「あおいくま」という言葉がある。
これは、最近ではモノマネ芸人のコロッケ氏が仰ったり、あるいは関連の御著書(『母さんの「あおいくま」』新潮社)もあるようだが、これは、「あおいくま」という文字がそれぞれ、「あせるな・おこるな・いばるな・くさるな・まけるな」を意味しているという。
ところで、これが、道元禅師の教えから転用されたものだとされるようなのである。正直いって意味不明である。なお、この言葉と道元禅師を結びつけたのは、元々は臨済宗妙心寺派の故・松原泰道師だったようで、松原師が、道元禅師の坐禅の心持ちということで、このような5つ「いまあおく」などを用いていたとのこと。
それで、道元禅師の教えのどこに、それが該当するか調べたが、「坐禅の心持ち」ということであれば、『普勧坐禅儀』などが該当するかと思ったけれども、直接それと分かる文章があるわけではない。
よって、後は、何かの文脈を言い換えたのだろうと思い、改めて調べたが、これも関連文脈不明。よって、後は、内容の一々について、道元禅師の著作に見えるかどうかを確認したい。
まず、最初の「あせるな」については、むしろ、「急いで修行しなさい」というような文脈があるほどで、これは、厳密にはあてはまらないように思う。外にも多く見えるが、とりあえず一例として、以下の文章を引いてみたい。
・いまは、これ頭然をはらふときなり、このときをもて、いたづらに世縁にめぐらさん、なげかざらめや。無常たのみがたし、しらず、露命いかなるみちのくさにかおちむ、まことにあはれむべし。
・堂にしては、究理辨道すべし、明窓にむかふては、古教照心すべし、寸陰、すつることなかれ、専一に功夫すべし。
ともに『重雲堂式』
例えば、「頭然をはらふ」というのは、頭に点いた火を急いで払って消すことを意味するし、後者に出ている「寸陰、すつることなかれ」もまた、わずかな時間であっても無駄にせずに修行することを意味している。これらは、或る意味、無常に苛まれる我々自身、早く仏道を得ることを願い、専一に修行することを勧めているのであって、焦る心を持つべきだといえる。
続いて、「おこるな」については、仏教では「三毒」の一つである「瞋恚(しんい、怒りのこと)」から離れることを説くし、それは道元禅師も例外ではないため、なるほど、これはあっても問題はない。
「いばるな」については、ちょっと難しいところだが、一応、以下のような文脈を紹介しておきたい。
しかあるに、不聞仏法の愚癡のたぐひおもはくは、われは大比丘なり、年少の得法を拝すべからず、われは久修練行なり、得法の晩学を拝すべからず、われは師号に署せり、師号なきを拝すべからず、われは法務司なり、得法の余僧を拝すべからず、われは僧正司なり、得法の俗男・俗女を拝すべからず、われは三賢十聖なり、得法せりとも比丘尼等を礼拝すべからず、われは帝胤なり、得法なりとも臣家・相門を拝すべからず、といふ。
『正法眼蔵』「礼拝得髄」巻
これは、まさに、「いばるな」ということであろう。要するに、僧侶としてある程度の地位に就いていることを理由に、自分より立場が下の者に対して、その者がどれほど優れていても礼拝しないことについて、問題視している。道元禅師が理想とする仏教の世界では、やはり、仏道を得る、という一事を頂点として物事を考えるのであって、それを世俗と変わらないような、僧侶の位を出すことで枉げることは勧められていない。
また、「くさるな」については、或る意味、自分を卑下してはならないということになるだろうか。そうなると、このような文脈が当てはまる。
誰人か初めより道心ある。ただ是のごとく発し難きを発し、行じ難きを行ずれば自然に増進するなり。人々皆仏性有るなり。徒らに卑下する事なかれ。
『正法眼蔵随聞記』巻2-13
要するに、最初から道心溢れる優れた修行者ばかりではないから、自分の思い通りにならなくても、人には皆仏性があることを信じ、卑下することなく修行に励むよう示された教えである。よって、ここが当てはまるだろう。
最後に、「まけるな」なのだが、これも文脈として探すことは難しいのだが、こんな文脈があることは、すぐに思い出した。
うらむべし、数百軸の釈主、数十年の講者、わづかに弊婆の一問をうるに、たちまちに負処に堕して、祇対におよばざること。正師をみると、正師に嗣承せると、正法をきけると、いまだ正法をきかず、正師をみざると、はるかにことなるによりてかくのごとし。
『正法眼蔵』「心不可得」巻
この「負処」というのが、「負ける」ということなのだが、要するに中国禅宗の徳山宣鑑が、或る婆子からの問いに答えられなかったことを意味している。で、同巻に於いて道元禅師は、徳山をこっぴどく批判しているのだが、正直なところは励ましながら、「負けるな」といっているというよりは、ほとんど罵詈雑言に近いので、「あおいくま」的ではない。よって、この考えも無いといって良い。
以上、「あおいくま」については、「おいく」くらいがせいぜいで、「あま」については、特に関係が無い、という結論に達した。返す返すも不思議なのは、何故その事実があるのに、道元禅師の坐禅観と「あおいくま」が同一視されたか、である。こればかりは、松原師にでも聞かなければ分からないかもしれないが、もう、今更聞けないという状況である。そして、これもやっぱり、不当な権威化という動機に裏打ちされた行いだといえようか・・・
