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曹洞宗の修証論に見る弁証法的性格

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曹洞宗学の語を初めて用いたとされる衛藤即応博士が、京都大学に留学していたこともあってか、曹洞宗が近代に構築した修証論には、最初から弁証法的性格が入っていたように思う。その弁証法的性格を短く表現すれば、以下のような感じになるだろう。

西田哲学は個物を普遍に対立するものとしてではなく、むしろ個物を普遍の現われ、ないしは普遍の発展の形態と考えている点でも、ヘーゲル哲学と類縁性をもっている。西田哲学においては個物と普遍は矛盾的・対立的な関係にあるのではなく、むしろ相即的・相補的な関係にあると考えられている。いいかえれば、普遍はつねに個物の側から見られているとともに、その個物はつねに普遍の側から見られている。つまり普遍はつねに一切の個物の根底にあるものとして、また反対に一切の個物は普遍の現実における現われとして考えられている。
    小坂国継先生『西田幾多郎の思想』講談社学術文庫、157頁

この指摘などは、確かに我々の修証論に影響されている。そもそも近代の曹洞宗学に於ける修証論は、「本証妙修」「修証一等」を基調として構築された。この二つの用語を、特定の体系として一つに組み込んだのは、明らかに大内青巒居士の曹洞扶宗会であったと思われる(その場合、「修証不二」と表現されるが意味的には同じ)が、この用語が『弁道話』から出て来たことは明らかで、その『弁道話』の哲学的考究の結果が、伝統宗学と呼ばれる分野、或いは実践宗乗と呼ばれる分野に発展していくのである。

なお、これは明確にしておきたいが、青巒居士が用いた「本証妙修」については、道元禅師が用いたそれとも、その後の伝統宗学が用いたそれとも、或いは批判仏教から批判された様相とも異なっている。青巒居士が「本証妙修」に込めた内容とは、いわゆる浄土教系の文脈で多用される「安心起行」ということであって、「安心」を「本証」に、「妙修」を「起行」に対応させているのである。また、「本証」を支える文脈は、『梵網経』から引用されて、曹洞宗の授戒の場面で必ず用いられる「衆生仏戒を受くれば、即ち諸仏の位に入る、位大覚に同じゅうし已る、真に是れ諸仏の子なり」に依拠している。これが、我々が「仏位に入る」ことを証明し、それを以て「本証」としたのであった(青巒居士『修証義聞解』参照)。そして、青巒居士の言葉を借りれば、この段階で「修」と「証」との或る種の関係は自覚されていた。

曹洞宗在家衆の安心起行を本証・妙修の二つとし、其本証が懺悔滅罪・受戒入位の二つに分れ、其妙修が発願利生・行持報恩の二つに分れたので有りますが、此妙修の外に仏の証果を求むるのでは無く、却て此妙修は本証の上から顕はれた、即ち仏果の生活で有りますから、証即ち修、修即ち証で、謂ゆる修証不二の法門でございます。
    『修証義聞解』12頁

いわば、妙修の外に、仏の証果(本証)を求めず、妙修を本証の上から顕れたという表現からは、先に挙げたような個物を普遍の現れと見なす状況と類似している。しかも、それらを「修証不二の法門」として青巒居士は考えているから、お互いを相補的関係にあると見なしているのである。問題は、青巒居士自身がこの発想をどこから得たかであるが、残念ながら『聞解』からは理解できない。彼自身の思想形成、修学状況を具に見ていくしかないのだが、それもこの記事の内容には剰ってしまう。

さておき、このように、曹洞宗の修証観が本格的に論じられたのは、実は、伝統宗学形成よりも遙かに前であり(ありのままに言えば、いわゆる伝統宗学の形成は、第二次大戦中(1944年[昭和19]頃)であり、扶宗会は1888年(明治21)である)、その間には50年以上の開きがある。その意味で、衛藤博士の功績とは、それまでの曹洞宗で様々な場面でバラバラに語られてきた修証論関係の内容を、「伝燈(祖師の系譜)」に重ね、しかも、その中心に面授論を置きながら、現実に於いて実践可能な領域として開いたことにある。この面授論では、ダイナミズムをその根底の原理としながら、そのダイナミズムから「発展」の源泉を導いた。

それらを踏まえた上で、我々自身がこの修証論を如何にして実践していくべきなのか?それを改めて言語化していく必要を感じる。また、現在の曹洞宗では「修証論」がほとんど、「修行論」になってしまっている。それはつまり、我々の修行が、明確な仏祖の軌範に従って行われる時、そこには「証」が顕れていくのだが、その点を忘れ、「証」を「悟」と不当に同一化し、それを臨済的と称して嫌悪する状況である(或いは、過度に求めすぎる場合である。いわゆる原田祖岳老師系統がそれに当たる。この流れは、決して曹洞宗の両祖から江戸期までの伝統的正統的な宗風とは一致しない)。

それは、弁証法的な哲学的思想の後退ともいえる。よって、実はその点を拙僧は危惧している。不立文字や教外別伝とは、言語に対する過度な信頼を解除する優れた文脈だが、言語や思想の全否定を意味しない。しかし、それを振りかざして、無文字・無思想を肯定するような流れが見えることは、残念である。それが、結局我々の修行を、ただの修行としてしまったのだ。実際には、修証としていくべきなのだ。それを今回の小坂先生の教えから改めて考えていく必要を感じている。

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