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今日10月5日は達磨忌です(平成22年度版)

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以前、【真・達磨大師伝(新々・或る僧の修行日記4)】という記事にて、曹洞宗に於ける達磨大師伝について、若干模索してみました。達磨大師は、中国で殺害された後、復活してインドに帰ったという説(宋雲という者が目撃した)がありますけれども、曹洞宗では道元禅師も瑩山禅師も、それぞれにその説を否定され、中国の熊耳峰定林寺に埋葬されているという説を採ります。

よって、それで十分かと思っていましたが、道元禅師の漢詩として遺されたものに、次のようにございました。

  達磨
第二十八祖達磨尊者、南天竺国香至大王第三子なり。
般若多羅尊者を礼して伝法の師と為す。断臂の痴漢と接して子と認ず。
少林寺に在って九白端坐す。時の人喚んで壁観大士と作す。
事、畢えて西天に廻る。甚と為てか早朝に白衣舎に喫飯する。
    『永平広録』巻10-真賛3

・・・あれ?結構問題があるような気がします。例えば、全て終わった後、西に帰っちゃった(汗)これは、まずい、というので、別の『永平広録』(卍山本)も調べてみたところ、一字だけ違うようですが、全体としては同一。よって、どうやら、道元禅師がこのようにお書きになったという事実には違いは無いようです。で、拙僧自身、このことをどう理解しようか?というので、四苦八苦してみましたが、結局は問題ばかりが目立つことになりました。

また、初祖は西帰するといふ、これ非なりと参学するなり。宋雲が所見、かならずしも実なるべからず。宋雲、いかでか祖師の去就をみん。ただ、祖師帰寂ののち、熊耳山にをさめたてまつりぬるとならひしるを、正学とするなり。
    『正法眼蔵』「葛藤」巻

このように、道元禅師は中国禅宗で一般的にいわれていた、達磨大師のインド帰還について否定的でした。よって、ここから考えれば、先の「真賛」をどのように理解すべきか迷うわけです。また、「壁観大士」という言い方については、あくまでも当時の人がそう呼んでいたというので理解して良いのですが、これを踏まえて、達磨大師を「習禅の人」と判断されることは、やはり道元禅師、批判しておられます。これは、ただ悟りや神通力、そういった不思議な結果を得るための修行ではないというのです。

ところで、このような文書がございます。

然して隻履西帰の日に届りて、敢えて摂斎北面の勤めを忘れんや。
    『瑩山禅師』「達磨忌疏」

かつては『伝光録』第28章で、達磨大師の西帰を否定した瑩山禅師でしたが、「疏」では、西帰を受けての文言も見られ、この辺の「不統一」というのは、どのように理解すべきか迷うところです。そこで、先の『永平広録』の註釈書が、江戸時代に幾つか作られていますので、その辺も含めて理解を進めたいと思うのですが、要するに「真賛」の末尾の二句については、道元禅師の見解は以下の通りです。中国で弟子に法を伝え終わり、為すべき事を終えた達磨大師は、インドに帰ろうとした、しかし、それならば、何故早朝に、在家の家で飯を食っているのか?と述べています。これについて、江戸時代の学僧・瞎道本光禅師は、以下のように指摘されます。

早朝にあらざれば、喫飯せず。為甚の故に、這裏これ鳥道去なり。祖師の足下は西天なるか。喫飯時作麼生。
    『永平広録点茶湯

早朝は喫粥かと思っていましたが、喫飯だそうで、要するに、本来行うべき事柄が既に「ずれて」います。このズレを強調して、喫飯という行為そのものが、「鳥道去」だというのです。鳥道というのは、鳥の飛んだ道ということになりますが、我々には空中にそれを見ることは出来ません。その意を転じて、跡(名誉など)を残さずに生き抜き、そして死ぬことを「鳥道」とはいうのです。よって、達磨大師は、本師・般若多羅尊者の命を受けて、インドから中国に来て、その中国にて法器たる、慧可大師を見出しました。ただそれだけであり、名声を残すことなく、「鳥道」のありようの如く去ってしまったというのです。よって、そのような祖師・達磨大師の足下こそが、「西天」であると、瞎道禅師は解釈しておられるのです。つまり、道元禅師の「真賛」に出る「西天に廻る」というのは、場所としてのインドに帰るということではなくて、達磨大師の生誕地、つまりは、「本来の面目」に帰ったこと(=帰家穏坐)を意味していると理解されたのです。

畢竟、玄沙師備禅師が雪峰義存禅師に答えた「達磨東土に来たらず、二祖西天に往かず」の活作略といえます。

達磨大師の坐禅は、習禅ではないとするならば、「面壁九年」して、その結果「安穏」に到ることはありません。あくまでも、その生き方そのものに、「安穏」は現成しているのです。「安穏」とは、同時に「大安楽の法門」であり、それはつまり、悟りそのものであるといえます。我々は、悟りを得たり、見付けたり、明らかにしたり、顕したりすることは出来ません。ただ坐禅のその時、悟りは悟りなのです。このように述べるとすぐに、「では坐禅をしていない時はどうなのだ?」と聞く人があるかもしれません。その問いは、まさに無駄です。戯論です。「余計なことは聴くな」ということです。坐禅はまさに安穏だといっているのだから、後は黙って坐れば良いだけのことです。これこそを「信受奉行」とはいうのです。観察者になって、悟りの有無を言い争っているから、いつまで経っても、悟りはどこか「別の世界」にあるものとなってしまうのです。

そう迷う時、我々は達磨大師の「吾本来此土、伝法救迷情」を思い出すべきなのです。ここにはただ、主体的な実践のみがあり、その実践の理由付けなど求めていません。理由付けが問題ではないのです。或いは議論に勝つことが問題ではないのです。ただ、我々は達磨大師の児孫として、迷情を救うのです。今日、そのことを達磨大師のご真前に改めてお誓いし、その顕彰に努める所存です。南無祖師菩薩、合掌。

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これまでの読み切りモノ〈曹洞宗5〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。

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