故・高崎直道先生が、道元禅師の本師である天童如浄禅師の『如浄録』に、「身心脱落」の語が見えないが、類似した「心塵脱落」が見えるため、これは道元禅師の聞き違いなのでは?というような論文を示された。そして、それをそのまま真に受けて論じている人が多い。拙僧はそれを、とても残念に思っている。
何故、残念かといえば、確かに、「心塵脱落」が『如浄録』に載っていることはその通りなのだが、それが「身心脱落」と聞き間違うほどに、日常的に語られていた語彙なのか?といえば、それもまた証明できないからだ。この「心塵脱落」だが、如浄禅師の上堂語や小参語、或いは坐禅に関わる文脈で示されていたのなら、「あぁ、日常的に使っていて、聞き間違ったのかな?」とか考えることも出来る。
だが、全く違う文脈だし、日常的に用いていることは証明できないところに載っているのだ。引用してみよう。
心塵脱落して岩洞を開き、自性円通して紺容を儼にす。
天の敬龍の恭。以て喜びとせず、安然の中。
咦。
更に海濤に薦して黒風に翻る。
『如浄和尚語録(下)』「讃仏祖・観音」
・・・「讃仏祖」(笑)
要するに、『如浄録』の中に見える「心塵脱落」は、日常的に用いていた箇所に見えるのではなくて、「観音菩薩」を讃えるための偈頌に用いられた語句なのである。なるほど、全く見えない「身心脱落」よりも、如浄禅師の言葉として考えられた可能性が少ないとはいわない。だが、これだけで、道元禅師との会話の中に、日常的に出て来たことの証明は、全くもって不可能だと言って良い。
それについて鑑みれば、むしろ、如浄禅師の法嗣で、道元禅師の同参であった無外義遠の文章に見える言葉の方が、まだ説得力があるかもしれない。
超宗異目、慥暴生獰、峭壁乖崕、孤危嶮絶なるに非ずんば、何ぞ以て衲僧瞑眩の疾を起こし、邪見枝蔓の根を抜くに足らんや。古に在っては乏しからず、今に居しては誰とか為るや。太白老人浄禅師、奮然として一たび出でて、独りこの風を振るう。諸方これを憚り、学者これを恐るる。日本元公禅師、海南を截断り来たって、直にその室に入って、心塵脱略の処に向かって、生涯を喪尽す。〈以下略〉
『永平略録』無外義遠跋文
ここからは、なるほど、道元禅師が「心塵脱略の処」に向かって、生来の自己を滅却していった様子が伝わるため、これは如浄禅師の教えに帰投したことを示し、それが「心塵脱略」であった可能性を示すものではある。だけれども、これも意地悪な指摘をすれば、あくまでも無外義遠がそう解釈しているだけであって、この語彙が如浄禅師の教えを適切に要約したものであるかどうかは、分からないともいえる。
そもそも、同じ跋文で「超宗異目、慥暴生獰、峭壁乖崕、孤危嶮絶なるに非ずんば、何ぞ以て衲僧瞑眩の疾を起こし、邪見枝蔓の根を抜くに足らんや。古に在っては乏しからず、今に居しては誰とか為るや。太白老人浄禅師、奮然として一たび出でて、独りこの風を振るう」とあるからには、「超宗異目、慥暴生獰、峭壁乖崕、孤危嶮絶」というのが如浄禅師の本性であり、「衲僧瞑眩の疾を起こし、邪見枝蔓の根を抜く」というのが如浄禅師の宗風であるとも言えよう。
これと「心塵脱略」との関わりは、直接には分からないといえる。強いていえば、「瞑眩の疾」「邪見枝蔓の根」というのが、「心の塵」なのかもしれない、とはいえるけれども、果たしてどうだろうか?
