2008年の臘八摂心の時には、曹洞宗の太祖・瑩山紹瑾禅師の『坐禅用心記』の参究を行ったわけだが、それについては、以下のリンク先などをご参照願いたい。
・【瑩山禅師『坐禅用心記』参究 序・1・2・3・4・5・6・7・結】
さて、同連載に於いては、とにかく全体的に読むということに主眼を置いていたので、1つ1つの文脈を深く読む作業はほとんど行うことが出来なかったし、行わなかった。よって、別の機会に、改めて『坐禅用心記』の中から、我々の経験の拡大に寄与する文脈を参究しようと思っていたのである。今日の記事は、その1つであるが、特定の順番などを付けるとややこしくなるので、見ていきたいところを勝手に見ていく。
大仏事・大造営は、最も善事なりと雖も、坐禅を専らにする人は、之を修すべからず。好んで説法教化することを得ざれ、散心乱念、是れより起こる。多衆を好楽し弟子を貪求することを得ざれ。多行・多学することを得ざれ。極明・極暗・極寒・極熱、乃至遊人・戯女の処、并びに打坐すること莫れ。
叢林の中、善知識の処、深山幽谷、之に依止すべし。緑水青山、是、経行の処、渓辺樹下、是、澄心の処なり。
無常を観ずること忘るるべからず、是、探道の心を励ますなり。
瑩山禅師は、大きな法要や、大きな造営というのは、仏縁を繋ぐことからも、或いは、端的に「勧進」という観点からも、「最も善い事だ」とお認めになっている。いわば、法要に布施をし、造営に布施をすることは、在家信者にとっても、僧侶にとっても(余り知られていないが、多くの場合、造営の時、最も布施をするのは、住職個人である)、善行となり、良い功徳を得ることが出来るので、努めて行うべきだという。なお、これが瑩山禅師のご見解だとばかり思ってはならない。道元禅師もまた、そのようにお考えであった。
三宝を一堂に帰崇するの儀軌、行じ来たること久し、功徳は多く、仏事も広かるべし。ここに一力もて功を終うるを覓むべしといえども、遍ねく良縁を結ばんがために、広く十方に化せんとす。竺土・漢土のこれ勝躅なり。正法・像法のこれ僧儀なり。
『宇治観音導利院僧堂建立勧進之疏』
このように、京都の深草に興聖寺を開かれる際、まだ整っていなかった「僧堂」を建てるに辺り、道元禅師は「勧進の疏」を書いたという。その中では、『梵網経』にて、「若仏子よ、常にまさに一切の衆生を教化し、僧房を建立し、山林園田に仏塔を立作すべし。冬夏の安居、坐禅の処所、一切の行道の処所に、皆これを立つべし。もし爾らざれば、軽垢罪を犯す」(第三十九軽戒)という一文を引きながら、仏子たる者、必ず衆生を教化して、僧房(機能的には僧堂に含む)を建て、仏塔を建てるべきだという。これをしなければ、いわゆる「波羅夷罪」ほど重くないにせよ、「軽垢罪」となるという。だからこそ、寺院建築というのは、一大事業であって、しかもそれは、住職を始めとする一部の寺院関係者の自己満足とは批判できない意味を持つのである。たとえ、批判したくても、それは善行である。紛れもなく、仏教では善行である。
よって、金がかかるからおかしい、等という事自体が、抑もおかしいである。道元禅師は、このように僧堂建立に、多くの人に協力してもらう事は、インドや中国での「勝躅(善い行いの記録)」であるという。正法時にも、像法時にも、僧侶が行うべきことであり、ここからは、道元禅師在世時、末法の当時であっても行うべきだということになる。
ところが、瑩山禅師は、そうであっても、坐禅を専らに行う人は、法要や造営をすべきではないという。また、説法教化なども行うべきではないという。ここだけ見ると、我々の坐禅は、小乗的な修行だと理解されるかもしれない。ここでいう小乗的というのは、自らの修行の完成のみを考え、世の衆生に回らすことの無い場合をいう。かつて衛藤即応先生が、東京都宗務所で行われた「伝光会」の講師として趣かれた時、「宗学大系の大綱」ということを仰ったという(東京都宗務所編『伝光会講演集』参照)。そこで衛藤先生は、自ら「禅はどうして伝道宗教になり得るか」を大問題として取り組んでいると吐露されている。つまりは、仏法は坐禅して学べば良い、といってしまう時、結局、世事に忙しい一般の在家信者は、仏法に触れる機会を全く失ってしまうというのだ。
ゴータマ=ブッダの「初転法輪」に到る「梵天勧請」なども、いわゆる自受用三昧に浸るブッダが、衆生教化に踏み出す過程を描いたものだけれども、禅は、自ら自受用三昧に浸るだけに、この過程の追体験を含まないで修行していく場合、小乗的に陥ってしまうのだ。しかしながら、瑩山禅師がそれら、法要や造営、説法教化などを行うべきではないという時、その意図は全く別のところにあって、「散心乱念、是れより起こる」というように、修行の完成を、まず期する所から始めなくてはならないということである。一生参学の大事を諦めていないのに、それら衆生接化を行おうとしても無駄である。
