【こちらの記事】の続きである。
今日彼岸 菩提の種を まく日かな
この俳句というか、標語というか、彼岸会に関わるこれについて、作者を探すという話である。それで、既報の通りネットで調べた限りでは、この作者は以下の3通りがいわれている。
1:松尾芭蕉説
2:与謝蕪村説
3:昔の人説
拙僧の蔵書に山本健吉氏『芭蕉全発句』(講談社学術文庫、2012年)があったので、これで調べてみると、出て来ない・・・でも、もしかしてこの本に入っていない可能性もある、というので、【芭蕉DB】というサイトで「彼岸」または「ひがん」または「ひかん」で検索を掛けてみた。
・・・結果、外れ(汗)
昨日、Twitterでは長谷川櫂氏という俳句研究者が、この句を芭蕉だと仰っていたと伺ったのだが、その理由、拙僧には良く分からなかった。それで、今日は更に、芭蕉の俳句についての専門書も当たってみた。以下の3点である。
?『芭蕉事典』(春秋社、1978年)
?宇田零雨編『芭蕉語彙』(青土社、1984年)
?尾形仂編集代表『新編芭蕉大成』(三省堂、1999年)
それで、この内、?と?には、「今日彼岸」の句については何も述べられていない。一応、芭蕉の句といわれる物を全て(発句・連句合わせて)挙げており、その索引も確認したけれども、載っていなかった。よって、芭蕉研究者の間では、この句は真撰と認められていないと判断して良い。ところがである。?については、芭蕉が俳句等で用いた用語・語彙を網羅的に集成しているのだが、ここに「ひがん 彼岸」の項目があって、見ると、【発句】の1つとして、「けふひがん菩提の種を蒔日かな(一葉集)」とあった。
おおっ?これは一発逆転で確定か?と思ったのだが、?で『一葉集』の解題を確認して、かなりガッカリした。同著は芭蕉関連の書籍で「全集」に分類されるらしいが、詳しくは『俳諧一葉集』といい、かの樋口一葉とは直接の関係は無い。全9冊で、1827年の刊行である。そして、これに先に挙げた一句が載っているとのこと。しかし、この『一葉集』だが、芭蕉作品を集大成した最初の編纂書という名誉ある地位を得たものだが、如何せん、真偽不審の句が入り、全体に出典を挙げないなど不備が多いという。
つまりは、そういう問題のある文献にのみ確認出来るということになる。よって、後には偽撰として退けられ、現在では芭蕉のものとは認められないという話になるのだろう。しかし、芭蕉関連の全集に載っているから、先に挙げた長谷川氏のように、これを芭蕉作だとして扱う人もいるのだと理解できる。しかし、恐らくは芭蕉作では無い(そう思う理由については、色々と考えたが、何かの機会に挙げる。今回はあくまでも文献学的見地のみ)。
まぁ、正直言って、同様の話は俳句や短歌、道歌の世界では珍しいことでは無い。曹洞宗の高祖・道元禅師にも道歌が残り、『傘松道詠』として江戸時代に刊行されたが、これにも道元禅師以外の道歌が数首混入している。
だが、現状では様々な研究も進むようになり、どこまでが真撰かは確定できつつある。その意味では、今回問題にしている一句については、少なくとも「芭蕉」作とは書かない方が良いと思われる。なお、個人的には『一葉集』の版本を当たって、直接確認したいと思っている。今週末、母校を訪れる機会があるので、その時にでも閲覧してこよう。
ところで、1827年刊行の文献に載っているとして(まだ、拙僧個人としては未確定だが)、だとすれば、それ以前に成立した俳句ということになる。それで、昨日の段階で調べ切れていなかった与謝蕪村(1716〜1784)についても、近所の図書館に行き、『蕪村全集』(筑摩書房)第1〜3巻までを調べてみた。しかし、こちらも残念ながら発見できず。そうなると、「蕪村」作と書くのもまずい。
結局、詠み人知らず、という話になりそうなのだが、これは、もうしばらく検討しなくてはならないようである。とりあえずは、『一葉集』の原本を見て、それからである。
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今日彼岸 菩提の種を まく日かな