そこで再度、『如浄録』「観音讃」を見てみると、「心塵脱落して岩洞を開き」とある。つまり、「心塵脱落」とは、観音が自らおわす場所を開いたという意味になるといえる。或いは、「自性円通」と対句であると考えれば、「心塵脱落」とは、本来具わった仏性(自性)が円かだということである。切ないのは、この「自性円通」という語句もまた、『如浄録』には外に見えないことである。でも、道元禅師『普勧坐禅儀』の冒頭、「道本円通」には通じるから、そういうことなのだろうか?そう考えると、「心塵脱落」を道元禅師が聞いていた、という話なのだろうか?良く分からなくなってきた(笑)
ただまぁ、この記事でいいたいのは、少なくとも『如浄録』を典拠に、「心塵脱落」を如浄禅師の言葉だとすることは可能だが、日常的に用いていたことの証明は出来ないといいたいのである。よって、義遠の跋文などを参照せざるを得ないわけだが、これも決して十分ではない。後は、想像の産物になるといえよう。
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何故、残念かといえば、確かに、「心塵脱落」が『如浄録』に載っていることはその通りなのだが、それが「身心脱落」と聞き間違うほどに、日常的に語られていた語彙なのか?といえば、それもまた証明できないからだ。この「心塵脱落」だが、如浄禅師の上堂語や小参語、或いは坐禅に関わる文脈で示されていたのなら、「あぁ、日常的に使っていて、聞き間違ったのかな?」とか考えることも出来る。
だが、全く違う文脈だし、日常的に用いていることは証明できないところに載っているのだ。引用してみよう。
心塵脱落して岩洞を開き、自性円通して紺容を儼にす。
天の敬龍の恭。以て喜びとせず、安然の中。
咦。
更に海濤に薦して黒風に翻る。
『如浄和尚語録(下)』「讃仏祖・観音」
・・・「讃仏祖」(笑)
要するに、『如浄録』の中に見える「心塵脱落」は、日常的に用いていた箇所に見えるのではなくて、「観音菩薩」を讃えるための偈頌に用いられた語句なのである。なるほど、全く見えない「身心脱落」よりも、如浄禅師の言葉として考えられた可能性が少ないとはいわない。だが、これだけで、道元禅師との会話の中に、日常的に出て来たことの証明は、全くもって不可能だと言って良い。
それについて鑑みれば、むしろ、如浄禅師の法嗣で、道元禅師の同参であった無外義遠の文章に見える言葉の方が、まだ説得力があるかもしれない。
超宗異目、慥暴生獰、峭壁乖崕、孤危嶮絶なるに非ずんば、何ぞ以て衲僧瞑眩の疾を起こし、邪見枝蔓の根を抜くに足らんや。古に在っては乏しからず、今に居しては誰とか為るや。太白老人浄禅師、奮然として一たび出でて、独りこの風を振るう。諸方これを憚り、学者これを恐るる。日本元公禅師、海南を截断り来たって、直にその室に入って、心塵脱略の処に向かって、生涯を喪尽す。〈以下略〉
『永平略録』無外義遠跋文
ここからは、なるほど、道元禅師が「心塵脱略の処」に向かって、生来の自己を滅却していった様子が伝わるため、これは如浄禅師の教えに帰投したことを示し、それが「心塵脱略」であった可能性を示すものではある。だけれども、これも意地悪な指摘をすれば、あくまでも無外義遠がそう解釈しているだけであって、この語彙が如浄禅師の教えを適切に要約したものであるかどうかは、分からないともいえる。
そもそも、同じ跋文で「超宗異目、慥暴生獰、峭壁乖崕、孤危嶮絶なるに非ずんば、何ぞ以て衲僧瞑眩の疾を起こし、邪見枝蔓の根を抜くに足らんや。古に在っては乏しからず、今に居しては誰とか為るや。太白老人浄禅師、奮然として一たび出でて、独りこの風を振るう」とあるからには、「超宗異目、慥暴生獰、峭壁乖崕、孤危嶮絶」というのが如浄禅師の本性であり、「衲僧瞑眩の疾を起こし、邪見枝蔓の根を抜く」というのが如浄禅師の宗風であるとも言えよう。
これと「心塵脱略」との関わりは、直接には分からないといえる。強いていえば、「瞑眩の疾」「邪見枝蔓の根」というのが、「心の塵」なのかもしれない、とはいえるけれども、果たしてどうだろうか?
そこで再度、『如浄録』「観音讃」を見てみると、「心塵脱落して岩洞を開き」とある。つまり、「心塵脱落」とは、観音が自らおわす場所を開いたという意味になるといえる。或いは、「自性円通」と対句であると考えれば、「心塵脱落」とは、本来具わった仏性(自性)が円かだということである。切ないのは、この「自性円通」という語句もまた、『如浄録』には外に見えないことである。でも、道元禅師『普勧坐禅儀』の冒頭、「道本円通」には通じるから、そういうことなのだろうか?そう考えると、「心塵脱落」を道元禅師が聞いていた、という話なのだろうか?良く分からなくなってきた(笑)
ただまぁ、この記事でいいたいのは、少なくとも『如浄録』を典拠に、「心塵脱落」を如浄禅師の言葉だとすることは可能だが、日常的に用いていたことの証明は出来ないといいたいのである。よって、義遠の跋文などを参照せざるを得ないわけだが、これも決して十分ではない。後は、想像の産物になるといえよう。
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