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これは、最近ではモノマネ芸人のコロッケ氏が仰ったり、あるいは関連の御著書(『母さんの「あおいくま」』新潮社)もあるようだが、これは、「あおいくま」という文字がそれぞれ、「あせるな・おこるな・いばるな・くさるな・まけるな」を意味しているという。
ところで、これが、道元禅師の教えから転用されたものだとされるようなのである。正直いって意味不明である。なお、この言葉と道元禅師を結びつけたのは、元々は臨済宗妙心寺派の故・松原泰道師だったようで、松原師が、道元禅師の坐禅の心持ちということで、このような5つ「いまあおく」などを用いていたとのこと。
それで、道元禅師の教えのどこに、それが該当するか調べたが、「坐禅の心持ち」ということであれば、『普勧坐禅儀』などが該当するかと思ったけれども、直接それと分かる文章があるわけではない。
よって、後は、何かの文脈を言い換えたのだろうと思い、改めて調べたが、これも関連文脈不明。よって、後は、内容の一々について、道元禅師の著作に見えるかどうかを確認したい。
まず、最初の「あせるな」については、むしろ、「急いで修行しなさい」というような文脈があるほどで、これは、厳密にはあてはまらないように思う。外にも多く見えるが、とりあえず一例として、以下の文章を引いてみたい。
・いまは、これ頭然をはらふときなり、このときをもて、いたづらに世縁にめぐらさん、なげかざらめや。無常たのみがたし、しらず、露命いかなるみちのくさにかおちむ、まことにあはれむべし。
・堂にしては、究理辨道すべし、明窓にむかふては、古教照心すべし、寸陰、すつることなかれ、専一に功夫すべし。
ともに『重雲堂式』
例えば、「頭然をはらふ」というのは、頭に点いた火を急いで払って消すことを意味するし、後者に出ている「寸陰、すつることなかれ」もまた、わずかな時間であっても無駄にせずに修行することを意味している。これらは、或る意味、無常に苛まれる我々自身、早く仏道を得ることを願い、専一に修行することを勧めているのであって、焦る心を持つべきだといえる。
続いて、「おこるな」については、仏教では「三毒」の一つである「瞋恚(しんい、怒りのこと)」から離れることを説くし、それは道元禅師も例外ではないため、なるほど、これはあっても問題はない。
「いばるな」については、ちょっと難しいところだが、一応、以下のような文脈を紹介しておきたい。
しかあるに、不聞仏法の愚癡のたぐひおもはくは、われは大比丘なり、年少の得法を拝すべからず、われは久修練行なり、得法の晩学を拝すべからず、われは師号に署せり、師号なきを拝すべからず、われは法務司なり、得法の余僧を拝すべからず、われは僧正司なり、得法の俗男・俗女を拝すべからず、われは三賢十聖なり、得法せりとも比丘尼等を礼拝すべからず、われは帝胤なり、得法なりとも臣家・相門を拝すべからず、といふ。
『正法眼蔵』「礼拝得髄」巻
これは、まさに、「いばるな」ということであろう。要するに、僧侶としてある程度の地位に就いていることを理由に、自分より立場が下の者に対して、その者がどれほど優れていても礼拝しないことについて、問題視している。道元禅師が理想とする仏教の世界では、やはり、仏道を得る、という一事を頂点として物事を考えるのであって、それを世俗と変わらないような、僧侶の位を出すことで枉げることは勧められていない。
また、「くさるな」については、或る意味、自分を卑下してはならないということになるだろうか。そうなると、このような文脈が当てはまる。
誰人か初めより道心ある。ただ是のごとく発し難きを発し、行じ難きを行ずれば自然に増進するなり。人々皆仏性有るなり。徒らに卑下する事なかれ。
『正法眼蔵随聞記』巻2-13
要するに、最初から道心溢れる優れた修行者ばかりではないから、自分の思い通りにならなくても、人には皆仏性があることを信じ、卑下することなく修行に励むよう示された教えである。よって、ここが当てはまるだろう。
最後に、「まけるな」なのだが、これも文脈として探すことは難しいのだが、こんな文脈があることは、すぐに思い出した。
うらむべし、数百軸の釈主、数十年の講者、わづかに弊婆の一問をうるに、たちまちに負処に堕して、祇対におよばざること。正師をみると、正師に嗣承せると、正法をきけると、いまだ正法をきかず、正師をみざると、はるかにことなるによりてかくのごとし。
『正法眼蔵』「心不可得」巻
この「負処」というのが、「負ける」ということなのだが、要するに中国禅宗の徳山宣鑑が、或る婆子からの問いに答えられなかったことを意味している。で、同巻に於いて道元禅師は、徳山をこっぴどく批判しているのだが、正直なところは励ましながら、「負けるな」といっているというよりは、ほとんど罵詈雑言に近いので、「あおいくま」的ではない。よって、この考えも無いといって良い。
以上、「あおいくま」については、「おいく」くらいがせいぜいで、「あま」については、特に関係が無い、という結論に達した。返す返すも不思議なのは、何故その事実があるのに、道元禅師の坐禅観と「あおいくま」が同一視されたか、である。こればかりは、松原師にでも聞かなければ分からないかもしれないが、もう、今更聞けないという状況である。そして、これもやっぱり、不当な権威化という動機に裏打ちされた行いだといえようか・・・
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