今月は、12月です。歳を取る月であることから、臘月ともいいます。さて、江戸時代、そのような臘月に、或る法要が行われましたので、その様子と、それに因んだ或る問答を見ていきたいと思います。
臘月の末(元禄16年[1703]と推定)、お師匠さまの誕生日であるので、(泰心院の)山内では、修行僧が皆集まり円通懺摩法(観音懺法)を修行した。
お師匠さまは、お斎の席を設けて、大衆を供養した。
その時、余が出て問うには、「和尚さまは今日、降誕されました。その時、雲門がいて、棒で撃ち殺そうとした時、どうされますか」。
お師匠さまがいわれるには、「雪が降った後は、寒さに耐える松も、色がまた新しくなるものだ」。
余が進んでいうには、「まさにその時、どうなるのでしょうか」。
お師匠さまがいわれるには、「太だ好いものだ、身心脱落」。
余は礼拝していうには、「万歳、万歳」。
お師匠さまは微笑された。
面山瑞方師『見聞宝永記』、拙僧ヘタレ訳
この『見聞宝永記』を記した面山瑞方師が後に編んだ『洞上僧堂清規行法鈔』巻3・年分行法を見ていくと、12月末日には全く異なる行法を勤めていたようですので、この一件は、歳末に因んで、1年間の様々な禍を退けるために懺悔して、善業を積むことが行われたということと、文中にあるように、損翁禅師の誕生日に合わせるという、2つの意味があったようです。そして、損翁禅師が修行僧のためにお斎の席を設けて供養したようですから、その意味では、円通懺摩法は、その功徳を損翁禅師に回らせていたと考えるべきでしょうか。
さて、そのお斎の席の問答と、愚中という、元々黄檗宗の寺院で修行していた僧の話が、関連して挿入されています。
お斎の席の問答については、著者の面山師が損翁禅師に問われた内容です。これは、或る公案を元にしています。
釈迦老子、初めて生下し来たりて、一手は天を指し、一手は地を指して四方を目顧して云く「天上天下唯我独尊」と。
雲門道く、「我れ当時若し見えるならば、一棒に打殺して狗子に与えて喫却しめ、ひとえに天下太平を図らん」と。
『雲門録』
これは、雲門禅師の語録にありますが、だいたい理解出来ると思います。要するに、雲門禅師がもし、釈尊が生まれ、「天上天下唯我独尊」という言葉を発した時にその場にいれば、棒で撲殺し、犬に食わせて天下太平にしてみたい、と述べているわけです。これについて、禅の教えの中に、従来の価値観の顛倒の結果、ブッダなんかが出て来たから、かえってその教えに迷う者が出た、という見解があるわけです。それを知っていると、この雲門禅師の問答も理解出来ると思います。
そして、面山師はこの問答を使ってそのまま、損翁禅師に、雲門禅師が打ち殺しに来たらどうするか?と聞いているわけです。損翁禅師の回答は、かえってその方が仏法に親しむことが出来ると結論しています。面山師はその回答に、損翁禅師の福寿無窮を「万歳、万歳」と祈りました。まさに、親しい師資の様子を見ることが出来ますね。
「万歳」というのは、今であれば、何となく縁起を良くする掛詞のようなイメージかもしれませんが、実際には、「万歳まで続け」というので、長寿を願うような言葉でありました。結構、そういう印象無いかもしれませんが、禅宗では修行途中で、お互いを気遣う言葉に満ち溢れているのです。
世俗には、安否をとふ礼儀あり、仏道には、珍重のことばあり、不審の孝行あり。
『正法眼蔵』「菩提薩埵四摂法」巻
この、「不審の孝行」という感じで、「万歳、万歳」も捉えていただきたい物です。これは、「疑わしい」ということよりも、「大丈夫ですか?」という気遣いを表現しています。挨拶は、人間関係の基本だといえます。
この記事を評価して下さった方は、
にほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。
これまでの連載は【ブログ内リンク】からどうぞ。
臘月の末(元禄16年[1703]と推定)、お師匠さまの誕生日であるので、(泰心院の)山内では、修行僧が皆集まり円通懺摩法(観音懺法)を修行した。
お師匠さまは、お斎の席を設けて、大衆を供養した。
その時、余が出て問うには、「和尚さまは今日、降誕されました。その時、雲門がいて、棒で撃ち殺そうとした時、どうされますか」。
お師匠さまがいわれるには、「雪が降った後は、寒さに耐える松も、色がまた新しくなるものだ」。
余が進んでいうには、「まさにその時、どうなるのでしょうか」。
お師匠さまがいわれるには、「太だ好いものだ、身心脱落」。
余は礼拝していうには、「万歳、万歳」。
お師匠さまは微笑された。
面山瑞方師『見聞宝永記』、拙僧ヘタレ訳
この『見聞宝永記』を記した面山瑞方師が後に編んだ『洞上僧堂清規行法鈔』巻3・年分行法を見ていくと、12月末日には全く異なる行法を勤めていたようですので、この一件は、歳末に因んで、1年間の様々な禍を退けるために懺悔して、善業を積むことが行われたということと、文中にあるように、損翁禅師の誕生日に合わせるという、2つの意味があったようです。そして、損翁禅師が修行僧のためにお斎の席を設けて供養したようですから、その意味では、円通懺摩法は、その功徳を損翁禅師に回らせていたと考えるべきでしょうか。
さて、そのお斎の席の問答と、愚中という、元々黄檗宗の寺院で修行していた僧の話が、関連して挿入されています。
お斎の席の問答については、著者の面山師が損翁禅師に問われた内容です。これは、或る公案を元にしています。
釈迦老子、初めて生下し来たりて、一手は天を指し、一手は地を指して四方を目顧して云く「天上天下唯我独尊」と。
雲門道く、「我れ当時若し見えるならば、一棒に打殺して狗子に与えて喫却しめ、ひとえに天下太平を図らん」と。
『雲門録』
これは、雲門禅師の語録にありますが、だいたい理解出来ると思います。要するに、雲門禅師がもし、釈尊が生まれ、「天上天下唯我独尊」という言葉を発した時にその場にいれば、棒で撲殺し、犬に食わせて天下太平にしてみたい、と述べているわけです。これについて、禅の教えの中に、従来の価値観の顛倒の結果、ブッダなんかが出て来たから、かえってその教えに迷う者が出た、という見解があるわけです。それを知っていると、この雲門禅師の問答も理解出来ると思います。
そして、面山師はこの問答を使ってそのまま、損翁禅師に、雲門禅師が打ち殺しに来たらどうするか?と聞いているわけです。損翁禅師の回答は、かえってその方が仏法に親しむことが出来ると結論しています。面山師はその回答に、損翁禅師の福寿無窮を「万歳、万歳」と祈りました。まさに、親しい師資の様子を見ることが出来ますね。
「万歳」というのは、今であれば、何となく縁起を良くする掛詞のようなイメージかもしれませんが、実際には、「万歳まで続け」というので、長寿を願うような言葉でありました。結構、そういう印象無いかもしれませんが、禅宗では修行途中で、お互いを気遣う言葉に満ち溢れているのです。
世俗には、安否をとふ礼儀あり、仏道には、珍重のことばあり、不審の孝行あり。
『正法眼蔵』「菩提薩埵四摂法」巻
この、「不審の孝行」という感じで、「万歳、万歳」も捉えていただきたい物です。これは、「疑わしい」ということよりも、「大丈夫ですか?」という気遣いを表現しています。挨拶は、人間関係の基本だといえます。
この記事を評価して下さった方は、

これまでの連載は【ブログ内リンク】からどうぞ。