結びて著定し了り、打眠直裰を収めて被位の後の窖在せよ。
日裏の者を脱ぎ、打眠衣を著くるも、須く之に準じて知るべし。
牀上に露白にして衣を換うることを得ざれ。牀上に立地して被服を拽き畳むることを得ざれ。牀上に頭を抓くことを得ざれ。牀上に数珠を弄し声を作して衆を軽んずること得ざれ。牀上に隣単と語話すること得ざれ。牀に在りて坐臥参差すること得ざれ。上牀下牀に、牀上に匍匐すること得ざれ。大に牀席を払拭して声を有らしむること得ざれ。
洗面が終われば、再度僧堂内に戻ってきます。戻り方は、僧堂を出る際の方法の逆ということになりますが、共通しているのは、静かに振る舞わねばならないことです。足音を立てたり、誰かと会話したりするのは厳禁です。常に、静・寂・滅を以て、我が振るまいとせねばならないのです。それこそが、禅定の振る舞いです。
そして、自分が坐っていた場所に帰ってきたならば、再度、被(=掛け布団)でもって、自分の身体を覆って坐禅を行うのであります。無論、自分次第(気温などを鑑み)でひを用いなくても良いとはされますが、冬場は用いた方が良いでしょう。急激に体温が奪われますと、身体に悪いためです。この急激な変化を坐禅・禅定では嫌います。
なお、後夜の坐禅はまだ袈裟は着けません。既にこの連載の中で、後夜坐禅では、住持であっても袈裟を着けない旨申し上げましたが、それが正しい方法です。大衆は当然のことです。後夜の坐禅は、その意味で正式な坐禅では無く、あくまでも起きるための準備体操の時間なのです。徐々に徐々に、身心を起こしていくのです。
ところで、ここに「着替え」のことが書いてあります。これは、多分に洗面が終わってから自位に戻った後で行われると推定されますが、「直裰」の換え方について書かれています。良く、「道元禅師の時代は、褊衫・裙子であったのが、後に直裰のみになった」という人がいるのですが、それは、既に申し上げた通り、『宝慶記』の記述に依存し過ぎです。
堂頭和尚慈誨して曰く。上古の禅和子、皆、褊衫を著けたり。間に直綴を著くる者有り。近来、都て直綴と著くるは、乃ち澆風なり。你、古風を慕わんと欲はば、須く褊衫を著くべし。今日、内裏に参ずる僧は、必ず褊衫を著くる。伝衣の時、菩薩戒を受くる時にも、亦褊衫を著く。近来、参禅の僧家、褊衫を著くるは是れ律院の兄弟の服なりと謂うは、乃ち非なり。古法を知らざる人なり。
第25問答
しかし、上記に見たように、僧堂進退では「直裰」を基準にしています。これは、『正法眼蔵』「洗面」「洗浄」巻などでも同様です。無論、褊衫の記述も見えますので、道元禅師の会下ではこれを着けていた者もいたと思いますが、便利さを鑑みる時、直裰になることは、流れとして肯定されます。しかも、『弁道法』では、「日裏=日中」用と、「打眠=睡眠」用の2つがあったとしています。これは、同じモノを2つ用意したのか?それとも、「打眠」用は若干の略式でもあったのか?この辺分かりませんし、当然に、今の我々が着けているものとは袖の長さを始めとして形が違うので、ここから想像すると勘違いします。
ただし、既に申し上げましたが、道元禅師は睡眠時の寝相の基本を、釈尊涅槃図を元にしていたと考えられます。そうなると、釈尊はまさに、衣服を着けたまま、つまり、袈裟を着けたまま寝ていたということです。ただ、袈裟の形はインドと中国で相違しているので、あくまでも「衣服を着けていた」ということのみを考えなくてはなりませんが、そうなると、「下着」である着物のみで寝ることも出来ないので、やはり「直裰」を着けていたのでしょう。
着替えの方法ですが、今着ている直裰の上から、着替える直裰を重ね、そして今着ている直裰の「帯」を解きます。その上で、今着ている直裰を脱いで自分の周囲に落とし、重ねている直裰に袖を通して帯を結びます。そして、脱ぎ終わった直綴を畳んで、被位の後部に置くのです。つまり、裸になることは無いということです。
そして、それを始めとして、禅床の上で行ってはならないことが列挙されています。まずは、禅床の上に立って着物を畳んではならないとしています。また、頭を掻いてもダメで、数珠で遊んでジャラジャラ音を立ててもダメです(なお、この記述から「曹洞宗では数珠を使わない」と発言する僧侶もいますが、それは誤読です。使っても良いですが、僧堂や衆寮、或いは他の人と対面して用いてはならないのです)。隣の僧と会話することもダメ、勝手に寝ることもダメ、禅床は昇降の方法が決まっているので(後日紹介します)、それ以外の、匍匐して上るようなことがあってもダメなのです。そして、掃除する時も静かに拭き掃除をしなくてはなりません。
かなり細かな決まりがあると理解出来ますが、こういう決まりは、条文だけで見るとうんざりしますけれども、実際に行じてみるとそれほど窮屈ではありません。要するに、目立ったり、荒ぶったり、音を立てたりすることが無ければ、だいたい良いのです。そして、これらを行う理由は、既に繰り返し申し上げている通り、禅定の維持が目的だと考えられます。
この記事を評価して下さった方は、
にほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。
これまでの読み切りモノ〈曹洞宗8〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。
帰堂の威儀は出堂の法に準ず。
被位に帰り来らば、被を将ちて体を蓋ふて如法に坐禅せよ。或は被を蓋はざるも人の意に在り。此の時、未だ袈裟を搭けず。