この俳句というか、標語というか、彼岸会に関わるこれについて、作者を探すという話である。それで、既報の通りネットで調べた限りでは、この作者は以下の3通りがいわれている。
1:松尾芭蕉説
2:与謝蕪村説
3:昔の人説
拙僧の蔵書に山本健吉氏『芭蕉全発句』(講談社学術文庫、2012年)があったので、これで調べてみると、出て来ない・・・でも、もしかしてこの本に入っていない可能性もある、というので、【芭蕉DB】というサイトで「彼岸」または「ひがん」または「ひかん」で検索を掛けてみた。
・・・結果、外れ(汗)
昨日、Twitterでは長谷川櫂氏という俳句研究者が、この句を芭蕉だと仰っていたと伺ったのだが、その理由、拙僧には良く分からなかった。それで、今日は更に、芭蕉の俳句についての専門書も当たってみた。以下の3点である。
?『芭蕉事典』(春秋社、1978年)
?宇田零雨編『芭蕉語彙』(青土社、1984年)
?尾形仂編集代表『新編芭蕉大成』(三省堂、1999年)
それで、この内、?と?には、「今日彼岸」の句については何も述べられていない。一応、芭蕉の句といわれる物を全て(発句・連句合わせて)挙げており、その索引も確認したけれども、載っていなかった。よって、芭蕉研究者の間では、この句は真撰と認められていないと判断して良い。ところがである。?については、芭蕉が俳句等で用いた用語・語彙を網羅的に集成しているのだが、ここに「ひがん 彼岸」の項目があって、見ると、【発句】の1つとして、「けふひがん菩提の種を蒔日かな(一葉集)」とあった。
おおっ?これは一発逆転で確定か?と思ったのだが、?で『一葉集』の解題を確認して、かなりガッカリした。同著は芭蕉関連の書籍で「全集」に分類されるらしいが、詳しくは『俳諧一葉集』といい、かの樋口一葉とは直接の関係は無い。全9冊で、1827年の刊行である。そして、これに先に挙げた一句が載っているとのこと。しかし、この『一葉集』だが、芭蕉作品を集大成した最初の編纂書という名誉ある地位を得たものだが、如何せん、真偽不審の句が入り、全体に出典を挙げないなど不備が多いという。
つまりは、そういう問題のある文献にのみ確認出来るということになる。よって、後には偽撰として退けられ、現在では芭蕉のものとは認められないという話になるのだろう。しかし、芭蕉関連の全集に載っているから、先に挙げた長谷川氏のように、これを芭蕉作だとして扱う人もいるのだと理解できる。しかし、恐らくは芭蕉作では無い(そう思う理由については、色々と考えたが、何かの機会に挙げる。今回はあくまでも文献学的見地のみ)。
まぁ、正直言って、同様の話は俳句や短歌、道歌の世界では珍しいことでは無い。曹洞宗の高祖・道元禅師にも道歌が残り、『傘松道詠』として江戸時代に刊行されたが、これにも道元禅師以外の道歌が数首混入している。
だが、現状では様々な研究も進むようになり、どこまでが真撰かは確定できつつある。その意味では、今回問題にしている一句については、少なくとも「芭蕉」作とは書かない方が良いと思われる。なお、個人的には『一葉集』の版本を当たって、直接確認したいと思っている。今週末、母校を訪れる機会があるので、その時にでも閲覧してこよう。
ところで、1827年刊行の文献に載っているとして(まだ、拙僧個人としては未確定だが)、だとすれば、それ以前に成立した俳句ということになる。それで、昨日の段階で調べ切れていなかった与謝蕪村(1716〜1784)についても、近所の図書館に行き、『蕪村全集』(筑摩書房)第1〜3巻までを調べてみた。しかし、こちらも残念ながら発見できず。そうなると、「蕪村」作と書くのもまずい。
結局、詠み人知らず、という話になりそうなのだが、これは、もうしばらく検討しなくてはならないようである。とりあえずは、『一葉集』の原本を見て、それからである。
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