前回の【(12u)】に引き続いて、無住道曉の手になる『沙石集』の紹介をしていきます。
『沙石集』は全10巻ですが、この第10巻が、最後の巻になります。第10巻目は、様々な人達(出家・在家問わず)の「遁世」や「発心」、或いは「臨終」などが主題となっています。世俗を捨てて、仏道への出離を願った人々を描くことで、無住自身もまた、自ら遁世している自分のありさまを自己認識したのでしょう。今は、「4 俗士、遁世したりし事」を見ています。名前は良く知られていないようですが、在地領主が亡くなった時、その跡継ぎに賢い人がいたというのです。詳しいことは、お話をご覧ください。他にも、類似したお話を紹介しています。
許由という賢人は、帝王から、大臣になれという宣旨を聞いて、頴川という川に行き、耳を洗って帰ってきた。巣父という賢人は、牛を引いて頴川に行き、水を飲ませようとした。許由が帰るときに行き会った。許由がいうには、「大臣になれという宣旨を聞いて、耳が汚れてしまったものだから、頴川ですすいで帰ってきたのだ」と。(巣父は)「それならば、その水は汚れているから、牛には与えないでおこう」というと、巣父は牛を引いて帰ってしまった。「許有は耳を洗い、巣父は牛を引く」と申し伝えられているのは、この事である。
末法の世であると、このような(宣旨を聞いた)耳を大変に有り難く思い、錦で包み、錦でくるみ、他の人にまでわざわざ拝ませている。
そうであるから、この時代の人の中に、遁世門に入ろうとする人がいるというのは、有り難く思われる。真実の道について思い、世間の空しき道理を知れば、何事か心に留め、如何なる縁に妨げられようか。昔の大王は、国の位を捨てて、一乗(『法華経』)の御教えを習い、菜を摘み、水を汲み、千年に至るまで給仕したものである。わずかな時間過ごすだけの世間に心を留め、道に入る人の習慣がないというのは、実に愚かである。
拙僧ヘタレ訳
許由と巣父の話は、非常に有名な中国の故事であり、『荘子』「逍遥遊」や、司馬遷『史記』「燕世家」などに見えるものです。一言でいえば、栄華・栄誉を否定し、真の道を歩もうとした人達の闊達なる姿を描いたものといえましょう。なお、ここで許由に国を譲ろうとしたのは、伝説的な帝王であった、帝尭であったとされます。この故事が無住の手に掛かると、いわゆる「遁世」を重んじる様子へと展開されますが、これはまさに、かつて『荘子』などが語った状況の、仏教的展開だといって良いでしょう。
さて、この話の主題は、その許由と巣父の会話が主になっておりますが、その後半にある無住の言葉を詳しく見ていきましょう。まず、「末法の世」についてです(原文では「末代」)。無住は、時代が変わり、人の心が衰えてくると、許由などとは逆の振る舞いをするようになると批判しています。それが、耳を川で洗うのではなく、かえって名誉ある呼びかけを受けた事実を貴び、それを自慢するような振る舞いです。どうも、無住の時代から、今に至るまで変わっていないように思いますし、拙僧自身もくれぐれも気を付けねばならないところです。
更に、無住はそこまで論じながら、改めて「遁世門」に入ることの素晴らしさを説いています。「遁世」とは、「発心」などともいわれますが、いわゆる「出家」というのとも若干意味を異としていて、本当にこの世間が無常だと自覚し、真実の道、ここでいえば仏道に入ろうと願うことです。仏道に入る「発心」をすれば、そのためだけに自らの全身心を捧げるようになります。ここで、無住が指摘している「昔の大王」というのは、遥か過去世に国王であった釈尊が、提婆達多の前生である「仙人」に『法華経』を聞いたという一件を指しています。出典は『妙法蓮華経』「提婆達多品」であり、これにより、仏陀への反逆者という位置付けの提婆達多も、『法華経』に因む過去世の因縁で救われる、という話に展開していくのです。
問題はその因縁譚というよりも、「遁世」「発心」の有り様を示すということです。
世間が不完全で無常であると説き、真実の仏道に入るよう促すというのは、少なくとも大乗仏教では一般的な教説のように思いますが、とても大切な教えです。繰り返しになりますが、このことを聖徳太子は「世間虚仮、唯仏是真」と説き、浄土教系では「厭離穢土、欣求浄土」と説きました。我々も、そこで何故このような教えが繰り返し説かれているかを知り、真実の教えに帰入するよう、それこそ、無住の教えにしたがってみたいものです。
【参考資料】
・筑土鈴寛校訂『沙石集(上・下)』岩波文庫、1943年第1刷、1997年第3刷
・小島孝之訳注『沙石集』新編日本古典文学全集、小学館・2001年
