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損翁禅師の袈裟洗濯法(更・或る僧の修行日記3)

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仏教徒たる者、三衣を得て初めて出家が成立しますので、当然に御袈裟を大事にするわけですが、我々曹洞宗では特に、その考えが強い宗派だと思います。いやまぁ、どこの宗派に比べて?とかいうつもりは無いですが、とにかく御袈裟を大事にするのです。今日採り上げるのは、そんな教えの1つです。

 お師匠さまがまたいわれるには、「袈裟を洗濯する方法は、(『正法眼蔵』の)「伝衣」巻に詳しく説いている。つまり、インドから中国まで仏祖が正伝し、面授していた式である。このような方法を採らなければ、仏袈裟を軽蔑する罪を招くこととなる。ただ、永平(道元禅師)の児孫のみが、祖師の示訓によって、この式を知っているのだ。どうして、喜び跳んで随順しないことがあろうか。他宗派の僧侶は、決して知ることは無い。
 それなのに、今の永平派下の僧は、袈裟が古くなり弊れてくると、これを畳んで、江戸や京都の法衣店に送って、洗濯してもらい、補綴してもらっている。ここには、(袈裟を)尊重しなければならない意義を、夢にも知らないのである。誠に痛ましいことだ。だからこそ、10回の内、7・8回は、自分で如法に洗濯すべきである。
 もし、法衣店に送ろうとするならば、再び仏像を修復し、飾り直す方法に倣うべきである。予め(袈裟に)焼香礼拝して、撥遣の方法を修し、更に、還ってくる日を待って、新しい衣を三宝に供養し、後に香華をもって贖い、搭袈裟する方法を行うべきである。
 このようなことは、煩雑ではあるが、仏弟子の本意でもある。慎んで本意を失うことがあってはならない。
    面山瑞方師『見聞宝永記』、拙僧ヘタレ訳

この記事を初めて読んだとき、面山師の本師である損翁宗益禅師の批判は、現代の我々にまでも届いているなぁと、思ったものです。現代でも、多くの場合、御袈裟が汚れたり、壊れたりすると法衣店に洗濯・修繕(或いは、洗濯だけであれば、専門のクリーニング店など)をお願いする場合があって、その時にはただ漫然とお願いしている可能性を感じたからです。

ただ、これは別に、自画自賛などをするつもりで申し上げるのでは無いですが、以前、派手にロウソクのロウを御袈裟に被ったことがあり、その時には流石に法衣店にロウ抜きと再度の染めをお願いしたことがありました。それで、この面山禅師の批判を知っていたので、師匠が残した古い御袈裟をいただき、その間、自分の御袈裟を修理に出したことがあって、しかも、撥遣の方法も一応、行って出しました。

還ってきたときには、御袈裟を頂戴して、身に着けたのを思い出します。

さて、損翁禅師の話に戻りますが、ここで指摘されている「袈裟洗濯法」ですけれども、『正法眼蔵』「伝衣」巻ではなくて、「袈裟功徳」巻になります。一般的な『正法眼蔵』ですと、そのはずですが、何故本文が「伝衣」巻になっているのか、若干理解に苦しみます。一応、『見聞宝永記』を書いた頃、面山師は相模老梅庵にて閉門中のはずで、その時には庵中に『正法眼蔵』を持ち込み読んでいたとされていますが、それで確認しなかったのでしょうか?それとも、師の言葉なので、そのまま載せてしまったのでしょうか?能く分かりません。そこで、「袈裟功徳」巻に見える袈裟洗濯法は次の通りです。

 浣袈裟法
 袈裟をたたまず、浄桶にいれて、香湯を百沸して、袈裟をひたして、一時ばかりおく。またの法、清き灰水を百沸して、袈裟をひたして、湯のひややかになるをまつ。いまは、よのつねに灰湯をもちいる。灰湯、ここには、あくのゆ、といふ。灰湯さめぬれば、きよくすみたる湯をもて、たびたびこれを浣洗するあひだ、両手にいれてもみあらはず、ふまず。あか、のぞこほり、油、のぞこほる、を期とす。そののち、沈香・栴檀香等を冷水に和して、これをあらふ。そののち、浄竿にかけてほす。よく、ほしてのち、摺襞して、たかく安じて、焼香・散華して、右遶数帀して、礼拝したてまつる。あるひは三拝、あるひは六拝、あるひは九拝して、胡跪合掌して、袈裟を両手にささげて、くちに偈を誦してのち、たちて、如法に著したてまつる。
    「袈裟功徳」巻

一応、この時代の通常の方法ですと、まず、灰が入った水を何度も湧かし、それを桶に入れた御袈裟を浸すくらいに入れて冷めるまで待ちます。冷めたらば、今度は普通のお湯でもって度々洗い、垢や油脂を除きます。そして、お香を冷水に入れて、御袈裟を洗います。ここまで済んだら干して乾かし、畳んで、焼香・散華して、行道して御袈裟を礼拝します。礼拝は、三拝から九拝まで、この辺は適宜採用されるのでしょう。そして、胡跪合掌して、御袈裟を両手で捧げ持ち、口で偈(恐らくは搭袈裟の偈だと思われます)を唱えて、正しい方法で御袈裟を着けます。

つまり、損翁禅師が仰る「撥遣法」こそ書かれていませんが、御袈裟を洗い、その後頂戴して再び身に着けるまでの経緯が示されています。なお、これに近い方法を試したことがある人に聞いてみると、もう、お香臭くて大変な状態になるようです。ですが、道元禅師は幾つかの巻で、このお香の香りを身に着けておくことを示しますので、当時の永平寺は、かなりお香の香りが強かったのではないか?と思えてきます。ただ、ここで用いられるお香は、沈香・栴檀香などとあるので、全て輸入品だったと考えられます。だとすると、その費用を考えただけでも、かなり贅沢な洗濯法のはずで、良く言われる道元禅師、といいますか、禅宗の枯淡なイメージとギャップがありますが、実際こう書いてあるので、疑う余地はありません。

普段から身に着ける御袈裟であるが故に、場合によっては洗濯を熱心に行う必要があります。夏場などは、特にそう感じることもありますが、出来れば、自分の手で作法に従って洗濯すべきなのでしょう。損翁禅師は、これは曹洞宗系統にしか伝わっていないと誇っております。損翁禅師は諸行持や様々な教えを道元禅師にまで繋げてみせる、という方法を採りました。それを更に面山師が拡大した印象なのですが、『正法眼蔵』『永平広録』などが徐々に読めるようになり、そこから自らのアイデンティティーを確立していった時代だったのだと理解できます。

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