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昨日から中国・嵩山少林寺に来ています

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昨日から、中国・嵩山少林寺に来ています。達磨大師の宗風に触れるべく、今日は達磨大師が面壁九年された場所にまで行ってきて、ついでに坐禅してこようと思っております。

  初祖九年面壁
 少林一坐僅ど年を経、目を挙ぐるに親無し鴈天に唳く、
 撥草瞻風人笑うこと莫れ、蛇驚き出て斉肩すべきこと有り。
    『永平広録』巻9-頌古4

さて、道元禅師には九十則の「頌古」が残されており、我々児孫としては、一々の本則となった古則公案に参ずる良き手立てとなっているわけですが、しかしその内容は極めて簡潔で、その一則を讃える内容が多い印象です。以前、指導教授がこの頌古九十則を訳して、1冊の本にするときに手伝ったことがあり、その時にそう感じた次第です。さて、今回見ていく頌古の内容ですが、だいたい以下のように理解すべきでしょう。

達磨は、少林寺にて一坐のみでほとんどの年月を過ごしたが、目を挙げてみたところで、親しき者はおらず、ただ天を飛ぶ雁が鳴くのを聞いたのみである。しかし、草を払い風を見る如く坐禅していただけだと笑ってはならない。この達磨が草を払ったからこそ、叢から蛇が驚き出てきて、達磨と肩を並べたのであるから。
    拙僧ヘタレ訳

最初の「一坐のみで」ということが、いわゆる「面壁九年」ということです。達磨はただ、少林寺にあって九年間坐禅のみをしていたというのです。然るにその坐禅は、何か衆生縁を増すものであったわけではなく、達磨の仏法に親しもうという者は誰もおらず、雁が鳴くのが聞こえるくらいで、物寂しい様子でございました。ただし、その達磨の坐禅が、草を払い風を見るようなもので、ただ自然のままに草が靡く様を表しているのかと思ったら、やっぱりそこには無功徳の功徳というべき働きがあり、草を払ったからこそ、その叢から蛇が驚き出てきたのです。これがいわゆる、正嫡となった慧可大師であります。

慧可大師が得られるという幸運は、まさに、面壁九年の賜物だったのであります。いや、達磨は面壁九年して慧可を得ようとしていたのではありません。強いていえば、伝法救迷情せんとする坐禅でありましたが、それに真っ先に感応したのが、慧可大師だったのであります。慧可大師がいたからこそ、達磨は伝法救迷情することが出来たのであり、その功徳を計り尽くすことは出来ません。

洞門ではこの伝法を非常に重視します。そのため、師勝資強などともいいますが、まさに達磨−慧可の師資はその言葉に相応しい祖師方なのであります。そして、曹洞宗では伝統的に、慧可が達磨尊者に弟子入りした様子を「腰雪断臂」などといい、その優れた道業の恩に報いるべく、12月には慕古心より行ぜられる「報恩断臂」の修行を行うのであります。

よって、拙僧もせっかく、少林寺に訪れることが契いましたので、達磨大師は勿論、慧可大師の恩に報いるべく、そのおられた場所まで行き、ご供養してきたいと思っております。南無震旦初祖円覚大師、南無正宗太祖普覚大師。

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