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『沙石集』は全10巻ですが、この第10巻が、最後の巻になります。第10巻目は、様々な人達(出家・在家問わず)の「遁世」や「発心」、或いは「臨終」などが主題となっています。世俗を捨てて、仏道への出離を願った人々を描くことで、無住自身もまた、自ら遁世している自分のありさまを自己認識したのでしょう。今は、「4 俗士、遁世したりし事」を見ています。名前は良く知られていないようですが、在地領主が亡くなった時、その跡継ぎに賢い人がいたというのです。詳しいことは、お話をご覧ください。他にも、類似したお話を紹介しています。
許由という賢人は、帝王から、大臣になれという宣旨を聞いて、頴川という川に行き、耳を洗って帰ってきた。巣父という賢人は、牛を引いて頴川に行き、水を飲ませようとした。許由が帰るときに行き会った。許由がいうには、「大臣になれという宣旨を聞いて、耳が汚れてしまったものだから、頴川ですすいで帰ってきたのだ」と。(巣父は)「それならば、その水は汚れているから、牛には与えないでおこう」というと、巣父は牛を引いて帰ってしまった。「許有は耳を洗い、巣父は牛を引く」と申し伝えられているのは、この事である。
末法の世であると、このような(宣旨を聞いた)耳を大変に有り難く思い、錦で包み、錦でくるみ、他の人にまでわざわざ拝ませている。
そうであるから、この時代の人の中に、遁世門に入ろうとする人がいるというのは、有り難く思われる。真実の道について思い、世間の空しき道理を知れば、何事か心に留め、如何なる縁に妨げられようか。昔の大王は、国の位を捨てて、一乗(『法華経』)の御教えを習い、菜を摘み、水を汲み、千年に至るまで給仕したものである。わずかな時間過ごすだけの世間に心を留め、道に入る人の習慣がないというのは、実に愚かである。
拙僧ヘタレ訳
許由と巣父の話は、非常に有名な中国の故事であり、『荘子』「逍遥遊」や、司馬遷『史記』「燕世家」などに見えるものです。一言でいえば、栄華・栄誉を否定し、真の道を歩もうとした人達の闊達なる姿を描いたものといえましょう。なお、ここで許由に国を譲ろうとしたのは、伝説的な帝王であった、帝尭であったとされます。この故事が無住の手に掛かると、いわゆる「遁世」を重んじる様子へと展開されますが、これはまさに、かつて『荘子』などが語った状況の、仏教的展開だといって良いでしょう。
さて、この話の主題は、その許由と巣父の会話が主になっておりますが、その後半にある無住の言葉を詳しく見ていきましょう。まず、「末法の世」についてです(原文では「末代」)。無住は、時代が変わり、人の心が衰えてくると、許由などとは逆の振る舞いをするようになると批判しています。それが、耳を川で洗うのではなく、かえって名誉ある呼びかけを受けた事実を貴び、それを自慢するような振る舞いです。どうも、無住の時代から、今に至るまで変わっていないように思いますし、拙僧自身もくれぐれも気を付けねばならないところです。
更に、無住はそこまで論じながら、改めて「遁世門」に入ることの素晴らしさを説いています。「遁世」とは、「発心」などともいわれますが、いわゆる「出家」というのとも若干意味を異としていて、本当にこの世間が無常だと自覚し、真実の道、ここでいえば仏道に入ろうと願うことです。仏道に入る「発心」をすれば、そのためだけに自らの全身心を捧げるようになります。ここで、無住が指摘している「昔の大王」というのは、遥か過去世に国王であった釈尊が、提婆達多の前生である「仙人」に『法華経』を聞いたという一件を指しています。出典は『妙法蓮華経』「提婆達多品」であり、これにより、仏陀への反逆者という位置付けの提婆達多も、『法華経』に因む過去世の因縁で救われる、という話に展開していくのです。
問題はその因縁譚というよりも、「遁世」「発心」の有り様を示すということです。
世間が不完全で無常であると説き、真実の仏道に入るよう促すというのは、少なくとも大乗仏教では一般的な教説のように思いますが、とても大切な教えです。繰り返しになりますが、このことを聖徳太子は「世間虚仮、唯仏是真」と説き、浄土教系では「厭離穢土、欣求浄土」と説きました。我々も、そこで何故このような教えが繰り返し説かれているかを知り、真実の教えに帰入するよう、それこそ、無住の教えにしたがってみたいものです。
【参考資料】
・筑土鈴寛校訂『沙石集(上・下)』岩波文庫、1943年第1刷、1997年第3刷
・小島孝之訳注『沙石集』新編日本古典文学全集、小学館・2001年
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