今日、12月22日は冬至です。禅宗寺院では、毎年、冬至にはさまざまな行事を行って、それを祝ったとされています。何故祝うのかと言えば、中国での暦に取り入れられている陰陽五行思想などを理解しなくてはなりませんが、一年の内でもっとも昼の長さが短い冬の極点の日は、古来から陰が極まり陽の始まる日であるとされ、一陽来復(冬が去り春に向かうという意味)の日として祝うことになっていました。世俗でも、様々な「冬至食」として「冬至かぼちゃ」や「冬至粥」などが知られていますが、ここまで陰が極まれば、後は陽になるだけだから、その時のために、身体を大切にする食事を採るのです。この「陰が極まり陽が始まる」という「転機」を、「迷いを転じて悟を開く」という「転機」に準えて、禅宗では祝っているのです。さらに、その「転機」を祈念して、道元禅師は『冬至大吉文』もお書きになりました。
さて、道元禅師は上堂、もしくは小参でもって、冬至の日に因み、「転機」の道理を弟子達に開示していたのですが、以下のような上堂・小参(ただし、小参の多くは永平寺にて説かれたものと推定されている)については、以下のような年月となっています
・巻1-25上堂(1240年11月1日)朔旦冬至上堂(今回)
・巻1-115上堂(1242年11月22日)(既出)
・巻2-135上堂(1245年11月25日)
・巻3-206上堂(1246年11月6日)
・巻4-296上堂(1248年11月29日)
・巻8-小参4・9・13・17(おそらくは1250年代)(全既出)
今回は、一番最初の「朔旦冬至上堂」を採り上げてみようと思います。
朔旦冬至の上堂。
天、一を得て清めり、地、一を得て寧なり。人、一を得て安し、時、一を得て陽なり。是の一、長を得るや、是の長の中に仏祖、寿命を得るなり。諸人、長の中に発心修行し、弁道功夫して一句を証得するなり。既に長中に力を得、長中に命を得ることを得たり。便ち仏祖の身を以て数珠と作して、三百六十日を得たり。今日に至る毎に、便ち恁麼を得、去ゆくなり。乃ち是れ仏祖の身心、以て恁麼を得、去ゆくなり。
良久して云く、
仏仏の身心、今、長を得たり。璧珠の面目天方を象る。
算え来り算え積る幾くの長遠ぞ。佳節は度り知りぬ、是、一陽なり。
『永平広録』巻1-25上堂
朔旦冬至というのは、陰暦11月1日が冬至に当たる場合をいい、19年に一度来ていたそうです。よって、この上堂は、仁治元年(1240)11月1日に実施されたと考えられています。そして、道元禅師が「天、一を得て清めり、地、一を得て寧なり」だけは、おそらく『老子道徳経』第39を引用したか、もしくはこの箇所を引用した禅語録は多数に上るので、その辺から「孫引き」した可能性もありますが、それ以下の「人」「時」は、類似した文脈がないとはいいませんが、おそらく道元禅師のオリジナルでしょう。なお、今回の上堂でもっとも肝心なことは、様々な事象が「一」を得れば(この「一」は朔旦の「一日」にも掛けてあることでしょう)、その結果とても良くなるわけですけれども、道元禅師はその「一」を「長」としています。つまり、ここで「冬至」であることを加味すれば、それまで極まり続けてきた「陰」とは「短」を始めとする、事象の縮小に影響する概念です。
一方で、それが転じて「陽」となることは、「長」を始めとする、事象の拡大に影響する概念です。或いは、ここで道元禅師がいわれる「長」とは、仏陀の悟りであり、端的に「仏性」といって良いでしょう。仏性の中に、仏祖はその寿命を得て、更に学人は発心・修行して、弁道功夫の中から、仏陀の一句を明らかにすることが出来るのです。
更に、仏陀の身とは自由自在であり、その仏陀の身が毎日の日送りを数え得る「数珠」としてしまうのです。勿論、「珠」の数は360個であります。その360個の数珠が作られるのは、陰が極まり、陽が出てくるこの「冬至」であるのです。そして、最後の偈頌で、道元禅師は長を得た仏々の身心を讃え、宝石が夜空を形作るといっています。素晴らしい輝きの様子が伝わります。確かに、冬場の晴れた空は、綺麗です。
また、360日を数え来たのは、どれほどの長さかといい、しかし、そのような素晴らしい時間とは、測ることが出来ず、ただ、陽へと転じていく状況しかないといっているわけです。陽へ転じることは、仏性を知るための時節因縁を観じたことになります。時節因縁を観じたので、その中で修行し証果を得ていくことも可能となるのです。皆さんも、今日の冬至で、明日からはまた、「夏」へと「転じ得て」いく事実から、旧来の自分とお別れをし、新たな自分を作ってみて下さい・・・いや、この表現はやや違うな、自己とは作られたとき、常に新しくも古くもないというのが正しいですね。道元禅師は自己制作が出来ると仰っています。無論、その時の自己とは、「仏法の自己」ということです。「万法すすみて修証する」自己です。
