今日12月9日は断臂摂心で、明日10日は断臂会になります。詳しいことは、【瑩山禅師「断臂上堂」参究】辺りをご覧いただくと良いと思いますが、要するに、今日の夜は、少林寺で面壁する達磨大師に、後に中国禅宗二祖となる慧可大師が、初めて参じようとした日なのです。しかし、達磨は中々認めてくれず、いよいよ慧可は自分の左肘を断ち切って、それを達磨に捧げ、不惜身命の気概を見せつけました。よって、9日夜は、そんな慧可の道業を讃歎して「徹夜坐禅」を行い、翌朝、慧可を讃える上堂を行うという流れだったのです。
それで、この断臂会は、どうも、曹洞宗にしか見えない行法だそうで、同じ禅宗でも、臨済宗ではやらないそうです。理由は良く分かりませんが・・・さておき、その断臂会の上堂(実際には12月10日のものです)を、1つ紹介したいと思います。
断臂会の上堂。
風光の成ずるは現劫空前、身心を埋没し雪天に満つる。
但、一刀の刀下の血を遺し、児孫に濺いで百千年を得る。
『永福面山和尚広録』巻1
江戸時代の学僧・面山瑞方禅師の上堂です。内容としては、この断臂の風光は、現劫の空前に成じているとしています。要するに、慧可の優れた行いは、我々の分別知見を脱落した、無分別だというわけです。無分別の様子とは、身心を(雪に)埋没しているとしています。いわゆる、身心脱落ということです。そして、雪は天に満ちていることから、まさに白一色、それがさとりそのもの、無分別を良く表しているのです。
しかし、慧可は、自分のヒジを刀で断ち切りました。この時、刀から滴る「血」は、禅宗に於ける不惜身命の修行を行う「血脈」としても表されます。そして、その血脈が児孫に注がれ、百年・千年と続いているというわけです。慧可の血脈が、現前していることを意味しています。
よって、この上堂では、まず慧可の道業の無分別なる様子を讃え、さらにその宗風が弟子達に受け継がれる様を表現しているのです。禅宗的には、これで、必要にして十分なる内容だといえましょう。
無分別でありながら、それが伝統・伝灯として、受け継がれていくのです。
ということで、ここで終わってしまうと、かなり短いので、「徹夜坐禅」についても一言。この修行法は、道元禅師の時代には確認出来ませんが、瑩山禅師はかなり熱心に御修行された様子が、瑩山禅師御自身が書き残された文献などから伝わってきます。
恣に二十五世の嫡孫と為り、七・九両夜に打坐して明を遅つ。算じ来るに、已に四十一年、一夜の障難無く、連年の間打坐し来つ。志気、古今を超越す。
『洞谷記』
「七・九両夜」とありますが、「打坐して明を遅(ま)つ」とありますので、一晩徹夜で坐禅したわけです。瑩山禅師はそれを、19歳の時から、41年間続けているとしています。問題は、この「志気、古今を超越す」という想いでしょう。先ほどの面山禅師の上堂語にも通じますが、ひたすらに打坐する様子はまさに無分別です。しかも、その打坐にかける「志気」が、古今を超越しているということは、今この坐禅こそが、まさに慧可の道業に通じるということです。
禅宗に於ける伝統・伝灯の受け継ぎは、何もせずに行われることでは無くて、厳しい修行を通して、初めて実現するのです。瑩山禅師は『伝光録』で、今ここでの修行が充実すれば、仏陀釈尊にも、摩訶迦葉尊者にも会えるというようなことを仰っていますが、まさに『妙法蓮華経』「如来寿量品」に於ける「一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜まず」という教えの具現化なのです。
曹洞宗では、仏を外に見ず、自らの内に見ますが、この「自らの内」と言っても、どこかに有るのでは無くて、まさに、修行を通して、我が身心が、仏身心である時、それを仏といい、それを「只管打坐・即心是仏を承当」するというのです。曹洞宗の仏とは、即心是仏でありますが、未だ発心せざる心を持って、是仏とはしないのです。あくまでも、厳しい修行の継続に於いて、初めて「是仏」となるのです。
その意味で、今晩は是非、慧可大師の不惜身命の心を想い、坐禅したいと思います。
この記事を評価して下さった方は、Image may be NSFW.