結局、多くの弟子を求め、育てようとしたところで、これも心の散乱の元になるし、騒がしいところでの坐禅もまた、修行の退転の原因となる。我々は、「叢林の中」や「善知識の処」、そして「深山幽谷」にいて、修行を行うべきであり、それは、散乱しやすい心を、「澄心」させるためなのである。結果的に瑩山禅師は、「無常を観ずること忘るるべからず、是、探道の心を励ますなり」とされる。修行の基本とは、無常を観ずることである。それは、縁起し、あらゆる状況で、常なるもの無き現成を、正しく把握することである。
道を求める心は、外の騒ぎに遮られることで、常に退転しがちである。「八大人覚」にも、「楽寂静(寂静をねがう)」という項目があって、更に『正法眼蔵』では、「寂静無為の安楽を求めんと欲わば、当に憒鬧を離れて閑居に独処すべし。静処の人は、帝釈諸天、共に敬重する所なり。是の故に、当に己衆・他衆を捨てて、空閑に独り処して、滅苦の本を思うべし。若し衆を楽う者は、則ち衆悩を受く」(「八大人覚」巻)とされているが、瑩山禅師『坐禅用心記』の先掲箇所は、この見解なども受けているに違いない。ただし、道元禅師も瑩山禅師も、未得道なる者の「独処」は厳に戒めている。
そして、例えば道元禅師は『学道用心集』で、「観無常」によって、「吾我の心生ぜず、名利の念起こらず。時光の太だ速かなることを恐怖す、所以に行道は頭燃を救う」とされるけれども、観無常とは、まさに法の事実を見る修行の完成であると同時に、その修行そのものを生み出す動機にもなる。無常を観るからこそ、我々は「何とかしなくてはならない」と焦るのである。寸陰を惜しんで修行するのである。そして、その無常そのものを、法の事実として了畢し、我々は得道する。先掲箇所で、瑩山禅師が「観無常」を重んじられたのは、むしろ動機としてのそれのためだけれども、我々はこの観無常に、今の我々自身の迷いを放つきっかけの多くも入っていると自覚すべきなのである。そして、それは、世間の騒動を離れ、心安らかなる時に、最も能く自覚できるとも知るべきである。その自覚は、まさに定=禅である。よって、「参禅は坐禅なり」と、両祖は仰るのである。
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・【瑩山禅師『坐禅用心記』参究 序・1・2・3・4・5・6・7・結】
さて、同連載に於いては、とにかく全体的に読むということに主眼を置いていたので、1つ1つの文脈を深く読む作業はほとんど行うことが出来なかったし、行わなかった。よって、別の機会に、改めて『坐禅用心記』の中から、我々の経験の拡大に寄与する文脈を参究しようと思っていたのである。今日の記事は、その1つであるが、特定の順番などを付けるとややこしくなるので、見ていきたいところを勝手に見ていく。
大仏事・大造営は、最も善事なりと雖も、坐禅を専らにする人は、之を修すべからず。好んで説法教化することを得ざれ、散心乱念、是れより起こる。多衆を好楽し弟子を貪求することを得ざれ。多行・多学することを得ざれ。極明・極暗・極寒・極熱、乃至遊人・戯女の処、并びに打坐すること莫れ。
叢林の中、善知識の処、深山幽谷、之に依止すべし。緑水青山、是、経行の処、渓辺樹下、是、澄心の処なり。
無常を観ずること忘るるべからず、是、探道の心を励ますなり。
瑩山禅師は、大きな法要や、大きな造営というのは、仏縁を繋ぐことからも、或いは、端的に「勧進」という観点からも、「最も善い事だ」とお認めになっている。いわば、法要に布施をし、造営に布施をすることは、在家信者にとっても、僧侶にとっても(余り知られていないが、多くの場合、造営の時、最も布施をするのは、住職個人である)、善行となり、良い功徳を得ることが出来るので、努めて行うべきだという。なお、これが瑩山禅師のご見解だとばかり思ってはならない。道元禅師もまた、そのようにお考えであった。
三宝を一堂に帰崇するの儀軌、行じ来たること久し、功徳は多く、仏事も広かるべし。ここに一力もて功を終うるを覓むべしといえども、遍ねく良縁を結ばんがために、広く十方に化せんとす。竺土・漢土のこれ勝躅なり。正法・像法のこれ僧儀なり。
『宇治観音導利院僧堂建立勧進之疏』
