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12月23日 天皇誕生日に因んで

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今日は天皇陛下77歳のお誕生日になります。喜寿をお迎えになり、ややお耳が遠くなったというお話しもあったようですが、クニマス再発見について、「さかなクン」について関心をお示しになるなど、変わることなき大御心のご様子。臣僧、心からお喜び申し上げます。

以下本題。

曹洞宗と天皇制の問題は、決して単純な問題ではない。明治時代以降、天皇制が軍国体制と歩調を合わせながら、極めて排他的・原理主義的・カルト的な様相を見せてきたとき、曹洞宗はその体制に半ば自らの身を差し出すことによって延命可能であった。戦後、その「反省」が行われ、徐々に天皇制との距離を置くようになった。無論、それを主導したのは左翼的傾向の思想を持つ曹洞宗侶と、その左翼的運動に荷担していた人権擁護系団体であったが、我が宗門くらいの大きさになると、左がいれば右もいるわけで、過度な運動の進展には「反動」もある。今後はどうなるか分からない。

そんな中、拙僧の立場といえば、これが難しい。よって、基本的には両祖さまのお考えに沿っておきたいと考えている。

良く、道元禅師は反権力的傾向を持ち、天皇制などに批判的であったという「論考」を見ることもあるが、おそらくその作者が持っている反権力的傾向を、そのまま道元禅師に投影して、都合よく「断章取義」しているに過ぎない。道元禅師を「非情のモラリスト」と名付けた戸頃重基氏などは、「誤読の権化」である。道元禅師に限らず、禅僧というのは常に「特定の型」から外れていこうとする傾向を持つ。よって、天皇制や権力といった、実世間に於ける様々な「力」についても、その「付き合い方」は様々であって良いはずである。

SF作家の佐藤大輔氏には、「右からも左からも叩かれ、素人の無理解に直面し、日陰者であることをマゾヒスティックに喜ぶ軍事マニア」という評があるそうだが、これをもじって、拙僧は「右からも左からも叩かれ、素人の無理解に直面し、日陰者であることをマゾヒスティックに喜ぶ一坊主」とでも述べておきたい。

道元禅師は、権力者などとの「付き合い」について、「名聞利養」だけは徹底的に忌避される。それはつまり、権力者に認められたことこそが、自分の修行の功徳と考え、更なる権益拡大などを貪る場合といえる。よって、拙僧も、名聞利養をしないという感じである。道元禅師が、権力などについて述べた文章がある。一例を見ていこう。

しかあるを、おろかなる人は、たとひ道心ありといへども、はやく本志をわすれて、あやまりて人天の供養をまちて、仏法の功徳いたれりとよろこぶ。国王・大臣の帰依、しきりなれば、わがみちの、現成とおもへり。これは学道の一魔なり。あはれむこころをわするべからずといふとも、よろこぶことなかるべし。みずや、ほとけ、のたまはく、如来現在、猶多怨嫉の金言あることを。
    『正法眼蔵』「渓声山色」巻

つまり、喩え道心を持っていたとしても、その志を忘れてしまい、供養を得ると、それは「仏法の功徳があった」と喜んだ例があったのだという。まさに、供養を貪る悪僧というべき態度になったといえよう。道元禅師は、特に30代の頃だが「貧の学道」を重んじられた。それは、僧は自分の身なりであるとか、金銭に把われることがあってはならず、徹底それらを抛却した「貧」として生きるべきだというのである。ところが、これをいうと、一般の在家信者は、「金がかからないなら、布施も少なくて良い」とか思うらしい。それは間違いである。僧を養うという時には、金銭の多寡を考えてはならない。ただ、僧侶も金銭の多寡を比べてはならない。この両側とも「金銭の多寡を無視する」という態度の時、始めて「清浄の布施」とはいわれるのである。

