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損翁宗益禅師『坐禅箴弁話』参究(3)

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前回見た【(2)】では、損翁宗益禅師(1649〜1705)の宗風について、今回は更に深めていきたいと思いますので、そこで、さらに『永平正法眼蔵坐禅箴損翁和尚弁話(以下、『弁話』と略記)』を見ていきます。

 法というのは、少しずつでも契うほど、それぞれ違って見えることである。仏道を学ぶ者は、坐禅弁道を専らにしなければ、仏には到らないものである。坐禅はただ、今日の境界で、手が付かないところを察するものである。その目当てとしては、仏に成るべきだという意旨を持たずに勤めるのである。仏に成ろうという意旨で勤める時には、我が身を凡夫に落ち着けてしまい、凡夫となってしまうものだ。凡夫を今の種としては、仏に到ることはない。
 例えば、瓜を取ろうとして、ナスを種とすれば、瓜は成らず、何年もナスばかりが実るものだ。どのようにも修行する時、助かろうと思うのは、皆これ凡夫行というものである。これで、仏に成ることはない。仏を求めずに、仏に到ることを坐禅というのである。
 今日の修行で、何かを捨てて何かを得るというのは、全てこれ、仏行ではない。例えば、迷いを離れて悟りに到りたいと思い、生死を離れて涅槃に入りたいと思う者が、こういう類である。生死を嫌わず、涅槃を願わず、悟りを求めず、迷いを嫌わず、衆生を捨てず、仏を求めないことを、坐蒲団としているのを、仏祖の坐禅というのである。
 諸法とは、夢幻空華のようなものであり、無住であり、わずかな時間でも留まることがないのであれば、わずかでも取るべきものもなく、また、捨てるべきものもない。寝ても覚めても、このように坐るべきである。これを、作仏を求めずに、成仏する人というのである。
 さて、また煩悩の網を打破する時節がある。悟りが悟りになり、仏が仏となり。悟りを求めずに悟りに到り、仏を求めずに仏に到る。これを名付けて、意識を截断し、煩悩の網を打破するというのである。
 ここまでで、薬山禅師の公案(の解説)を終える。
    拙僧ヘタレ訳

冒頭の方に出て来る「手の付かないところ」という表現ですけれども、ここが肝心なところになります。いわば、我々自身の日常的な思慮分別などは、この逆で「手が付くところ」になりますが、それが及ばないところ、要するに、無分別だといっているわけです。無分別のところを修行しているのに、何故か仏に至ってしまうのです。これが、不思議なところですが、ここはかなり逆説的状況を意味しています。要するに、「仏に成ろう」という想い自体が、却って自らを仏から遠ざけ、凡夫にしてしまっているというのです。よって、仏に成ろうとせずに、ただ、仏の行を行う事実が、自らを仏としてくれるのです。

道元禅師は、当初こそ強調はされていませんでしたが、『正法眼蔵』「坐禅箴」巻、流布本『普勧坐禅儀』の状況になると、「莫図作仏」が展開されてきます。これは、「作仏を図ること莫れ」という、南嶽懐譲禅師の言葉ですけれども、この言葉を、道元禅師は、坐禅が坐禅のままであり、“その結果”仏に成るのではなくて、坐禅そのものが仏であるという関係を、「産出的因果」によって論じています。

この「産出的因果」というのは、特定の行為の継続が、それとは予期されずに、しかし何かを生み出してしまうことです。ここで損翁禅師はその様子を、「瓜」と「ナス」の関係に於いて論じられています。本来、「瓜」を得たいのに、「ナス」を植えていても無駄です。瓜を得たいのなら、瓜を植えなくてはならない、要するに、「仏に成るための修行」に留まれば、これは「凡夫行」だから、ナス。しかし、元々仏であれば、「仏としての修行」になるので、これは「仏行」だから、瓜。

しかし、修行は修行だから、「悟りを求めずに、悟りに至る」ことであるとか、「仏を求めずに仏に至る」機構の取り出しが肝心で、道元禅師はそれを、以下のように指摘されています。

まことにしりぬ、磨甎の、鏡となるとき、馬祖作仏す。馬祖作仏するとき、馬祖すみやかに馬祖となる。馬祖の、馬祖となるとき、坐禅すみやかに坐禅となる。かるがゆえに、甎を磨して鏡となすこと、古仏の骨髄に住持せられきたる。
    『正法眼蔵』「古鏡」巻

「馬祖作仏」について、「磨甎して鏡になる」のではなくて、「磨甎即鏡」の事実として把握されています。よって、「馬祖が仏に成る」のではなくて、馬祖が馬祖である時、仏となり、坐禅は坐禅となるのです。これを、拙僧は「産出的因果」として考えるべきだと思っています。

この考え方をしていくと、本当の意味で「仏行」が理解できてきます。損翁禅師も慎重に指摘されているように、もし、坐禅があくまでも「証果」を得るための手段になってしまうのなら、「証果」と「坐禅」とは常に対立的状況となってしまい、その意味で、修行は相対化されてしまい、結果絶対普遍であるはずの「仏」の行いとしては相応しくないということになります。この辺は、昨日の話と同じになりますけれども、道元禅師も以下のように示されます。

 それ、修・証はひとつにあらずとおもへる、すなはち外道の見なり。仏法には、修証これ一等なり。いまも証上の修なるゆえに、初心の辨道すなはち本証の全体なり。かるがゆえに、修行の用心をさづくるにも、修のほかに証をまつおもひなかれ、とをしふ。直指の本証なるがゆえなるべし。
 すでに修の証なれば、証にきはなく、証の修なれば、修にはじめなし。
    『弁道話

修行の外に、証を待つことはないのです。これを、悟りを待たない坐禅とはいわれますし、「証上の修」ともいわれます。これが、曹洞宗でいわれる「修証一等」の根源であるのです。あくまでも、絶対的な無始無終なる「証果」、そのありようが把握されていなければ、出て来ない発想だといえましょう。しかし、把握されれば、論理的に、証果の無限性に引っ張られて、修行も無限にならざるを得ないわけで、この論理を突き詰め、道元禅師は「修行退転」からの脱却を図っているのです。これを、「天台本覚思想」への批判だという人がおりますが、道元禅師は批判を行うべき文脈を、中国禅からも持ち出して把握しているので、むしろ、仏教界の中にある、修行否定を全般的に批判したという理解でも良いと思います。

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