Clik here to view.
にほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。
これまでの読み切りモノ〈曹洞宗8〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。
それで、この断臂会は、どうも、曹洞宗にしか見えない行法だそうで、同じ禅宗でも、臨済宗ではやらないそうです。理由は良く分かりませんが・・・さておき、その断臂会の上堂(実際には12月10日のものです)を、1つ紹介したいと思います。
断臂会の上堂。
風光の成ずるは現劫空前、身心を埋没し雪天に満つる。
但、一刀の刀下の血を遺し、児孫に濺いで百千年を得る。
『永福面山和尚広録』巻1
江戸時代の学僧・面山瑞方禅師の上堂です。内容としては、この断臂の風光は、現劫の空前に成じているとしています。要するに、慧可の優れた行いは、我々の分別知見を脱落した、無分別だというわけです。無分別の様子とは、身心を(雪に)埋没しているとしています。いわゆる、身心脱落ということです。そして、雪は天に満ちていることから、まさに白一色、それがさとりそのもの、無分別を良く表しているのです。
しかし、慧可は、自分のヒジを刀で断ち切りました。この時、刀から滴る「血」は、禅宗に於ける不惜身命の修行を行う「血脈」としても表されます。そして、その血脈が児孫に注がれ、百年・千年と続いているというわけです。慧可の血脈が、現前していることを意味しています。
よって、この上堂では、まず慧可の道業の無分別なる様子を讃え、さらにその宗風が弟子達に受け継がれる様を表現しているのです。禅宗的には、これで、必要にして十分なる内容だといえましょう。
無分別でありながら、それが伝統・伝灯として、受け継がれていくのです。
ということで、ここで終わってしまうと、かなり短いので、「徹夜坐禅」についても一言。この修行法は、道元禅師の時代には確認出来ませんが、瑩山禅師はかなり熱心に御修行された様子が、瑩山禅師御自身が書き残された文献などから伝わってきます。
恣に二十五世の嫡孫と為り、七・九両夜に打坐して明を遅つ。算じ来るに、已に四十一年、一夜の障難無く、連年の間打坐し来つ。志気、古今を超越す。
『洞谷記』
「七・九両夜」とありますが、「打坐して明を遅(ま)つ」とありますので、一晩徹夜で坐禅したわけです。瑩山禅師はそれを、19歳の時から、41年間続けているとしています。問題は、この「志気、古今を超越す」という想いでしょう。先ほどの面山禅師の上堂語にも通じますが、ひたすらに打坐する様子はまさに無分別です。しかも、その打坐にかける「志気」が、古今を超越しているということは、今この坐禅こそが、まさに慧可の道業に通じるということです。
禅宗に於ける伝統・伝灯の受け継ぎは、何もせずに行われることでは無くて、厳しい修行を通して、初めて実現するのです。瑩山禅師は『伝光録』で、今ここでの修行が充実すれば、仏陀釈尊にも、摩訶迦葉尊者にも会えるというようなことを仰っていますが、まさに『妙法蓮華経』「如来寿量品」に於ける「一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜まず」という教えの具現化なのです。
曹洞宗では、仏を外に見ず、自らの内に見ますが、この「自らの内」と言っても、どこかに有るのでは無くて、まさに、修行を通して、我が身心が、仏身心である時、それを仏といい、それを「只管打坐・即心是仏を承当」するというのです。曹洞宗の仏とは、即心是仏でありますが、未だ発心せざる心を持って、是仏とはしないのです。あくまでも、厳しい修行の継続に於いて、初めて「是仏」となるのです。
その意味で、今晩は是非、慧可大師の不惜身命の心を想い、坐禅したいと思います。
この記事を評価して下さった方は、Image may be NSFW.
Clik here to view.

これまでの読み切りモノ〈曹洞宗8〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。