若し直裰を換えるには、被位を離るること莫かれ、位に在りて換えよ。
先づ日裏の者を将ちて先づ身上に蓋ひ、潜かに打眠直裰の両帯を解き、肩袖を脱ぎて、背後と膝辺とに落とす。譬えば蒲団を遶らすが如し。次に日裏の者の両帯を結びて著定し了り、打眠直裰を収めて被位の後の窖在せよ。
日裏の者を脱ぎ、打眠衣を著くるも、須く之に準じて知るべし。
牀上に露白にして衣を換うることを得ざれ。牀上に立地して被服を拽き畳むることを得ざれ。牀上に頭を抓くことを得ざれ。牀上に数珠を弄し声を作して衆を軽んずること得ざれ。牀上に隣単と語話すること得ざれ。牀に在りて坐臥参差すること得ざれ。上牀下牀に、牀上に匍匐すること得ざれ。大に牀席を払拭して声を有らしむること得ざれ。
洗面が終われば、再度僧堂内に戻ってきます。戻り方は、僧堂を出る際の方法の逆ということになりますが、共通しているのは、静かに振る舞わねばならないことです。足音を立てたり、誰かと会話したりするのは厳禁です。常に、静・寂・滅を以て、我が振るまいとせねばならないのです。それこそが、禅定の振る舞いです。
そして、自分が坐っていた場所に帰ってきたならば、再度、被(=掛け布団)でもって、自分の身体を覆って坐禅を行うのであります。無論、自分次第(気温などを鑑み)でひを用いなくても良いとはされますが、冬場は用いた方が良いでしょう。急激に体温が奪われますと、身体に悪いためです。この急激な変化を坐禅・禅定では嫌います。
なお、後夜の坐禅はまだ袈裟は着けません。既にこの連載の中で、後夜坐禅では、住持であっても袈裟を着けない旨申し上げましたが、それが正しい方法です。大衆は当然のことです。後夜の坐禅は、その意味で正式な坐禅では無く、あくまでも起きるための準備体操の時間なのです。徐々に徐々に、身心を起こしていくのです。
ところで、ここに「着替え」のことが書いてあります。これは、多分に洗面が終わってから自位に戻った後で行われると推定されますが、「直裰」の換え方について書かれています。良く、「道元禅師の時代は、褊衫・裙子であったのが、後に直裰のみになった」という人がいるのですが、それは、既に申し上げた通り、『宝慶記』の記述に依存し過ぎです。
堂頭和尚慈誨して曰く。上古の禅和子、皆、褊衫を著けたり。間に直綴を著くる者有り。近来、都て直綴と著くるは、乃ち澆風なり。你、古風を慕わんと欲はば、須く褊衫を著くべし。今日、内裏に参ずる僧は、必ず褊衫を著くる。伝衣の時、菩薩戒を受くる時にも、亦褊衫を著く。近来、参禅の僧家、褊衫を著くるは是れ律院の兄弟の服なりと謂うは、乃ち非なり。古法を知らざる人なり。
第25問答
しかし、上記に見たように、僧堂進退では「直裰」を基準にしています。これは、『正法眼蔵』「洗面」「洗浄」巻などでも同様です。無論、褊衫の記述も見えますので、道元禅師の会下ではこれを着けていた者もいたと思いますが、便利さを鑑みる時、直裰になることは、流れとして肯定されます。しかも、『弁道法』では、「日裏=日中」用と、「打眠=睡眠」用の2つがあったとしています。これは、同じモノを2つ用意したのか?それとも、「打眠」用は若干の略式でもあったのか?この辺分かりませんし、当然に、今の我々が着けているものとは袖の長さを始めとして形が違うので、ここから想像すると勘違いします。
ただし、既に申し上げましたが、道元禅師は睡眠時の寝相の基本を、釈尊涅槃図を元にしていたと考えられます。そうなると、釈尊はまさに、衣服を着けたまま、つまり、袈裟を着けたまま寝ていたということです。ただ、袈裟の形はインドと中国で相違しているので、あくまでも「衣服を着けていた」ということのみを考えなくてはなりませんが、そうなると、「下着」である着物のみで寝ることも出来ないので、やはり「直裰」を着けていたのでしょう。
着替えの方法ですが、今着ている直裰の上から、着替える直裰を重ね、そして今着ている直裰の「帯」を解きます。その上で、今着ている直裰を脱いで自分の周囲に落とし、重ねている直裰に袖を通して帯を結びます。そして、脱ぎ終わった直綴を畳んで、被位の後部に置くのです。つまり、裸になることは無いということです。
そして、それを始めとして、禅床の上で行ってはならないことが列挙されています。まずは、禅床の上に立って着物を畳んではならないとしています。また、頭を掻いてもダメで、数珠で遊んでジャラジャラ音を立ててもダメです(なお、この記述から「曹洞宗では数珠を使わない」と発言する僧侶もいますが、それは誤読です。使っても良いですが、僧堂や衆寮、或いは他の人と対面して用いてはならないのです)。隣の僧と会話することもダメ、勝手に寝ることもダメ、禅床は昇降の方法が決まっているので(後日紹介します)、それ以外の、匍匐して上るようなことがあってもダメなのです。そして、掃除する時も静かに拭き掃除をしなくてはなりません。
かなり細かな決まりがあると理解出来ますが、こういう決まりは、条文だけで見るとうんざりしますけれども、実際に行じてみるとそれほど窮屈ではありません。要するに、目立ったり、荒ぶったり、音を立てたりすることが無ければ、だいたい良いのです。そして、これらを行う理由は、既に繰り返し申し上げている通り、禅定の維持が目的だと考えられます。
この記事を評価して下さった方は、

これまでの読み切りモノ〈曹洞宗8〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。