一昨年2月に、「禅といま」寒中勉強会でお話しさせていただいた際、『正法眼蔵』本文の形式には、幾つかあると指摘しながら、一番多いタイプである冒頭に巻名に関する本則を置いて、その後その提唱を進める形式のものを紹介していたのですが、この辺の形式に基づく分類は、江戸時代にある参究成果でも指摘されています。今日はそれを見ていきたいと思います(なお、この記事を書こうと思ったのは、岡田宜法先生「『正法眼蔵』の研究法に就て」[雑誌『道元』1940年6月号]を受けてのものです)。
各巻の構造から分類した先行研究として、洞明良瓚『校閲正法眼蔵序』(1745年成立)があります。その分類によると、以下の指摘が可能です。
●巻首に必ず経伝を挙げて、直に題意を説示するもの。
有時・心不可得・仏性・恁麼・仏向上・観音・阿羅漢・光明・身心学道・都機・三界唯心・諸法実相・仏道・面授・洗面・梅華・見仏・遍参・坐禅箴・家常・眼睛・龍吟・説心説性・優曇華・祖師西来意・春秋・転法輪・大修行・虚空・安居・他心通・仙陀婆・十方・出家・海印三昧・諸悪莫作・密語・如来全身・出家功徳・帰依三宝・三時業・供養諸仏・四摂法・四馬・深信因果・受戒・四禅比丘・八大人覚。 (48巻)
●未だ始め題する所に関わらざるも所証の旨を挙し、最後に題意と合するもの。
現成公案・夢中説夢・栢樹子・画餅・全機・空華。 (6巻)
●特に所題と違し、奮然として弁道し学者の習気を滌除するもの。
葛藤・陀羅尼・発無上心。 (3巻)
●唯題意を説示するのみにして、他事を添糅せざるもの。
摩訶般若・一顆明珠・即心是仏・洗浄・礼拝得髄・渓声山色・袈裟功徳・山水経・仏祖・転法華・神通・行仏威儀・古鏡・大悟・行持・授記・道得・古仏心・仏経・法性・無情説法・坐禅儀・発菩提心・王三昧・菩提分法・自証三昧・鉢盂・看経・伝衣・仏教・嗣書・生死・道心・唯仏与仏・弁道・示庫院文・重雲堂式・後心不可得。 (38巻)
●敢えて典故を掲げず、撰を結するもの。
重雲堂式・示庫院文・唯仏与仏・生死・道心・陀羅尼・坐禅儀。 (7巻)
●専ら典故を挙げて、貫通するもの。
八大人覚・供養諸仏・四禅比丘・出家功徳・帰依三宝・三時業。 (6巻)
この分類は、撰述表現形式でありますが、95巻本という膨大な著作の内容を見ていくのに、大変に役立つものです。全体として6種類に分類しています。ご覧の通り、一部は重複していますが、この分類を行った良瓚は、4種類の編集に基づく『正法眼蔵』本文を看読すること5度、校閲すること2回という作業・参究し、以上の分類を行っています。当時はまだ、12巻本にのみ編入される「一百八法明門」巻が確認されていませんでしたので、上記分類に入っていませんが、明らかに同巻は最後の「専ら典故を挙げて、貫通するもの」に該当すると思います。
さて、この分類法ですが、分類名をご覧いただければ、大体のところの意味も分かると思います。内容から分類したものではないとはいえ、内容を読み込んだ上で行われていることは間違い無いです。なお、一番多いのは、「巻首に必ず経伝を挙げて、直に題意を説示するもの」となりますが、この経伝というのは、経典などの著作から引用文があって、それが題の意旨を示すものとなります。幾つかの巻を見てみましょうか?
