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Channel: つらつら日暮らし
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今日は旧暦なら解夏の日です(平成25年度版)

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今日は盂蘭盆会(お盆)の日だと思っている人、首都圏には多いだろうし、それはそれで正解だが、しかし、もっと大切なのは、今日7月15日、夏安居の解制日だということであろう。現在では暦の関係で8月15日になってしまっていますが、元々はこの日だったわけである。詳しいことは、【7月15日 解夏の日】などをご参照いただくと良いと思う。

それで今日はこの解制の日に、道元禅師がどのような説法をされたかを見ていきたいと思う。

 解夏の上堂。
 払子を以て、打一円相して便ち云く、這箇を認じて法歳周円と作すこと莫れ、這裏に向かって更に飯埦を打破することなかれ。正当恁麼の時、如何。
 良久して云く、万里、直須無寸草なり、石頭垂足高山に住す。
    『永平広録』巻2-130上堂

この上堂であるが、寛元3年(1245)7月15日のものであったと推定され、いわゆる大仏寺(後の永平寺)最初の夏安居の終わりを告げるものであった。内容としては、払子でもって「一円相」を画き、その上でどうするか?という話である。「一円相」とは、通常の理解であれば、仏法の円かなる様子を示す動作であるといえるけれども、道元禅師はことさらにその「円」に拘って、「法歳周円」であることを認めてはならないとされる。

「法歳周円」とは、法歳が円かにめぐること。いわば、安居を終えて法臘を1歳増すことをいうわけだが、仏法の円満なる働きを、ただ円とのみ捉え、それで何かが終わったような印象を抱くことを諫めたものといえる。一方で、この円相に向かって、食器を投げつけて壊すことがあってもならないとしている。これもやはり、修行の終わりを想起せしめる振る舞いであって、「解夏」に伴って、修行の終了を思う場合が多かったといえよう。

だからこそである。道元禅師は、「一円相」を画くこの解夏の時、それはどのようなことかと弟子達にお尋ねになっている。

しばし無言の間を置かれていわれるには、万里という無窮の時間・空間の中には、1本の草も無いようにしていくべきであると、それは、修行の無限なる継続を意味し、同時に石頭(希遷禅師)が足を垂らして高山にとどまるような、優れた働きを持っていなくてはならない、ということになる。「無寸草」はただの煩悩を破すことを意味しない。そう捉えてしまうと、石頭の如き働きは出てこない。「無寸草」でありながら、同時に石頭の如き働きを持つ状況、それが道元禅師が説こうとしておられる仏法そのものである。

そして、その優れた働きも、無寸草も、ともに、解夏で終わることなき不離叢林にこそあると述べておられるといえよう。その働きを示されたのが「一円相」なのである。なお、この夏安居が始まる結夏の時、道元禅師は次のように垂示された。

結夏の上堂。払子を拈じて一円相を作して云く、安居は遮箇を超越す。又、一円相を作して云く、安居は這箇を究参す。〈中略〉乃ち払子を拈じて一円相を作して云く、這箇の巣裏に向かって安居すべし。
    『永平広録』巻2-127上堂

まさに、「一円相」とは、この夏安居を結ぶに辺り、道元禅師から学人に提起された「本則」そのものであった。それが正しく会得できたかどうかを、解夏で試しておられるのである。繰り返すが、「一円相」とは仏法の円かなる様子を示す振る舞いである。よって、道元禅師は、安居とは仏法を超越し、仏法を参究し、そして、仏法の中に於いて安居すると述べておられる。その自己と仏法の一枚となる様子が会得できたかどうかが、最もかんじんなのである。そして、会得できたのであれば、修行は継続されていく。何故ならば、そのような実参実究こそが、仏法だからである。

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