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或る「仏教青年会」の聖典について

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昨年のことなのだが、とある場所での古書市に行ったところ、「東京帝國大學佛教?年會編修」の『佛教聖典』(三省堂、初版は昭和9年、手持ちは昭和10年2月第11版)を入手したので、紹介してみたい。まず、本典編修の動機なのだが、巻末に臥された「跋」を見ていくと、次の通りであった(以下、引用に当たり漢字は常用漢字に改める)。

 我邦西欧の文化を移入して以来、思想幾度か変遷して、近時新に東方文化の価値を再認識し、殊にその清華たる仏教を思慕する者復漸く多きを加へんとす。時恰も仏誕二千五百年を迎ふるに当り、或は已に仏教を信じ、或は将に仏教の門を叩かんとする者の間に於て、正しく伝へられたる聖典に近づき、その法味に接せんとするの念願切なるものあり。しかも所謂仏典の浩瀚にして難解なる、之に向ひて拱手歎息せざる者なし。茲に於てか特に青年仏教徒の間に於て、正確にしてしかも平易簡潔なる聖典の編修を翹望するの声愈々高し。
 我東京帝国大学仏教青年会は如上の実情に鑑み、仏誕二千五百年を記念せんが為に、昭和八年十二月十三日の理事会に於て、理事小野清一郎博士の提議を採択し、青年仏教徒を満足せしめ、併せて普く世に仏陀の聖教を伝へんことを念願して、仏教聖典の編修を企てたり。

このようにあった。要するに、明治時代以降、日本には西欧文化が流入し、すっかりそれに染まっていたが、その一方で東洋の文化、その性かである仏教に関心を持つ者も増えてきたと。しかしながら、仏典は読解が困難であり、学びたくても契わない場合が多かったので、「平易簡潔」なる聖典を編み、その者達の要望に応えていきたいという話だったようである。

なお、本典はその性格から、普く流布する事を願っていたようで、巻末には「此の聖典を    に贈る 仏誕二千五百  年 寄贈者    」というようなページがある。よって、有縁の仏道志願者に対して配ったのであろう。

ところで、本典の編者については、本当に豪華な名前が並ぶ。

編修委員長:高楠順次郎
正編修委員:常磐大定、宇井伯寿、宇野円空、橋田邦彦、小野清一郎、長井真琴
嘱託編修委員:西良雄、久野芳隆、坂本幸男、水野弘元、稲葉文海、梶芳光運、藤田海流、成田昌信、横超慧日、柴田道賢

いや、この先生方の力を結集すれば、それこそ何でも出来るだろうと容易に想像できる。『大蔵経』ですら容易に編修してしまいそうだ。それで、この先生方によって編修された『仏教聖典』の内容は、目次に従って以下の通りである。

●読誦用聖典
 帰敬文(含・三帰礼文、開経偈)
 摩訶般若波羅蜜多心経
 讃仏偈(大無量寿経)
 妙法蓮華経如来寿量品偈
 妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈
 普回向
 四弘誓願文

●仏教聖典 第一部
 阿含経(38項目)
 法句経
 遺教経
 四分律
  受戒犍度
  比丘戒本(四波羅夷品)
 梵網経
  菩薩戒心地品(十重禁戒のみ)
 仏所行讃

●仏教聖典 第二部
 般若心経
 金剛経
 大品般若経
  問相品
  成弁品
  善知識品
  趣一切智品
  大如品
  夢行品
  浄仏国品
 維摩経
  仏国品
  方便品
  弟子品
  菩薩品
  問疾品
  不思議品
  観衆生品
  入不二法門
  香積品
 法華経
  方便品
  譬喩品
  薬草喩品
  法師品
  観持品
  如来寿量品
  常不軽菩薩品
  如来神力品
  観世音菩薩品
 大般涅槃経
  純陀品
  哀歎品
  月喩品
  一切大衆所問品
  聖行品
  梵行品
  師子吼菩薩品
  憍陳如品
 華厳経
  世間浄眼品
  盧舎那仏品
  如来名号品
  菩薩十住品
  夜摩天宮菩薩説偈品
  十地品
 大無量寿経
 阿弥陀経
 観無量寿経
 大日経
 勝鬘経
 楞伽経
 理趣経
 解深密経
 金光明最勝王経
 円覚経