このように、京都の深草に興聖寺を開かれる際、まだ整っていなかった「僧堂」を建てるに辺り、道元禅師は「勧進の疏」を書いたという。その中では、『梵網経』にて、「若仏子よ、常にまさに一切の衆生を教化し、僧房を建立し、山林園田に仏塔を立作すべし。冬夏の安居、坐禅の処所、一切の行道の処所に、皆これを立つべし。もし爾らざれば、軽垢罪を犯す」(第三十九軽戒)という一文を引きながら、仏子たる者、必ず衆生を教化して、僧房(機能的には僧堂に含む)を建て、仏塔を建てるべきだという。これをしなければ、いわゆる「波羅夷罪」ほど重くないにせよ、「軽垢罪」となるという。だからこそ、寺院建築というのは、一大事業であって、しかもそれは、住職を始めとする一部の寺院関係者の自己満足とは批判できない意味を持つのである。たとえ、批判したくても、それは善行である。紛れもなく、仏教では善行である。
よって、金がかかるからおかしい、等という事自体が、抑もおかしいである。道元禅師は、このように僧堂建立に、多くの人に協力してもらう事は、インドや中国での「勝躅(善い行いの記録)」であるという。正法時にも、像法時にも、僧侶が行うべきことであり、ここからは、道元禅師在世時、末法の当時であっても行うべきだということになる。
ところが、瑩山禅師は、そうであっても、坐禅を専らに行う人は、法要や造営をすべきではないという。また、説法教化なども行うべきではないという。ここだけ見ると、我々の坐禅は、小乗的な修行だと理解されるかもしれない。ここでいう小乗的というのは、自らの修行の完成のみを考え、世の衆生に回らすことの無い場合をいう。かつて衛藤即応先生が、東京都宗務所で行われた「伝光会」の講師として趣かれた時、「宗学大系の大綱」ということを仰ったという(東京都宗務所編『伝光会講演集』参照)。そこで衛藤先生は、自ら「禅はどうして伝道宗教になり得るか」を大問題として取り組んでいると吐露されている。つまりは、仏法は坐禅して学べば良い、といってしまう時、結局、世事に忙しい一般の在家信者は、仏法に触れる機会を全く失ってしまうというのだ。
ゴータマ=ブッダの「初転法輪」に到る「梵天勧請」なども、いわゆる自受用三昧に浸るブッダが、衆生教化に踏み出す過程を描いたものだけれども、禅は、自ら自受用三昧に浸るだけに、この過程の追体験を含まないで修行していく場合、小乗的に陥ってしまうのだ。しかしながら、瑩山禅師がそれら、法要や造営、説法教化などを行うべきではないという時、その意図は全く別のところにあって、「散心乱念、是れより起こる」というように、修行の完成を、まず期する所から始めなくてはならないということである。一生参学の大事を諦めていないのに、それら衆生接化を行おうとしても無駄である。
結局、多くの弟子を求め、育てようとしたところで、これも心の散乱の元になるし、騒がしいところでの坐禅もまた、修行の退転の原因となる。我々は、「叢林の中」や「善知識の処」、そして「深山幽谷」にいて、修行を行うべきであり、それは、散乱しやすい心を、「澄心」させるためなのである。結果的に瑩山禅師は、「無常を観ずること忘るるべからず、是、探道の心を励ますなり」とされる。修行の基本とは、無常を観ずることである。それは、縁起し、あらゆる状況で、常なるもの無き現成を、正しく把握することである。
道を求める心は、外の騒ぎに遮られることで、常に退転しがちである。「八大人覚」にも、「楽寂静(寂静をねがう)」という項目があって、更に『正法眼蔵』では、「寂静無為の安楽を求めんと欲わば、当に憒鬧を離れて閑居に独処すべし。静処の人は、帝釈諸天、共に敬重する所なり。是の故に、当に己衆・他衆を捨てて、空閑に独り処して、滅苦の本を思うべし。若し衆を楽う者は、則ち衆悩を受く」(「八大人覚」巻)とされているが、瑩山禅師『坐禅用心記』の先掲箇所は、この見解なども受けているに違いない。ただし、道元禅師も瑩山禅師も、未得道なる者の「独処」は厳に戒めている。
そして、例えば道元禅師は『学道用心集』で、「観無常」によって、「吾我の心生ぜず、名利の念起こらず。時光の太だ速かなることを恐怖す、所以に行道は頭燃を救う」とされるけれども、観無常とは、まさに法の事実を見る修行の完成であると同時に、その修行そのものを生み出す動機にもなる。無常を観るからこそ、我々は「何とかしなくてはならない」と焦るのである。寸陰を惜しんで修行するのである。そして、その無常そのものを、法の事実として了畢し、我々は得道する。先掲箇所で、瑩山禅師が「観無常」を重んじられたのは、むしろ動機としてのそれのためだけれども、我々はこの観無常に、今の我々自身の迷いを放つきっかけの多くも入っていると自覚すべきなのである。そして、それは、世間の騒動を離れ、心安らかなる時に、最も能く自覚できるとも知るべきである。その自覚は、まさに定=禅である。よって、「参禅は坐禅なり」と、両祖は仰るのである。
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