個人的に、7月には都内で某寺を手伝い、8月には拙寺(宮城県栗原市内)にて盂蘭盆会行持を行い、両方にて棚経を行っている都合上、複数の地域で習慣を見るというのは、とても勉強になる。その中から、特に今年気付いたことを記事にしておきたい。一種の備忘録である。
●盆棚(精霊棚)の飾り方の継承
以前から、拙寺では大本山總持寺出版部で刊行している『明珠』のお盆版などを檀信徒各家に配りながら、盆棚の作り方で、不明な点に答えている。とはいえ、『明珠』はあくまでも、日本での一般的な飾り方を示すものであり、ここから更にローカライズする必要がある。
そのところで、拙僧などが既に見知った飾り方を教えるのだが、これも色々と難点がある。つまり、各家、或いは各集落によって、若干の違いがあるのだ。そして、そもそも拙寺では初盆(新盆)の檀家さんのみを棚経で回るため、急に祀ることになり、「何となく覚えている感じで祀りました」と仰る方も多い。しかし、既に、先代夫妻が亡くなっているような場合だと、今祀られている方法が、本当に合っているかどうか分からない。拙僧も、拙寺地域に於ける一般的な祀り方の指導は出来ても、各家の方法までは分からない。
よって、まことに恐縮であるが、やはり飾り方については、何かの機会を捉えて各家で写真を撮り、画像にして保存されることをオススメしたい。そうすれば、急に受け継ぐことになっても、混乱せずに済む。それから、大体聞いていると、棚を飾られるのは、各家の奥様方だが、その方々は他の地域から嫁いでこられた場合が多いので、地域の方法などにも精通しているわけでは無い。画像で保存というのは、悪い方法とは思えないが、如何だろうか?
●変わりゆく盆棚飾り
と、上ではその「継承」面を強く主張することになっているが、実際、この辺の飾り方は、時代に合わせて徐々に変容していくものでもある。ちゃんと調べてみると、50〜100年前とは、飾り方がずいぶんと変わっている部分も少なくないし、各世帯の高齢化などで、簡略化されることもある。一度簡略化されてしまうと、そこから元に戻すのは難しい。
今年、棚経で回っていて、一番面白かったのは、御先祖様の御霊を送迎する動物に「新種」が出ていたことである。いや、既に他の地域では確認されているのかもしれないが、拙僧は初めて見た(と思う)。通常、送迎する動物は、「キュウリの馬」「ナスの牛」であると思われる。馬で早く帰ってきてもらい、牛でゆっくりと戻ってもらう、という風景だ。
だが、今年はいよいよ「ゴーヤ」で出来た動物を発見した(画像が無いのが惜しい)。最近、拙寺檀信徒の間でも、「グリーンカーテン」などで、涼を採る場合があり、また、農業を営む檀家さんの間でゴーヤはかなり一般的になってきているそうなのだが、それを送迎の動物に使う辺りに、センスを感じた。その家の御当主に伺ったところ、「孫が勝手に作った」ものらしいから、そのお孫さんのセンスを褒めるべきだろうか?
ところで、「ゴーヤ」で作られた場合、これは何の種類になるのだろうか?牛や馬に比べて、明らかにデコボコしている。そうなると、とりあえず「羊」辺りにしておくべきだろうか?ウールでモワモワしているので、デコボコしていても問題が無い。ということで、個人的には「ゴーヤの羊」ということにしておいた。
もしかすると、気付かなかっただけで、「ズッキーニのロバ(勝手に判断)」とかもいたかもしれない・・・
●棚経の意義
最近では、僧侶が各檀信徒に趣くのではなく、逆に、日時を定めてお寺にお詣りいただくことで、棚経の代わりにする場合も多いと聞く。確かに、棚経は、檀家さんのほとんどが、当該寺院の側にお住みだからこそ、盂蘭盆会の数日間で行うことが可能だともいえる。最近では、地域を離れる場合も多く、そうなると、全檀信徒へのお詣りは難しいといわざるを得ない。とはいえ、それを逆にした場合、多少は効果が出ても、総体としては余り変わらないと思う。やはり、遠くに過ぎる場合にはお越しいただけない。
そして、これはウチの先代が良くいっていたことだが、各檀家さんを回らせていただくことで、檀家さんがお寺を知る以上に、お寺側で檀家さんを知る必要があるといっていた。檀家さん回りをせずに、好き勝手振る舞うから、寺の側が増長するとも危惧していた。拙寺辺りではまだ、その習慣があるけれども、ご法事となると、寺の僧侶を自宅に招くのが普通である。これは、それこそ釈迦牟尼仏がインドで世に居られた時代から続く、伝統的な習慣である。
或いは、曹洞宗に於いていえば、瑩山禅師『洞谷記』などには、その招かれるための方法が『梵網経』に則って、事細かに示されている。よって、棚経もその重要な機会だと捉え、喩え部分的であっても、とこしなえに継続されていくべきであると考える。
また、僧侶が自宅に来ると思うからこそ、仏壇などを綺麗にする場合もあるだろう。勿論、普段から掃除をこまめにしていただくべきだが、そうではない場合であっても、ここぞという時に綺麗に出来る。それは祀られている御先祖様のためでもある。
●記事の最後に
棚経については、年々難しくなっている印象がある。10年ほど前は、もう少し素直にお迎えいただけた気もするのだが、世代の交代によって、構えられる場合も増えてきた。或いは、一方的に拒否される場合も同様である。だが、我々がお詣りするのは、別に、今の世代のためだけ、ではない。御先祖様を想い、長年寺院護持に尽力された方へのお礼を兼ねてもいる。出来れば、そういう事情を斟酌いただき、今後とも、盂蘭盆会、そして棚経という大切な習慣が守られることを願うばかりである。
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●盆棚(精霊棚)の飾り方の継承
以前から、拙寺では大本山總持寺出版部で刊行している『明珠』のお盆版などを檀信徒各家に配りながら、盆棚の作り方で、不明な点に答えている。とはいえ、『明珠』はあくまでも、日本での一般的な飾り方を示すものであり、ここから更にローカライズする必要がある。
そのところで、拙僧などが既に見知った飾り方を教えるのだが、これも色々と難点がある。つまり、各家、或いは各集落によって、若干の違いがあるのだ。そして、そもそも拙寺では初盆(新盆)の檀家さんのみを棚経で回るため、急に祀ることになり、「何となく覚えている感じで祀りました」と仰る方も多い。しかし、既に、先代夫妻が亡くなっているような場合だと、今祀られている方法が、本当に合っているかどうか分からない。拙僧も、拙寺地域に於ける一般的な祀り方の指導は出来ても、各家の方法までは分からない。
よって、まことに恐縮であるが、やはり飾り方については、何かの機会を捉えて各家で写真を撮り、画像にして保存されることをオススメしたい。そうすれば、急に受け継ぐことになっても、混乱せずに済む。それから、大体聞いていると、棚を飾られるのは、各家の奥様方だが、その方々は他の地域から嫁いでこられた場合が多いので、地域の方法などにも精通しているわけでは無い。画像で保存というのは、悪い方法とは思えないが、如何だろうか?
