江戸時代の慈雲尊者飲光(1718〜1804)は、真言宗の僧侶でしたが、戒律復興に努め「正法律」を唱え、また梵語研究をまとめて『梵学津粱』1000巻を著すなどしています。そして、「十善戒」を分かりやすく説いた『人となる道』は、広く読まれ、行われました。今日は、その一節を見ていきます。
男子なる者女人の装をなす、女人なる者男子の儀をなす、此の国に在って外夷の風にならふ、出家人にして在家の威儀にまねぶ、皆身綺に摂すべし。非類の衣服、非儀の形相、みななすまじきなり。
『人となる道』「第五不綺語」
「不綺語」というのは、「飾り立てのない、衒いのない言葉」を使う、という戒であり、慈雲尊者は「能、此戒をまもる者、世に処して他のあなどりすくなし」(同上)とされ、また、内心が安定するので、楽しみを「外見」に求めることが少なく、例えば海に行けばその海の様子の中に楽しみを見出し、山に居ても、その山に楽しみを見出すとされています。能く、先人が山中に籠もって、修行を続けていたことは、日本仏教でも枚挙に暇はなく、そのような様子を、現代の人は、「よく暇でなかったものだ」と驚くのかもしれませんが、慈雲尊者の言葉を借りれば、それは「不綺語」の実践結果であったのかもしれません。
この飾った言葉を使わないことが、そのまま内心の安定に繋がるという時、拙僧は更にここから、いわゆる「渓声山色」へと繋がっていくように思っています。「渓声山色」とは、渓声を仏語とし、山色を仏清浄法身と見ることです。それを突き詰めていけば、ただこの場にいながらにして、一切の事象は全て、仏の説法となり、仏の姿となるのです。
さて、慈雲尊者はこの「飾る」ということを敷衍して、ただ言葉というだけではなく、我々自身の生き方についても指南しています。そこで、先に挙げたような教えも出てくるのです。然るに、慈雲尊者はまず、男性が女装することを禁じています。或る意味、マツコデラックスにダメ出しです。まぁ、その逆で、女性が男装することも禁じています。「男装の麗人」といえば、川島芳子ですが、これもダメ出し。そして、日本にいながら、外国の姿をすることも禁止しています。今の日本人は、基本的に「洋服」を来ていますけれども、全面的にダメ出しのようです。これについては、何故それがダメなのかが分かりません。女装・男装については、仏教が基本的に、性別の問題に「保守的」であることは事実なので、この指摘は当然ですが、国の問題は一体何なのでしょうかね。
それから、出家人でありながら、在家人の格好をすることも禁止しています。まぁ、これは俗服を着てはならないという事で、本来「三衣」しか持てないはずの出家人には当たり前のことですが、色々と調べてみると、江戸時代の僧侶は、普通に俗服を着てその辺を歩いていたそうで、場合によっては、法度でそれを禁止した例もあるようですが、慈雲尊者がわざわざ例を挙げて禁止されたということは、何かしらの問題があったということなのでしょう。
慈雲尊者が何故、このような服制を設けたかといえば、これら一切が全て「奇を衒う」ことに繋がるからです。奇を衒うということは、自分自身に具わる仏法を参究せずに、いたずらに外に向かって法を求めることとなり、結果的に法を得ることが無くなるからです。法とは、自己自身を疎外して得ることはありません。こういう服装にも、正しい学びへの通路が開けていることに、慈雲尊者は気付かせてくれます。
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男子なる者女人の装をなす、女人なる者男子の儀をなす、此の国に在って外夷の風にならふ、出家人にして在家の威儀にまねぶ、皆身綺に摂すべし。非類の衣服、非儀の形相、みななすまじきなり。
『人となる道』「第五不綺語」
「不綺語」というのは、「飾り立てのない、衒いのない言葉」を使う、という戒であり、慈雲尊者は「能、此戒をまもる者、世に処して他のあなどりすくなし」(同上)とされ、また、内心が安定するので、楽しみを「外見」に求めることが少なく、例えば海に行けばその海の様子の中に楽しみを見出し、山に居ても、その山に楽しみを見出すとされています。能く、先人が山中に籠もって、修行を続けていたことは、日本仏教でも枚挙に暇はなく、そのような様子を、現代の人は、「よく暇でなかったものだ」と驚くのかもしれませんが、慈雲尊者の言葉を借りれば、それは「不綺語」の実践結果であったのかもしれません。
この飾った言葉を使わないことが、そのまま内心の安定に繋がるという時、拙僧は更にここから、いわゆる「渓声山色」へと繋がっていくように思っています。「渓声山色」とは、渓声を仏語とし、山色を仏清浄法身と見ることです。それを突き詰めていけば、ただこの場にいながらにして、一切の事象は全て、仏の説法となり、仏の姿となるのです。
さて、慈雲尊者はこの「飾る」ということを敷衍して、ただ言葉というだけではなく、我々自身の生き方についても指南しています。そこで、先に挙げたような教えも出てくるのです。然るに、慈雲尊者はまず、男性が女装することを禁じています。或る意味、マツコデラックスにダメ出しです。まぁ、その逆で、女性が男装することも禁じています。「男装の麗人」といえば、川島芳子ですが、これもダメ出し。そして、日本にいながら、外国の姿をすることも禁止しています。今の日本人は、基本的に「洋服」を来ていますけれども、全面的にダメ出しのようです。これについては、何故それがダメなのかが分かりません。女装・男装については、仏教が基本的に、性別の問題に「保守的」であることは事実なので、この指摘は当然ですが、国の問題は一体何なのでしょうかね。
それから、出家人でありながら、在家人の格好をすることも禁止しています。まぁ、これは俗服を着てはならないという事で、本来「三衣」しか持てないはずの出家人には当たり前のことですが、色々と調べてみると、江戸時代の僧侶は、普通に俗服を着てその辺を歩いていたそうで、場合によっては、法度でそれを禁止した例もあるようですが、慈雲尊者がわざわざ例を挙げて禁止されたということは、何かしらの問題があったということなのでしょう。
慈雲尊者が何故、このような服制を設けたかといえば、これら一切が全て「奇を衒う」ことに繋がるからです。奇を衒うということは、自分自身に具わる仏法を参究せずに、いたずらに外に向かって法を求めることとなり、結果的に法を得ることが無くなるからです。法とは、自己自身を疎外して得ることはありません。こういう服装にも、正しい学びへの通路が開けていることに、慈雲尊者は気付かせてくれます。
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