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第二十八自別請僧戒(『梵網菩薩戒経』参究:四十八軽戒28)

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前回に続いて、今回も当連載に於いては、教団内の運営方法についての条文を扱っています。なお、今回については、予め申し上げておけば、「知事」という、僧侶や教団を統括する役割の僧侶が登場していることを指摘しておくべきでしょう。曹洞宗の大本山永平寺を開かれた高祖道元禅師には、『永平寺知事清規』という文献があり、同著の中ではそれこそ「知事」として活動するべき役僧の精神や仕事内容など、多岐に渉って懇切丁寧に開示されていますが、その道元禅師にまで至る仏教教団の伝統を、『梵網経』は示しているといえましょう。

なお、その道元禅師は「知事」について、極めて簡潔にこのように示されます。

知事は貴にして尊たり、須らく有道の耆徳を撰ぶべし。
    『知事清規』

この「有道」というのが、「知事」選抜の第一基準であります。仏道に契うということです。普通、世間であれば、こういう組織を統轄する役目の人に、「清廉潔白さ」などを求めるのかもしれませんが、道元禅師はそれを否定し、とにかく「仏道に契う」ことを前提に「知事」を選抜されます。清廉さは、なるほど外面は良いかもしれませんが、その清廉さを求める我々の心奥その者を批判=吟味するには、こういう外面だけ良い人間は信用できません。どこまでも「有道」が基準にならねばならないのです。

そこで、『梵網経』本文を見ていきましょう。

 なんじ仏子。出家の菩薩・在家の菩薩、及び一切の檀越有りて、僧の福田を請じて願を求めんの時は、応に僧房に入りて知事の人に問うべし、今、僧を請して願を求めんと欲す。
 知事、報えて言うべし、次第に請せば、即ち十方賢聖の僧を得ん。而も世人、別に五百の羅漢・菩薩僧を請せば、僧次の一凡夫僧に如かず。
 若し別に僧を請せば、是れ外道の法なり。七仏に別請の法無し、孝道に順ぜず。若し故らに別に僧を請ぜば、軽垢罪を犯す。
    第二十八自別請僧戒

諸本によって、この戒本の文章はかなりの相違を見せますので、とりあえず天台智?『菩薩戒義疏』なども参照して訓読しております。ここでいわれているのは、ここ数回と同じ問題圏であり、要するに檀越が僧侶を招く際の作法といえましょう。特に「別請(個別に特定の僧侶を呼ぶ)」ことについて、否定的に考えている『梵網経』の性格を見ることが可能です。そこで、ここでは『梵網経』に基づく教団運営として、もし檀越が「僧侶を供養に招きたい」と考えている時に、取るべき行いが理解できます。

それはまず、知事に尋ねることです。この時の知事ですが、後には「監院」と呼ばれる役を指し、更に分化された頭首として「知客」と呼ばれる役となりますが、ここでは「知事」という役僧そのものを指しています。然るに、知事は適確に僧侶を招くための方法を提示します。これまでの先行研究では、この知事の言葉が何処までを意味するのかが分からなかったので、とりあえず、「僧次の一凡夫僧に如かず」までだろうと思って、そのように段落を付けています。何故そう判断したのかは、次の様に示せば理解していただけるでしょう。

(正)次第に請せば、即ち十方賢聖の僧を得ん
(誤)別に五百の羅漢・菩薩僧を請せば、僧次の一凡夫僧に如かず

この時の「次第」というのは、「僧次」という言葉を指していますが、菩薩戒を受けた順番ということになるかと存じます。それに従って、僧侶を招けば良いということなのでしょう。そして、『梵網経』(の意向を語る知事)の見解では、次第に従って拝請されれば、それが「十方賢聖の僧」という偉大なる修行を行ってきた僧侶を招くことになるとしているのです。一方で、ここで批判されている「別請」を行ってしまった場合には、譬え「五百の羅漢(仏陀釈尊の直弟子で、経典結集を行った者達)」や、優れた「菩薩僧」を招いたとしても、「一凡夫僧」にすら及ばない、と断定しているのです。

