道元禅師には、余りにも有名で、他宗派の人からも抗議が来るほどの、念仏・読経批判があります。もっとも、その様子を詳しく見ていると、或る事柄を批判している様子が見えてきます。
又、読経・念仏等のつとめにうるところの功徳を、なんぢ、しるやいなや。ただ、したをうごかし、こえをあぐるを、仏事功徳とおもへる、いとはかなし。仏法に擬するに、うたたとほく、いよいよはるかなり。又、経書をひらくことは、ほとけ、頓・漸修行の儀則ををしへおけるを、あきらめしり、教のごとく修行すれば、かならず証をとらしめむ、となり。いたづらに思量念度をつひやして、菩提をうる功徳に擬せん、とにはあらぬなり。おろかに千万誦の口業をしきりにして、仏道にいたらむとするは、なほこれ、ながえをきたにして、越にむかはむ、とおもはんがごとし。又、円孔に方木をいれんとせん、とおなじ。文をみながら、修するみちにくらき、それ、医方をみる人の、合薬をわすれん、なにの益かあらん。口声をひまなくせる、春の田のかへるの、昼夜になくがごとし、つひに又、益なし。
『弁道話』、下線は拙僧
これをよくよく見ていますと、いわゆる念仏や読経についての批判にも見えますし、特に下線部がそれを強調しているように見えますが、その中に、道元禅師の真意が見える気がします。つまり、批判の真意とは、「おろかに千万誦の口業をしきりにして、仏道にいたらむとするは、なほこれ、ながえをきたにして、越にむかはむ、とおもはんがごとし」というところでしょう。本来経書を開くのは、その内容を明らかにして、教えのように修行することを目的にすること、つまりは、凡夫の我々が安心を得る事を目的にすべきなのに、いつの間にか「お経を唱えること」が目的になってしまうという場合があったようです。
とはいえ、最近よく、僧侶が執り行う葬儀や法事の場で、「お経が分かりにくい」という人がいて、「だからありがたくない」という人もいるのですが、これは正直、理に暗い者・・・と判断せざるを得ません。あくまでも、葬儀や法事の場では、読経を「善行」として行い、「善行を行った結果得られた功徳」を、先祖などに「回向」しているというのが実態です。よって、参加者にとって「ありがたいか否か?」という観点など、我々僧侶は一切気にする必要は無いといえます。結局そういう参加者は、「せっかく自分が布施を払っているのだから、ありがたいと思いたい」という、極めて「功利的」な観念でもって、葬儀や法事、或いは読経を捉えているのです。我々は、読経というサービスを提供し、布施という対価を得る商売をしているのではないわけです。にもかかわらず、ありがたいと思いたい、という人によって、強引に「商売」にさせられていると糾弾出来ましょう。
話を元に戻しまして、例えば、以下のような一文を見ますと、なるほど、読経や念仏が、回数を競うようなものになってしまい、だからこそ道元禅師が「春の他のかへるの、昼夜になくがごとし」といわれたのも分かります。
およそ件の聖人、早口に経を誦す。一月の内に、安らかに千部を誦せり。壮年の昔より、老衰の時に至るまで、読誦せるところの経の部数、甚だ多し。
『日本法華験記』第六十・蓮長法師、『日本思想大系 往生伝・法華験記』128頁
これは、『日本法華験記』に収録されている「蓮長法師」という人の話です。たまたま、日蓮聖人の当初の僧名と同じのようですが、別の人です。そして、この法師は『法華経』への信仰を持っていたそうですが、とにかく多くの経典を読むことを目指して修行をしていたようで、次第次第に早口になり、1ヶ月で全28品を1000回読むことが出来たといわれています。1日30回以上読まねばなりませんので、相当な早口だったことが分かります。端から聞いていても、ブツブツいっている風にしか聞こえなかったことでしょう。ただ、「安らかに」とあるので、もうちょっと聞いていても分かるような感じだった可能性もあります。とにかく明確にいえることは、このように経典を数多く読誦することを良い価値とする「信仰」が、平安時代に存在していたということです。