・古仏言、有時高高峰頂立、有時深深海底行、有時三頭八臂、有時丈六八尺、有時拄杖払子、有時露柱燈籠、有時張三李四、有時大地虚空。いはゆる有時は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり。 「有時」巻
・釈迦牟尼仏言、過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得。これ仏祖の参究なり。不可得裏に過去・現在・未来の窟籠を剜来せり。 「心不可得」巻
・釈迦牟尼仏言、一切衆生、悉有仏性。如来常住、無有変易。これ、われらが大師釈尊の師子吼の転法輪なりといへども、一切諸仏、一切祖師の頂ネイ眼睛なり。 「仏性」巻
これは各々巻の冒頭から引用した物です。それぞれ、巻の題名に関わる内容の文章が引用されていて、直ちに解説に入るという特徴が良く捉えられています。また、「敢えて典故を掲げず、撰を結するもの」などは、部分的に引用文がある場合はありますが、御自身のエッセイ的内容であります。とはいえ、明確な形で引用文は示されなくても、仮名文に実質的に先行する文献からの引用が見える場合がありますが、この『校閲』はそこまで突き詰めてはおりません。
拙僧などは、この『校閲』を見る度に、先達の努力の一端を垣間見るのであります。無論、それを用いない理由はないわけで、我々がどの巻から読んでいくかを考えるときや、表現形式の同異から探るときなど、非常に役立つことは間違い無いのであります。他にも、こういった本文読解のためのツール的文献はありますので、今後機会があれば、それらも紹介してみたいと思います。
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各巻の構造から分類した先行研究として、洞明良瓚『校閲正法眼蔵序』(1745年成立)があります。その分類によると、以下の指摘が可能です。
●巻首に必ず経伝を挙げて、直に題意を説示するもの。
有時・心不可得・仏性・恁麼・仏向上・観音・阿羅漢・光明・身心学道・都機・三界唯心・諸法実相・仏道・面授・洗面・梅華・見仏・遍参・坐禅箴・家常・眼睛・龍吟・説心説性・優曇華・祖師西来意・春秋・転法輪・大修行・虚空・安居・他心通・仙陀婆・十方・出家・海印三昧・諸悪莫作・密語・如来全身・出家功徳・帰依三宝・三時業・供養諸仏・四摂法・四馬・深信因果・受戒・四禅比丘・八大人覚。 (48巻)
●未だ始め題する所に関わらざるも所証の旨を挙し、最後に題意と合するもの。
現成公案・夢中説夢・栢樹子・画餅・全機・空華。 (6巻)
●特に所題と違し、奮然として弁道し学者の習気を滌除するもの。
葛藤・陀羅尼・発無上心。 (3巻)
●唯題意を説示するのみにして、他事を添糅せざるもの。
摩訶般若・一顆明珠・即心是仏・洗浄・礼拝得髄・渓声山色・袈裟功徳・山水経・仏祖・転法華・神通・行仏威儀・古鏡・大悟・行持・授記・道得・古仏心・仏経・法性・無情説法・坐禅儀・発菩提心・王三昧・菩提分法・自証三昧・鉢盂・看経・伝衣・仏教・嗣書・生死・道心・唯仏与仏・弁道・示庫院文・重雲堂式・後心不可得。 (38巻)
●敢えて典故を掲げず、撰を結するもの。
重雲堂式・示庫院文・唯仏与仏・生死・道心・陀羅尼・坐禅儀。 (7巻)
●専ら典故を挙げて、貫通するもの。
八大人覚・供養諸仏・四禅比丘・出家功徳・帰依三宝・三時業。 (6巻)
この分類は、撰述表現形式でありますが、95巻本という膨大な著作の内容を見ていくのに、大変に役立つものです。全体として6種類に分類しています。ご覧の通り、一部は重複していますが、この分類を行った良瓚は、4種類の編集に基づく『正法眼蔵』本文を看読すること5度、校閲すること2回という作業・参究し、以上の分類を行っています。当時はまだ、12巻本にのみ編入される「一百八法明門」巻が確認されていませんでしたので、上記分類に入っていませんが、明らかに同巻は最後の「専ら典故を挙げて、貫通するもの」に該当すると思います。
さて、この分類法ですが、分類名をご覧いただければ、大体のところの意味も分かると思います。内容から分類したものではないとはいえ、内容を読み込んだ上で行われていることは間違い無いです。なお、一番多いのは、「巻首に必ず経伝を挙げて、直に題意を説示するもの」となりますが、この経伝というのは、経典などの著作から引用文があって、それが題の意旨を示すものとなります。幾つかの巻を見てみましょうか?
・古仏言、有時高高峰頂立、有時深深海底行、有時三頭八臂、有時丈六八尺、有時拄杖払子、有時露柱燈籠、有時張三李四、有時大地虚空。いはゆる有時は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり。 「有時」巻
・釈迦牟尼仏言、過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得。これ仏祖の参究なり。不可得裏に過去・現在・未来の窟籠を剜来せり。 「心不可得」巻
・釈迦牟尼仏言、一切衆生、悉有仏性。如来常住、無有変易。これ、われらが大師釈尊の師子吼の転法輪なりといへども、一切諸仏、一切祖師の頂ネイ眼睛なり。 「仏性」巻
これは各々巻の冒頭から引用した物です。それぞれ、巻の題名に関わる内容の文章が引用されていて、直ちに解説に入るという特徴が良く捉えられています。また、「敢えて典故を掲げず、撰を結するもの」などは、部分的に引用文がある場合はありますが、御自身のエッセイ的内容であります。とはいえ、明確な形で引用文は示されなくても、仮名文に実質的に先行する文献からの引用が見える場合がありますが、この『校閲』はそこまで突き詰めてはおりません。
拙僧などは、この『校閲』を見る度に、先達の努力の一端を垣間見るのであります。無論、それを用いない理由はないわけで、我々がどの巻から読んでいくかを考えるときや、表現形式の同異から探るときなど、非常に役立つことは間違い無いのであります。他にも、こういった本文読解のためのツール的文献はありますので、今後機会があれば、それらも紹介してみたいと思います。
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