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さて、道元禅師は上堂、もしくは小参でもって、冬至の日に因み、「転機」の道理を弟子達に開示していたのですが、以下のような上堂・小参(ただし、小参の多くは永平寺にて説かれたものと推定されている)については、以下のような年月となっています
・巻1-25上堂(1240年11月1日)朔旦冬至上堂(今回)
・巻1-115上堂(1242年11月22日)(既出)
・巻2-135上堂(1245年11月25日)
・巻3-206上堂(1246年11月6日)
・巻4-296上堂(1248年11月29日)
・巻8-小参4・9・13・17(おそらくは1250年代)(全既出)
今回は、一番最初の「朔旦冬至上堂」を採り上げてみようと思います。
朔旦冬至の上堂。
天、一を得て清めり、地、一を得て寧なり。人、一を得て安し、時、一を得て陽なり。是の一、長を得るや、是の長の中に仏祖、寿命を得るなり。諸人、長の中に発心修行し、弁道功夫して一句を証得するなり。既に長中に力を得、長中に命を得ることを得たり。便ち仏祖の身を以て数珠と作して、三百六十日を得たり。今日に至る毎に、便ち恁麼を得、去ゆくなり。乃ち是れ仏祖の身心、以て恁麼を得、去ゆくなり。
良久して云く、
仏仏の身心、今、長を得たり。璧珠の面目天方を象る。
算え来り算え積る幾くの長遠ぞ。佳節は度り知りぬ、是、一陽なり。
『永平広録』巻1-25上堂
朔旦冬至というのは、陰暦11月1日が冬至に当たる場合をいい、19年に一度来ていたそうです。よって、この上堂は、仁治元年(1240)11月1日に実施されたと考えられています。そして、道元禅師が「天、一を得て清めり、地、一を得て寧なり」だけは、おそらく『老子道徳経』第39を引用したか、もしくはこの箇所を引用した禅語録は多数に上るので、その辺から「孫引き」した可能性もありますが、それ以下の「人」「時」は、類似した文脈がないとはいいませんが、おそらく道元禅師のオリジナルでしょう。なお、今回の上堂でもっとも肝心なことは、様々な事象が「一」を得れば(この「一」は朔旦の「一日」にも掛けてあることでしょう)、その結果とても良くなるわけですけれども、道元禅師はその「一」を「長」としています。つまり、ここで「冬至」であることを加味すれば、それまで極まり続けてきた「陰」とは「短」を始めとする、事象の縮小に影響する概念です。
一方で、それが転じて「陽」となることは、「長」を始めとする、事象の拡大に影響する概念です。或いは、ここで道元禅師がいわれる「長」とは、仏陀の悟りであり、端的に「仏性」といって良いでしょう。仏性の中に、仏祖はその寿命を得て、更に学人は発心・修行して、弁道功夫の中から、仏陀の一句を明らかにすることが出来るのです。
更に、仏陀の身とは自由自在であり、その仏陀の身が毎日の日送りを数え得る「数珠」としてしまうのです。勿論、「珠」の数は360個であります。その360個の数珠が作られるのは、陰が極まり、陽が出てくるこの「冬至」であるのです。そして、最後の偈頌で、道元禅師は長を得た仏々の身心を讃え、宝石が夜空を形作るといっています。素晴らしい輝きの様子が伝わります。確かに、冬場の晴れた空は、綺麗です。
また、360日を数え来たのは、どれほどの長さかといい、しかし、そのような素晴らしい時間とは、測ることが出来ず、ただ、陽へと転じていく状況しかないといっているわけです。陽へ転じることは、仏性を知るための時節因縁を観じたことになります。時節因縁を観じたので、その中で修行し証果を得ていくことも可能となるのです。皆さんも、今日の冬至で、明日からはまた、「夏」へと「転じ得て」いく事実から、旧来の自分とお別れをし、新たな自分を作ってみて下さい・・・いや、この表現はやや違うな、自己とは作られたとき、常に新しくも古くもないというのが正しいですね。道元禅師は自己制作が出来ると仰っています。無論、その時の自己とは、「仏法の自己」ということです。「万法すすみて修証する」自己です。
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