念仏にも同じようなことがいえます。数を決めてひたすらに念仏を行うことは、中国浄土教の道綽上人が、『木槵子経』『阿弥陀経』をもとに、7日間に百万遍念仏を唱えれば往生決定するとして、実修したことが伝わっています。いわゆる絶対他力の信を訴える専修念仏が、それとして浄土教に自覚される前の自力的な念仏行が中心であっただろう平安時代の浄土教では、天台宗で行っていた不断念仏の関係などで、やはり多くの数を唱えることを目的とした念仏を行っていたはずなのです。先の蓮長法師と同じように、『日本往生極楽記』辺りから、そういう事例を見付けようとしましたが、読む時間が無かったので、それはまた別の機会にしておきます。
結論としては、道元禅師が読経や念仏を批判したという経緯については、それらをとにかく数多くこなせば功徳が積まれ、思うような効果があるとの信仰を持っていた人が、平安時代にいたためだといえるでしょう。無論、専修念仏が浸透したとはいえ、法然上人が多くの僧俗から質問されて答えた問答集を見ると、結局のところ、こういう「数を競う念仏」を求める人はかなりの数いたようです。裏を返せば、末法の世に入り、とにかく救われたいと思う人が、明確に分かる形での修行に活路を見出そうとしていたことにもなるのでしょう。「信があれば良い」とはいいますが、人はそれだけでは不安は解消されません。同じようなことは、我々の「只管打坐」にもいえますけどね。悟りを求めず、ひたすらに坐っていれば良いだけなのに、何か他にあるのではないか?とか、とかく長い時間坐禅できる方が良いのでは?などと、「余計な基準」を探してしまう人が多いのです。
それは、念仏しているのだから何か結果を、或いは坐禅しているのだから何か結果を、と、(現世)利益を追究したい人が大勢いることの現れだともいえるのです。先に挙げた、「ありがたいと思いたい」という人にも同じことがいえます。以前【「無功徳」は使用上の注意をよくお読みになってからご使用下さい】という記事を書きましたが、このように有り難さや結果ばかりを求めてしまう人には、先の記事を転回して堂々と、「無功徳」や「廓然無聖」という言葉を勉強しませんか?と申し上げたいと思います。
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又、読経・念仏等のつとめにうるところの功徳を、なんぢ、しるやいなや。ただ、したをうごかし、こえをあぐるを、仏事功徳とおもへる、いとはかなし。仏法に擬するに、うたたとほく、いよいよはるかなり。又、経書をひらくことは、ほとけ、頓・漸修行の儀則ををしへおけるを、あきらめしり、教のごとく修行すれば、かならず証をとらしめむ、となり。いたづらに思量念度をつひやして、菩提をうる功徳に擬せん、とにはあらぬなり。おろかに千万誦の口業をしきりにして、仏道にいたらむとするは、なほこれ、ながえをきたにして、越にむかはむ、とおもはんがごとし。又、円孔に方木をいれんとせん、とおなじ。文をみながら、修するみちにくらき、それ、医方をみる人の、合薬をわすれん、なにの益かあらん。口声をひまなくせる、春の田のかへるの、昼夜になくがごとし、つひに又、益なし。
『弁道話』、下線は拙僧
これをよくよく見ていますと、いわゆる念仏や読経についての批判にも見えますし、特に下線部がそれを強調しているように見えますが、その中に、道元禅師の真意が見える気がします。つまり、批判の真意とは、「おろかに千万誦の口業をしきりにして、仏道にいたらむとするは、なほこれ、ながえをきたにして、越にむかはむ、とおもはんがごとし」というところでしょう。本来経書を開くのは、その内容を明らかにして、教えのように修行することを目的にすること、つまりは、凡夫の我々が安心を得る事を目的にすべきなのに、いつの間にか「お経を唱えること」が目的になってしまうという場合があったようです。
