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或る法論の現場

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最近、かつてのようにブログリーダーを用いながら、各ブログを閲覧できるようになったので、またそれを中心に情報収集するように心がけているのだが、いやまぁ、相変わらずの「法論」好きの状況が見て取れる。とりあえずは以下の2種類について考えてみたい。なお、予め断っておくが、各教団の情報については、Wikipediaを始めとして、幾つかの関連サイトの情報を、適宜要約したものである。

ケース1:親鸞会 VS アンチ親鸞会

「親鸞会」というのは、元浄土真宗本願寺派僧侶である高森顕徹が設立し、代表を務める。本部を富山県射水市(旧射水郡小杉町)に置いているのだが、まぁ、教義的には「地獄に落ちる」などが多用される脅迫的内容であり、そのために会員に対して善行を勧めている。とはいえ、それが実質的には教団への布施などを意味しているらしいので、かなり危うい教団である。一説には、カルトであるともいう(宝島社『カルトの正体。』参照)。そして、活動的にも本願寺やその関係者・関係寺院に対しての、嫌がらせに等しい示威活動などを行っているようで、正直いって褒められない。

で、この教団に対しては、「アンチ親鸞会」というべき人が、かなりいるようである。無論、挑戦された格好の本願寺派でも対応はしているようだが、ネット上で見ている限りは、アンチの人が、高森氏が唱える説に対して、その内容が如何に親鸞聖人の教えに反しているかを指摘している。拙僧も、その状況を見ているが、両者に利害が無い、或る意味中立者の拙僧からいっても、高森氏の教えはかなりメチャクチャで、断章取義的である。

しかし、こういう人の教えでも(教えだからこそ?)、信じてしまう人がいるのが、何とも不可解だが、それも含めて縁ということなのかもしれない。拙僧は、アンチの人が用いる文脈を見ていると、親鸞聖人の著作に触れる機会が増えるので、それを目的に閲覧している。この両者の争いはいつまで続くか分からないが、アンチの人が法戦を仕掛けているのは理由があって、そもそも親鸞会が、本願寺に対して法戦を仕掛けたようであり、親鸞会では法話会を重視しているようである。だから、アンチの人は、法戦によって会の教義の妥当性について、白黒付けようと思っているようだが、会は受けてくれないようである。まぁ、それを見ていると、この会が何のために存在しているか理解出来る。つまり、法戦などを通して、正しい教義理解をしたいのではなくて、ただ自分たちの正統性を訴えたいだけなのである。典型的な、名聞利養志向のあさましい団体だといえる。

ケース2:日蓮正宗 VS 創価学会 VS 顕正会 VS 他

まぁ、こちらは派手な戦いである。でも、「日蓮正宗」というのは、富士大石寺を総本山とする、一応伝統的な仏教教団である。日蓮聖人の弟子であった日興上人が開いた大石寺を根本としているのだから、そりゃ伝統は古い。しかも、同寺とその法主を権威付けるためのギミックも多数用意されていて、その辺が何とも興味深いところである。なお、今の宗派名に定まったのは、1912年だそうだから、まだ100年ちょっとである。なお、同寺には「法華講」という『法華経』や同宗派の教理を学ぶ組織があって、これの一部が、実質的な新興宗教的活動を行っている。

それから、「創価学会」については、1930年11月18日、小学校の校長だった牧口常三郎と、戸田城聖などの当時の教育者などが集い、日蓮の仏法精神に基づく教育の実践(教育者の育成)を目的とする団体「創価教育学会」であったという。戦時中は弾圧を受け、1943年6月に牧口、戸田を含む幹部が治安維持法並びに不敬罪によって逮捕され、牧口が獄死。1945年7月に出獄した戸田は、組織名を創価学会に改名すると、当時千世帯程度の小勢力であった学会の第2代会長となり、75万世帯の折伏を目標に組織を整備し、1952年に宗教法人の認証を得た。戦後の創価学会は戸田の手腕で急拡大するが、その過程で一部信者による強引な勧誘・折伏は、多くの社会問題も引き起こし、更に、1960年に池田大作が会長(後に名誉会長)に就任し、現代に到る。この会は、元々は宗教団体ではなく、日蓮正宗の講(信徒団体)である。そして、池田は日蓮正宗本山である大石寺に毎年数億円を寄進し、信徒のトップである「講頭」として公認されていたものの、会では徐々に池田を神格化し、池田を教祖とする新興宗教の様相を帯び、日蓮正宗との間で次第に対立が激しくなって、1991年11月、創価学会は日蓮正宗から破門されて「宗門」と「信徒団体」という関係は消滅している。よって、ここの争いはまぁ、当然だといえる。

また、「顕正会」については、第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)に、日蓮正宗妙光寺(東京都品川区)の総代だった浅井甚兵衛が初代講頭となって、妙光寺所属の法華講の一講中として結成した東京妙信講が前身であり、戦後になると妙光寺から豊島教会(現・妙国寺。板橋区)へと所属変えを行い、その後に法道会(現・法道院。東京都豊島区池袋)へと所属を変えて一時解散。その後、法道会から離脱し、独立を企てて妙信講を組織するが、やがて創価学会が中心となって寄進・建立した正本堂の教義上の位置づけをめぐり日蓮正宗・創価学会と激しく対立する。結局、富士大石寺の正本堂建立時に発生した国立戒壇の教義解釈の違いが原因で日蓮正宗から破門され、その後、宗教法人法に基づいて宗教法人となり、宗教法人顕正会となる。現在の代表役員は浅井昭衛である。こちらも、争うのは当然といえる。

●微妙な結論

ということで、法華講の人、学会の人、顕正会の人、それぞれへのアンチと入り乱れての論争を見ることが出来る。「親鸞会」の場合よりも余程複雑で、論点も分かりづらいのだが、論争といっても大概は、相手への罵詈雑言が中心であり、その意味では先に挙げた親鸞会関連の状況と余り変わらない。要するに、論争を通して、真実の教えに触れる、というような発想に乏しく、ただ自らの正義を満足させたいだけの話だといえる。それから、それぞれをカルト認定して、そこからの脱却を目指す、或いは促す人たちの場合には、もう少し冷静な議論をしているように見える。

とはいえ、全体的には非常に問題がある議論ばっかりで、総じていえば、「そう信じている人にだけ理解可能な話」をしているに過ぎない場合が多い。よって、見ていても、余り勉強にならないのである。まぁ、「論争」というと、「勝つこと」が目的になってしまうのも致し方ないのかもしれないが、仏教での論争とは、勝ち負けよりも「真実に触れる」ことが一層大事なのであり、それは教団組織などと直接関係がない。あくまでもその当事者本人にとっての問題である。だいたい、論争を行うということは、自分の正しさを自分で満足できず、他者の承認を必要としていることを意味する。他者の承認を必要とするような真理・・・到底、未熟であると思われる。

よって、論争などは無用の長物なのだ。まぁ、世俗に生きる権力者などが、自分が信じる教えを手っ取り早く決めるために、法論を行わせた事例などはあるようだが、それは世俗の論理であって、仏教本来の機能や位置づけとは関係が無いはずである。また、「信教の自由」の保証も、このような他者からの信仰承認の不要を促進しているはずである。拙僧が納得出来ないのは、ここに起因する。まぁ、自分たちが他人より優れていると訴え続けるのは、本当の意味で自信が無いことの裏返しであるから、拙僧などはそういう風に捉えている。

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