これについて、ややもすると納得出来ない人もいるかもしれません。よって、天台智?の見解を見ていきましょう。

別請僧戒は、是田・非田を分別する事、大経の徳王品の如し。当に知るべし、是の心則ち狭劣と為り、平等心を失す。
    『菩薩戒義疏(下)』

ここで「平等心」という考え方が提起されています。その前に、「大経の徳王品の如し」と出ていますが、これは『大般涅槃経』「光明遍照高貴徳王菩薩品」のことで、「凡そ施を行ずる時、受者の持戒・破戒、是田・非田を見ざれ」とあります。要するに、受者たる僧侶の資質や徳の有無などを見ることは、「狭劣」であり、「平等心を失す」るので、そういう考えを抱くべきではないとされているのです。古来より、優れた僧侶に供養した方が、功徳も大きいのではないか?と誤解し続けてきた世間の人々の考えが反映されている一文だといえます。道元禅師も『正法眼蔵随聞記』で、この辺の差別心を徹底的に批判していますので、ご参照ください(【こちらの記事】をどうぞ)。

ところで、この本文には、「七仏」について論じられています。智?はこう述べています。

七仏は、並びに此の土に在り、応化の迹は、百劫の内に在り。長寿天は皆な曽て見る所なり。故に多く七仏を引いて義を証し、信者をして明らめ易からしめんと欲す。過去九十劫の初めに一仏有り。毘婆尸、亦は維衛と名づく。中間の諸劫には仏無し。三十一劫に至りて両仏有り、一は尸棄と名づけ、二には毘舎婆と名づく。亦は随比と言う。第九十一劫を賢劫と名づけ、千仏応に出ずべし、四仏已に過ぐ。一には拘留孫、二には拘那含牟尼、三には迦葉、四には釈迦牟尼なり。
    同上

「劫」自体がとんでもない長さの時間を指す言葉なので、簡単に「九十一劫」などといっても、想像を絶する長さではあるのですが、ここで、その全体の長さの内、どこにどのような仏陀が現れたのかが明示されています。全九十一劫の中で、最初の初めに「毘婆尸仏」がいたとされています。そして、第三十一劫に、「尸棄仏」と「毘舎婆仏(毘舎浮仏)」とが現れたようです。何故、ここだけにいきなり二仏が出現したのか、良く分かりませんが、そういう事になっているのでしょう。

そして、ここまでは過去荘厳劫とされる時代です。そして、現在賢劫が「第九十一劫」であり、そこに「千仏」が出現するとされているのです。しかし、その内、既に「四仏」は出現し、釈迦牟尼仏は第四仏(通算で第七仏)に相当するわけです。よって、これら「七仏」を数える事によって、一仏の世界に於いて示されたと思う事柄でも、時代を超えて通用する普遍的道理である事を証、その上で、信者にとっても分かり易くなるという効能があるわけです。

そういえば、この点について、確かに道元禅師の本師である如浄禅師も、次の様に指摘しています。

 ときに道元まうす、迦葉仏入涅槃ののち、釈迦牟尼仏は始めて出世成道せり。いはんやまた賢劫の諸仏、いかにしてか荘厳劫の諸仏に嗣法せん、この道理いかん。
 先師いはく、なんぢがいふところは、聴教の解なり、十聖三賢等の道なり、仏祖嫡嫡の道にあらず。わが仏仏相伝の道は、しかあらず。釈迦牟尼仏、まさしく迦葉仏に嗣法せり、とならひきたるなり。〈中略〉もしひとへに釈迦仏よりおこれりといはば、わづかに二千余年なり、ふるきにあらず。相嗣もわづかに四十余代なり、あらたなるといひぬべし。
    『正法眼蔵』「嗣書」巻

やはり、釈迦牟尼仏からのみ数える道理であれば、古くもなく、新しい内容であり、信じるに値する内容かどうか疑わしいと考えていた様子が分かります。この辺は、先に見た智?のような発想が共有されていた可能性を見ていくべきなのでしょう。さて、本題に戻しまして、この戒について、道元禅師の直弟子達は、どう考えていたのでしょうか。

第廿八、別に僧を請するは、是れ外道の法也、云々。
    経豪禅師梵網経略抄

ここも、それほど熱心に註釈されているわけではない様子が伝わります。大概、経豪禅師がこのように行う場合には、見れば分かる内容だということがあるようです。よって、今回の戒についても、文字通り檀越が僧侶を招く際の作法を示したものだとのみ理解しておくべきなのでしょう。

これまでの連載は【ブログ内リンク】からどうぞ。

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