とはいえ、最近よく、僧侶が執り行う葬儀や法事の場で、「お経が分かりにくい」という人がいて、「だからありがたくない」という人もいるのですが、これは正直、理に暗い者・・・と判断せざるを得ません。あくまでも、葬儀や法事の場では、読経を「善行」として行い、「善行を行った結果得られた功徳」を、先祖などに「回向」しているというのが実態です。よって、参加者にとって「ありがたいか否か?」という観点など、我々僧侶は一切気にする必要は無いといえます。結局そういう参加者は、「せっかく自分が布施を払っているのだから、ありがたいと思いたい」という、極めて「功利的」な観念でもって、葬儀や法事、或いは読経を捉えているのです。我々は、読経というサービスを提供し、布施という対価を得る商売をしているのではないわけです。にもかかわらず、ありがたいと思いたい、という人によって、強引に「商売」にさせられていると糾弾出来ましょう。
話を元に戻しまして、例えば、以下のような一文を見ますと、なるほど、読経や念仏が、回数を競うようなものになってしまい、だからこそ道元禅師が「春の他のかへるの、昼夜になくがごとし」といわれたのも分かります。
およそ件の聖人、早口に経を誦す。一月の内に、安らかに千部を誦せり。壮年の昔より、老衰の時に至るまで、読誦せるところの経の部数、甚だ多し。
『日本法華験記』第六十・蓮長法師、『日本思想大系 往生伝・法華験記』128頁
これは、『日本法華験記』に収録されている「蓮長法師」という人の話です。たまたま、日蓮聖人の当初の僧名と同じのようですが、別の人です。そして、この法師は『法華経』への信仰を持っていたそうですが、とにかく多くの経典を読むことを目指して修行をしていたようで、次第次第に早口になり、1ヶ月で全28品を1000回読むことが出来たといわれています。1日30回以上読まねばなりませんので、相当な早口だったことが分かります。端から聞いていても、ブツブツいっている風にしか聞こえなかったことでしょう。ただ、「安らかに」とあるので、もうちょっと聞いていても分かるような感じだった可能性もあります。とにかく明確にいえることは、このように経典を数多く読誦することを良い価値とする「信仰」が、平安時代に存在していたということです。
念仏にも同じようなことがいえます。数を決めてひたすらに念仏を行うことは、中国浄土教の道綽上人が、『木槵子経』『阿弥陀経』をもとに、7日間に百万遍念仏を唱えれば往生決定するとして、実修したことが伝わっています。いわゆる絶対他力の信を訴える専修念仏が、それとして浄土教に自覚される前の自力的な念仏行が中心であっただろう平安時代の浄土教では、天台宗で行っていた不断念仏の関係などで、やはり多くの数を唱えることを目的とした念仏を行っていたはずなのです。先の蓮長法師と同じように、『日本往生極楽記』辺りから、そういう事例を見付けようとしましたが、読む時間が無かったので、それはまた別の機会にしておきます。
結論としては、道元禅師が読経や念仏を批判したという経緯については、それらをとにかく数多くこなせば功徳が積まれ、思うような効果があるとの信仰を持っていた人が、平安時代にいたためだといえるでしょう。無論、専修念仏が浸透したとはいえ、法然上人が多くの僧俗から質問されて答えた問答集を見ると、結局のところ、こういう「数を競う念仏」を求める人はかなりの数いたようです。裏を返せば、末法の世に入り、とにかく救われたいと思う人が、明確に分かる形での修行に活路を見出そうとしていたことにもなるのでしょう。「信があれば良い」とはいいますが、人はそれだけでは不安は解消されません。同じようなことは、我々の「只管打坐」にもいえますけどね。悟りを求めず、ひたすらに坐っていれば良いだけなのに、何か他にあるのではないか?とか、とかく長い時間坐禅できる方が良いのでは?などと、「余計な基準」を探してしまう人が多いのです。
それは、念仏しているのだから何か結果を、或いは坐禅しているのだから何か結果を、と、(現世)利益を追究したい人が大勢いることの現れだともいえるのです。先に挙げた、「ありがたいと思いたい」という人にも同じことがいえます。以前【「無功徳」は使用上の注意をよくお読みになってからご使用下さい】という記事を書きましたが、このように有り難さや結果ばかりを求めてしまう人には、先の記事を転回して堂々と、「無功徳」や「廓然無聖」という言葉を勉強しませんか?と申し上げたいと思います。
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