●仏教聖典 第三部
 倶舎論
 中論
 大智度論
 摂大乗論
 仏性論
 大乗起信論
 往生論註
 摩訶止観
 大乗玄論
 散善義(観経疏)
 大乗法苑義林章
 華厳経金師子章
 華厳五教章
 六祖壇経
 十不二門
 臨済録
 聖徳皇太子十七憲法
 伝教大師集
  願文
  四條式
  顕戒論
  法華秀句
 弘法大師集
  即身成仏義
  弁顕密二教論
  般若心経秘鍵
 法然上人集
  一枚起請文
  一紙小消息
  登山状
  勅修御伝
  浄土随聞記
  撰択本願念仏集
  往生大要抄
  念仏大意
  九條殿下の北政所へ進ずる御返事
  大胡の太郎実秀が妻室の許へつかはす御返事
  十二箇條問答
  一百四十五箇條問答
  明遍僧都との問答
  現世のすぐべき様は
  念仏往生義
  無量寿経釈
  御歌(12首)
 親鸞聖人集
  教行信証
  讃阿弥陀仏偈和讃
  正像末浄土和讃
  歎異鈔
 道元禅師集
  弁道話
  正法眼蔵随聞記
  学道用心集
  普勧坐禅儀(永平広録巻八からの引用)
  坐禅箴
  正法眼蔵(現成公案第一)
  重雲堂式
  修証義
 日蓮上人集
  立正安国論(含・添状)
  開目鈔
  観心本尊鈔
 跋

以上である。分量としては、項目だけでは分かり難いが、第三部>第一部>第二部となっていて、第二部は主として大乗経典となっているけれども、経数が多いのに分量が少ないということは、かなりの抄出を行っていることが分かる。これは、全体にわたっていえることで、ほとんどは抄出であり、この点から、いわゆる専門書扱いでは無くて、どこまでも入門書扱いをしていることが分かる。とはいえ、ちょっと仏教が好きで、学びたいです・・・というような人では手を出さないような経論・祖録も入っているので、概要を知るには良いと思われる。なお、あくまでも「聖典」扱いであり、解題などは一切含まれていないので、それは別途学ぶ必要があることを付言しておく。

興味深かったのは、「帰敬文」に含まれる「三帰礼文」だが、「当願衆生」の訓読は、現在の曹洞宗でも使っている「当に願わくは衆生とともに」であった。「ともに」の部分は、本来の漢文には無く、「普回向」からの依用だという話もあり、しかも考案者は大内青巒居士であるという話を聞いたこともあるのだが、詳しいことは知らない。そもそもお唱え事を訓読で行うのは、明治時代以降という印象であり、その時に参照したのが曹洞宗系だったのか?他宗派でも使うのか?この辺は良く分からない。

それから、「普回向」だが、通常の四句偈の後に、「南無十方三世一切常住三宝、哀愍救護したまへ」という一文も挿入されている。これは、今の曹洞宗では使わないし、かつて編集された経本や軌範などでも、未見のように思うのだが、他宗派で使うのか?それとも、「略三宝」の代わりに入れたのであろうか?この辺は分からない。

また、「聖典」本文は、漢文も全て訓読され、しかも総ルビである。この「総ルビ」というのがポイントで、この時代、東大系でどう読まれていたのか?という基準になるので、これはまた別途記事にしておきたいところである。等々、若干の所見を付しておくのみとするが、かつての東大生もやっぱり優秀で、この程度のことはあっさり読め、あっさり理解していたのだろうなぁ、と感心しきりで記事を終える。

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