その応用、延長線上に、この「国王への態度」が見える。例えば、道元禅師が同じ「渓声山色」巻にて、『妙法蓮華経』「安楽行品」から引用しつつ、「前仏いはく、不親近国王・王子・大臣・官長・婆羅門・居士」と仰る時、さも、権力者などを「原理的」に否定したと考えてしまうかもしれない。ところが、事態はそれほど単純ではない。『正法眼蔵』「看経」巻にて、「聖節の看経(天皇誕生日を祝って行う看経)」や、永平寺に入られてからの「聖節の上堂」があったという事実からも、「単純ではない」という見解の正しさが裏付けられるように思う。

例えば、次の教えもある。

又、ながく女人をみじと願せば、衆生無辺誓願度のときも、女人をばすつべきか。捨てば菩薩にあらず、仏慈悲と云はんや。ただこれ声聞の酒にえふことふかきによりて、酔狂の言語なり。人天、これをまことと信ずべからず。
    『正法眼蔵』「礼拝得髄」巻

道元禅師は、女犯を避けるために、一生女性を見もしないと誓った僧を批判して、以上のように仰ったのである。我々には、「四弘誓願」があるけれども、この中に、「衆生無辺誓願度」という言葉がある以上、ここから「女性」がそれを理由として漏れることはあり得ないというわけだ。もし、意図的に捨てれば、その者は菩薩とは言い難く、仏の慈悲を持つともいえず、結局、「声聞」という現在の南方仏教の僧侶のような生き方ばかりを讃歎して、大乗の教えに触れることがないと仰っている。「まことと信ずべからず」とはいかにも厳しい。しかし、この語に込められた想いを汲み取らないわけにはいかない。

つまり、この「女人」を「国王」に変えても良い、いや、変えるべきである。だからこそ、結局「女人」についても、「国王」についても、それこそ「男性」であっても同様に、その「接し方」こそが常に問われ、特に「国王」は、「名聞利養」を否定すべきなのである。名聞利養の否定とは、以下のような「具体的方法」がある。

先師は、十九歳より離郷尋師、辨道功夫すること、六十五載にいたりて、なほ不退不転なり。帝者に親近せず、帝者にみえず、丞相と親厚ならず、官員と親厚ならず。紫衣・師号を表辞するのみにあらず、一生、まだらなる袈裟を搭せず、よのつねに上堂・入室、みなくろき袈裟・裰子をもちいる。
    『正法眼蔵』「行持(下)」巻

道元禅師は、以上のように如浄禅師を讃歎される。ただ、これは道元禅師が紹介したことだけれども、「道元禅師自身がこれと同じ行動を取ったか?」を問うことまで忘れてはならない。あくまでも、如浄禅師をこのように讃歎しつつ、自分はやや、柔軟であった可能性も残る。それは「四弘誓願」を、救済する側の「倫理」とすれば、権力者が、それを理由として否定される場合、この倫理に反してしまうからだ。だから、名聞利養を捨てて、権力からは余計な恩顧・恩謝は受けず、淡々と救済すべきなのである。

冒頭の繰り返しをしつつの総括にするが、今の日本の与党首脳部を見ると、元々反権力であった人だったようにしか見えない人が多い。とはいえ、自分がその座に坐れば、今度は守りに入っている。これは「名聞利養」である。よって、否定されるべきであるが、名聞利養を先として政治家をしているなら、それは仕方ないのかもしれない。それを思うと、「反権力」を殊更に述べ立てる人は、自分が「権力」を取るための、1つのポーズである可能性が高い。ただ、ポーズ程度で、一宗の祖師といわれる人の生き方や伝記、思想を左右するのは本当に困る。

つまり、これまでの道元禅師評伝は、余りに「反権力(もしくは、それを含んだ「鎌倉新仏教」という作られたカテゴリー)」のバイアスが懸かりすぎていたと、積極的に批判=吟味し、その上で、正しい把握法を、外から余計な枠を充てることなく考えるべきなのである。曹洞宗と天皇制との関係についても、この格率は完全に当てはまるのである。

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これまでの読み切りモノ〈曹洞宗6〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。

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