或る宗学者による日本仏教への憂慮について

まずは、この一文をご覧いただきたい。

今日の日本の社会情勢を考えてみると、全国に散在する由緒ある堂塔伽藍は観光の対象となり、信仰の対象であった仏像は古文化財美術品として展覧せられるようになって来ている。日本仏教の歴史的聖地として知られた比叡山も高野山も観光客を誘致するに窮々としている今日、まさに観光仏教といわれる所以である。これでは仏教は歴史的遺物となる他はないように思える。又一方、教化伝道を使命とする寺院の生活は……申しにくいことではあるが……維持に困難であり、アルバイトに奔走しているというのが今日の偽らざる現状である。これで果たして日本仏教は復興するか、日々日本仏教は古文化財になりつつあるのではなかろうか。
　　　　東京都曹洞宗宗務所編『伝光会講演集』22頁

この講演集は、昭和33年（1958）に曹洞宗の東京都宗務所主催によって開催された「伝光会」にて、或る曹洞宗の学者が指摘したことである。これを見て、「今も同じような状況だな」という人もいれば、「既にこの時期に言われていたのか」という人もあるだろう。拙僧は、この両方ともに納得できることである。逆にいえば、今更に日本仏教の問題点を指摘する人もいるけれども、このように指摘されてきたという歴史を知らないのであろう。端的に勉強不足である。

なお、この講演を行ったのは、駒澤大学で総長も務め、曹洞宗の教学を近代化し、「宗学」という用語を生み出した衛藤即応先生である。衛藤先生は、時代に即した道元禅師像を求めつつ、しかしながら、その歴史的限定を超えて、まさに、祖師である道元禅師を顕彰・検証せんと『宗祖としての道元禅師』（岩波書店）を編まれ、これを以て、京都帝国大学で文学博士号を取得された。また、京都府北区にあった安泰寺（現在は移転）に住持され、後進の育成に努め、また駒澤大学でも、道憲寮を開き、学を志す者達を指導した。そして、岩波文庫から上中下3巻本の『正法眼蔵』を出版され、その大衆化を模索されたのである。

衛藤先生は、若い頃は、学者たる者、世に出て多くのことを語るべきではないと思われていたようで、講演などもほとんど断っていたという（前掲同著）。ところが、晩年に至ってからは、それまでに自らが培ってきたことを、多くの人々に伝え、その修行弁道の足しにしていただければとも思っていたという。事実、この講演は、昭和33年3月に行われたものだが、衛藤先生は、同年10月に御遷化された。墓所は、東京都世田谷区・豪徳寺境内にある。

その衛藤先生だから、晩年になるにつれて、日本仏教への心配・憂慮は、増すばかりであったという。しかも、戦中・戦後の混乱が一段落したは良いものの、社会は高度経済成長に向けて、大きくその姿を変貌しつつあり、その中で、人々の心の変化もまた、大きく変容していった。衛藤先生は、その人の心のあり方について、特に憂慮していた。そして、衛藤先生はこの時代既に、その原因が「教育」にあると喝破しておられた。

宗教はかかる偉大な力があるので、国家の力でこれを拘束してはならないというのである。そこで信教自由となり公立学校から宗教を閉め出したのである。それ程大切であり、力のある宗教をあってもなくてもよいとする無宗教の人間が次々と教育されてきている。これは日本仏教の将来に関して考えねばならぬ実に大きな問題である。
　　　　前掲同著25頁

最近ではまた、特定の宗派に因らない形ではあるが、公立学校でも宗教について教えるように方針転換したという。もちろん「遅ればせながら」という言葉は付けねばならないけれども・・・理由は明白で、宗教というのは、結局、それをそのように教わってきた人から、次の世代に教えなければ、ただの概念に堕するからである。宗教とは、明確に活動であり、信仰という体験である。無論、それをそのまま実践させるわけにはいかないし、或る意味信仰を持っている教師が、その信仰を語ったところで、教育にはならない。だが、教育は必要だ。しかも、国家がそれを主導すれば、また「国家宗教」の復活であるから、それは避けねばならない。

衛藤先生の憂慮は、我々に科せられた、未だに大きな問題であるといえる。

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