●変わりゆく盆棚飾り
と、上ではその「継承」面を強く主張することになっているが、実際、この辺の飾り方は、時代に合わせて徐々に変容していくものでもある。ちゃんと調べてみると、50〜100年前とは、飾り方がずいぶんと変わっている部分も少なくないし、各世帯の高齢化などで、簡略化されることもある。一度簡略化されてしまうと、そこから元に戻すのは難しい。
今年、棚経で回っていて、一番面白かったのは、御先祖様の御霊を送迎する動物に「新種」が出ていたことである。いや、既に他の地域では確認されているのかもしれないが、拙僧は初めて見た(と思う)。通常、送迎する動物は、「キュウリの馬」「ナスの牛」であると思われる。馬で早く帰ってきてもらい、牛でゆっくりと戻ってもらう、という風景だ。
だが、今年はいよいよ「ゴーヤ」で出来た動物を発見した(画像が無いのが惜しい)。最近、拙寺檀信徒の間でも、「グリーンカーテン」などで、涼を採る場合があり、また、農業を営む檀家さんの間でゴーヤはかなり一般的になってきているそうなのだが、それを送迎の動物に使う辺りに、センスを感じた。その家の御当主に伺ったところ、「孫が勝手に作った」ものらしいから、そのお孫さんのセンスを褒めるべきだろうか?
ところで、「ゴーヤ」で作られた場合、これは何の種類になるのだろうか?牛や馬に比べて、明らかにデコボコしている。そうなると、とりあえず「羊」辺りにしておくべきだろうか?ウールでモワモワしているので、デコボコしていても問題が無い。ということで、個人的には「ゴーヤの羊」ということにしておいた。
もしかすると、気付かなかっただけで、「ズッキーニのロバ(勝手に判断)」とかもいたかもしれない・・・
●棚経の意義
最近では、僧侶が各檀信徒に趣くのではなく、逆に、日時を定めてお寺にお詣りいただくことで、棚経の代わりにする場合も多いと聞く。確かに、棚経は、檀家さんのほとんどが、当該寺院の側にお住みだからこそ、盂蘭盆会の数日間で行うことが可能だともいえる。最近では、地域を離れる場合も多く、そうなると、全檀信徒へのお詣りは難しいといわざるを得ない。とはいえ、それを逆にした場合、多少は効果が出ても、総体としては余り変わらないと思う。やはり、遠くに過ぎる場合にはお越しいただけない。
そして、これはウチの先代が良くいっていたことだが、各檀家さんを回らせていただくことで、檀家さんがお寺を知る以上に、お寺側で檀家さんを知る必要があるといっていた。檀家さん回りをせずに、好き勝手振る舞うから、寺の側が増長するとも危惧していた。拙寺辺りではまだ、その習慣があるけれども、ご法事となると、寺の僧侶を自宅に招くのが普通である。これは、それこそ釈迦牟尼仏がインドで世に居られた時代から続く、伝統的な習慣である。
或いは、曹洞宗に於いていえば、瑩山禅師『洞谷記』などには、その招かれるための方法が『梵網経』に則って、事細かに示されている。よって、棚経もその重要な機会だと捉え、喩え部分的であっても、とこしなえに継続されていくべきであると考える。
また、僧侶が自宅に来ると思うからこそ、仏壇などを綺麗にする場合もあるだろう。勿論、普段から掃除をこまめにしていただくべきだが、そうではない場合であっても、ここぞという時に綺麗に出来る。それは祀られている御先祖様のためでもある。
●記事の最後に
棚経については、年々難しくなっている印象がある。10年ほど前は、もう少し素直にお迎えいただけた気もするのだが、世代の交代によって、構えられる場合も増えてきた。或いは、一方的に拒否される場合も同様である。だが、我々がお詣りするのは、別に、今の世代のためだけ、ではない。御先祖様を想い、長年寺院護持に尽力された方へのお礼を兼ねてもいる。出来れば、そういう事情を斟酌いただき、今後とも、盂蘭盆会、そして棚経という大切な習慣が守られることを願うばかりである。
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